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「貝と羊の中国人」加藤徹 中国人の精神を解き明かす

「貝と羊の中国人」

「貝と羊の中国人」加藤徹

 

有形の財貨を好む現実主義「貝の文化」の殷人。

 

無形の善行を好む理想主義「羊の文化」の周人。

 

中国人は、ふたつの先祖から、ホンネとしての「貝の文化」とタテマエとしての「羊の文化」の両方を受け継ぎ、使い分けている。

 

ここに中国人の強みがある、という。

 

本書は漢字、流浪、言語、国名などさまざまな切り口で、中国人の精神を解き明かす。

 

本書によると、漢民族は殷と周のふたつの民族がぶつかり合ってできた。

 

殷は東方(黄河下流域)の農耕民族。周は西方(黄河上流域)の遊牧民族。

 

殷人は、目に見える財貨を重んじた。

 

まだ金属貨幣がなかった当時、貨幣として使われたのは子安貝だった。財、費、貧、貸、貯、買など有形の財貨にかかわる漢字に「貝」が含まれるのは殷人気質の名残だとか。殷人は自分たちの国を「商」と呼び「商人」と自称した。周に滅ぼされ、各地に散った後は物財をやりとりすることを生業とした。これが商人、商業の語源。

 

周人は、唯一至高の天を信じた。

 

イデオロギー的な神であり、物質的な捧げものより無形の善行を好む。天を祀る儀礼では「羊」を犠牲にして捧げた。義、美、善、祥、養、羨など無形の良いことにかかわる漢字に「羊」が含まれるのは周人気質の名残。

 

歴史では、殷の紂王が暴君だったので、周の武王が諸侯と連合して殷を滅ぼし、周王朝を立てたとされるが、発掘調査に基づく研究では、紂王は暴君ではなく祭祀を熱心に行った敬虔な人物だったという。

 

著者は、暴君の紂王を武王が征伐したというストーリーは周が作ったもので、実際には、殷が子安貝を求めて東方にある海辺の小国を攻めた時に、周が西方から背後を突き、殷を滅ぼしたと解説している。

 

ちなみに、殷は祭祀国家で、周辺に戦争を仕掛けては、捕まえた捕虜を奴隷にして労働力を確保したり、祭祀の生贄にしたりしていたらしいが(アステカみたい)、これが周辺諸族の反感を買い、周を中心とする諸族に滅ぼされる原因になったという説もある。

 

戦争で捕虜を得たというのは「民」という漢字の語源にもうかがえる。本書でも紹介されているけど「民」という漢字は針を刺して目を潰す形の象形文字が元になっている。

 

流浪について。

 

中国には流浪の英雄が多いという。

 

たとえば、晋の文公。家臣を連れて19年間も諸国を流浪した。春秋五覇(古代中国の春秋時代の覇者5人)の1人。

 

たとえば、儒教の祖・孔子。祖国・魯の現状に失望し、弟子を連れて14年間も諸国を流浪した。

 

たとえば、「三国志」のヒーロー、劉備。群雄の間を渡り歩く傭兵集団のリーダーで流浪のプロ。30年間も各地を流浪したすえ、蜀に落ち着いた。

 

日本では流浪の英雄はいない。狭い日本では、英雄が流浪すると必ず先細りになってしまう。

 

たとえば、源義経。

 

もし、日本が広ければ、義経は頼朝が死ぬまで各地を流浪しつつ生き延びたかもしれない。「義経は、衣川では死なず、大陸に渡ってジンギスカン(チンギス・ハーン)になった」という俗説は、流浪の英雄になるためには大陸的スケールの面積が必要だという一面の真理を踏まえている──という分析が面白い。

 

言語について。

 

中国人の「大づかみ合理主義」を、詩人・杜甫の「春望」を引いて解説している。

 

「国破山河在、城春草木深。感時花濺涙、恨別鳥驚心」という詩は、日本人の一般的な訓読では「国破れて山河在り、城春にして草木深し。時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」と読む。この後段、泣いたり驚いたりしているのは作者であるという解釈。

 

しかし、「花が涙を濺ぎ、鳥が心を驚かす」という解釈もできるのだとか。

 

中国人である杜甫は、両方のイメージの錯綜を計算の上で「感時花濺涙、恨別鳥驚心」と詠んだ。自分が泣いているのであり、花も泣いている。自分が心を痛めているのであり、鳥も心を痛めている。

 

日本語訳では、そのような魅力的な曖昧さは切り捨てざるを得ない。「てにをは」などの助詞を多用し、分析的な日本語と違う。

 

国名について。

 

近代の国名は一般的に固有名詞(地域呼称)+立国理念(政治体制)。アメリカ合衆国、フランス共和国など。

 

日本と中国は例外。

 

日本の正式名称「日本国」は立国理念がない。

 

中国の正式名称「中華人民共和国」は地域を指す固有名詞がない(中華は固有名詞ではなく、世界の中心という意味の理念名称)。

 

ただし、英語では「People's Republic of China」(チャイナ人民共和国)で、固有名詞が付く仕掛けになっている。さすがに世界に向けては「中華」を名乗らないところが中国人らしいという。

 

一方で、日本はかつて「大日本帝国」と称した。ここには立国理念が表れていた。戦後に日本国になった。

 

仮に「日本共和国」にすると「天皇陛下をないがしろにしている」という批判が予想され、かといって、いまさら「日本帝国」とも名乗れまい、とのこと。

 

今まで考えたこともなかったけど、言われてみると、面白い。

 

(2017年6月18日Facebook投稿を転載)

 

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