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「死刑執行人サンソン  国王ルイ十六世の首を刎ねた男」安達正勝 「死刑制度は間違っている」との心の叫び

「死刑執行人サンソン  国王ルイ十六世の首を刎ねた男」

「死刑執行人サンソン  国王ルイ十六世の首を刎ねた男」安達正勝

 

代々パリの死刑執行人を務めたサンソン家の4代目シャルル-アンリ・サンソン。

 

本書はフランス革命の時代に生き、ルイ16世の首をはねた男の生涯を描く。

 

サンソンは、世間から忌み嫌われる死刑執行人であることに悩み、いつかそんな差別のない時代が来るよう願いながらも、自分の仕事は犯罪者を罰する正義の行いであり、世のためなのだと自らに言い聞かせ、生きてきた。

 

フランス革命が起き、死刑執行人が市民権を得たまではよかったが、尊敬する国王ルイ16世の処刑に直面して「国王は犯罪者か? 違う。なぜ死刑にならないといけないのか」と思い悩み、「犯罪者を罰する正義の行い」という自らの仕事に対する確信が揺らぐ。

 

さらに1年半ほどの短期間に2700人以上が処刑される恐怖政治の時代となり、サンソンは死刑制度に疑問を抱くに至る。

 

この本を読んでまず興味深かったのは、劇画「首斬り朝」に描かれた日本の死刑執行人の姿との対比、さらには「首斬り朝」の主人公、3代目山田朝右衛門吉継のキャラクターとの対比だ。

 

これについては、別稿で「首斬り朝」を紹介したうえで書いてみる。

 

このほか、ルイ16世の人となりやギロチン開発の経緯も興味深かった。

 

ルイ16世は暗愚な国王とのイメージを持たれがちだが、聡明な人物で、残虐な刑罰を廃止し、アメリカの独立運動を支援するなど進歩的な思想の持ち主だったらしい。

 

科学に造詣が深く、ギロチンの刃の形状はルイ16世が提案したとのエピソードも出てくる。

 

そのギロチンはもともと、死刑囚になるべく苦痛を与えない人道的な処刑方法を、という発想から生まれた。

 

ところが、剣による斬首など従来の処刑方法と比べて簡単で効率的に処刑を実行できる機械であったために、多数の死刑執行を可能にするという事態につながったという。

 

※※※以下、読書メモ※※※

 

死刑執行人の一家は世間から差別されて暮らしていた。その半面、高収入で生活レベルは貴族並み。

 

代々医業を副業にしてきた。いろいろな刑を執行していた死刑執行人は人体の生理機能に詳しくなった。引き取り手のない死体を解剖し、人体の構造を詳しく知った。金持ちからは高額の報酬を受け取ったが、貧しい人からは一銭も取らなかった。歴代当主にとって精神的にも大きな救いになっていた。

 

公務とはいえ、そして世のためだと自分を納得させようと努めていたとはいえ人を殺すことに内心の嫌悪を禁じ得なかったサンソン家の人々にとって、医業で人の命を救うのは何にも代え難い慰めになっていた。

 

ルイ16世。革命の混乱をうまく処理できなかったというので、ルイ16世は無能にして鈍重な国王という評価を受けることになるのだが、どんな名君でもフランス革命の荒波を乗り越えて絶対王政の枠組みを維持するのは無理だったろう。

 

革命はいつか起こるべきものであり、ルイ16世はたまたまその時期に遭遇したに過ぎない。革命の引き金になったのは国家財政の破綻だが、前の2代の国王、ルイ14世とルイ15世が国費を濫費したツケがルイ16世に回ってきたためと言ってよい。

 

革命前15年間のすぐれた治世が無視されてきたが、少し見直す必要がある。独立戦争に直面したアメリカを積極的に援助したのも、財政を悪化させた面はあるが、時代の要請に応えた外交政策としてもっと評価されるべきだろう。内政面においても、刑罰の人道主義化を進めた。

 

ルイ16世は確かに優柔不断なところがあったが、彼ほど善意の国王も少ない。また、一般に流布しているイメージとは違って、すぐれた頭脳の持ち主であり、同じ時期のヨーロッパの国王皇帝の中で最も教養あふれる君主だった。地理、精密科学、歴史に通じ、外国語も数カ国語話すことができた。

 

平安の世が続いていれば、啓蒙主義の時代にふさわしい進歩主義的な善政を敷いた国王として歴史に名を残しただろう。

 

革命の嵐が吹き荒れるまではルイ16世は国民にも絶大な人気があった。

 

サンソンはこれまで社会から除け者にされてきた自分たち死刑執行人の境遇もこれからの新しい正義の世では当然改善されるものと信じていた。

 

革命が起きてサンソンの運命を一番大きく変えることになったのは、何と言っても、ギロチンの登場である。ギロチンは元はと言えば、自由と平等の理想が謳歌される楽観的な雰囲気の中から生まれたものだった。

 

革命前は、同じ罪を犯して死刑の判決を受けても、貴族なら斬首、庶民なら絞首というふうに、身分によって処刑の仕方が違っていた。

 

それは平等の原則に反するというのが、ギロチンが誕生するきっかけになった。

 

処刑は人道的なものでなければならない。首を切断するのが、最も苦痛を少なくして迅速に死に至らしめる人道的な処刑方法である。しかし、剣による斬首に失敗はつきもので、一太刀で首をはねないと死刑囚はもがき苦しむことになる。

 

ゆえに、機械で確実に首を切断せねばならない。

 

われわれ現代人にとっては、ギロチンは明らかに残虐なものである。

 

なぜ、革命期の人々には人道的なものと思われたのだろうか?

 

剣による斬首は難しい。日本の斬首との違い。日本は庶民が斬首刑の対象。武士は切腹。押さえ役がつく。フランスは庶民が斬首になることはない。貴族が対象。高貴な人間らしく覚悟を決めて首を差し出すべきと考えられたので押さえ役はなかった。

 

ギロチンの刃の形。半円形を医師が考案。ルイ16世が修正。三角定規のような斜めの刃にした。断ち切る物に対し刃が滑るように作用し、スムーズに首を切断できた。

 

サンソンにとって、フランス革命で、死刑執行人が市民権を得られたのはよかった。

 

しかし、王政廃止にまで至り、ルイ16世に死刑判決が出たのは予想外。

 

ルイ16世を尊敬していたので、ショックが大きく、苦しんだ。

 

ギロチンは、もともとは人道的な配慮のため考案されたもの。しかし、ギロチンはあまりにも簡単に人を殺せる機械だった。

 

もし、昔ながらの斬首刑や車裂きの刑が維持されていたなら一日に40人も50人も処刑できるものではない。せいぜい数人が限度。八つ裂きの刑なら一日に1人しか処刑できない。

 

ところが、ギロチンを使えば、50人の処刑を1時間以内に済ませることも可能だった。

 

サンソンは二千七百数十人の首を落とすことになった。1793年から94年にかけて。1793年1月、国王処刑。2カ月後、革命裁判所が設置され恐怖政治がはじまった。1794年7月のテルミドールのクーデターで、恐怖政治が終わるまで。二千七百数十人のうち半数は最後の40日間に処刑。

 

死刑制度は間違っている。サンソンの叫び。

 

自分たち死刑執行人は一般の人たちにとっては平気で人を殺す者でしかない。人々は自分たちを蔑み、恐れる。

 

無理もなかろう。自分だって、眠れぬ夜を過ごす時、死者の影に取り囲まれているのを感じて、自分で自分が怖くなることもあるのだから。

 

言ってみれば死刑執行人の職というのは、けっして許されることがないのだ。

 

しかし、この世の正義の最後の段階を担っているはずの死刑執行人が忌むべき存在として世間から除け者にされるのは、人を死に至らしめることによって社会秩序を保とうとする、その正義の体系そのものが忌むべきものだからではないのか?

 

これは感情の問題だ。

 

どんなに声高く死刑制度の必要性を主張する人にも、死を忌避しようとする自然の感情が、自分たち死刑執行人に対する嫌悪感として表れるのだ。

 

かつて、これは偏見だとして、世間の悪意と闘ってきたシャルル-アンリは、今では、自分たちに対する人々の嫌悪感を人間の自然の感情として認めようという気になっていた。自分たちが差別されるのは不条理ではあるが、人間の自然の感情ほど強いものはない。

 

シャルル-アンリは思うのだった。

 

死刑制度がなくなれば、自分たち一族の苦しみも終わり、普通の人間として生きていけるようになる。この場合はご先祖のお咎めを受けることもない。むしろ、ご先祖も喜んでくれるのではないだろうか。

 

死刑制度は間違っている。人の命は何よりも尊重されねばならない。死刑制度には人の命を奪うという重大事に見合うメリットがない。犯罪人を社会から除去したところで、一時的な気休めになるだけで、犯罪を生み出した社会の歪みが正されるわけではない。

 

死刑制度は間違っている。裁判に誤審はつきものであり、無実の人を処刑してしまう事態を避けられない。

 

死刑制度は間違っている。たとえ極悪人であろうと、罪を悔い改め、罪を償う機会を永遠に奪ってしまうがゆえに。

 

死刑制度は間違っている。処刑を実行する人間を必要とし、その人間に法と正義の名において殺人という罪を犯させるのだから。そして、処刑人一族という呪われた一族を生み出すのだから。

 

シャルル-アンリは1806年7月4日に死亡した。フランスで死刑制度が廃止されたのは1981年のことである。

 

(2017年7月8日Facebook投稿を転載)