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「異常快楽殺人」平山夢明 幼い頃に虐待を受けたという生い立ちに着目 人間の心には闇がある

「異常快楽殺人」

「異常快楽殺人」平山夢明

私は、選挙とともに、刑事裁判の取材が好きだ。事件の経緯や影響がつぶさに明かされ、人間ドラマが垣間見えるからだ。

 

例えば、被害女性が加害男性への愛情ゆえに取った行動が裏目に出て命を奪われた事件は、せつなかった(女性は男性と結婚したかったので、中絶できない状態になるまで会わずに妊娠を隠していた。男性は別の女性との結婚を控えており、邪魔だと考えた)。

女性は、殺される直前まで「じゃあ、結婚しよう」という男性の言葉を待っていたのかもしれないと想像すると、本当にかわいそうだ。

 

例えば、人間関係で追い込まれて相手をあやめた中年男性の裁判では、周囲から白い目で見られないようにと、親戚の養子になって姓を変えるように勧められた息子が「父と同じ姓がいい」と発言。

道を踏み外しても寄せる愛情に、傍聴していて、涙が出た。被告の中年男性も涙を拭っていた。

 

殺人など重大犯罪の裁判に市民が加わる「裁判員裁判」の一番の意義は、不幸な事件がなぜ起きるのか、人間関係のもつれや困難な境遇、社会のひずみが背景にないかと、市民一人一人が考えるきっかけにすることだと思う。

「悪い人間」(加害者)と「運の悪い人」(被害者)の個人的な問題とみるだけで終わらせず、社会として教訓とすべきことはないか、考えてみるということだ。

 

例えば、老老介護の家庭で、認知症の夫(加害者)が外出しようとしたのを、妻(被害者)が心配して止めようとしたところ、夫が腹を立てて妻を押し、転んだ妻が頭を打って亡くなった傷害致死事件。

そのような状況説明を受けても、夫が妻の思いに気づいた様子がなさそうで、歯がゆかった。認知症や老老介護の問題を考えさせられた。

 

多くの市民は犯罪とは無縁。それでも、背景にあるトラブルをわが身に置き換えて想像することはできるだろう。どうしたら不幸な事件が起きないか、起きたときに加害者の更生、被害者の支援をどう図るか。社会の一員として思いを巡らせたい。

 

裁判員には選ばれないとなれないが、裁判の傍聴は誰にでもできる。日程の把握など手間はかかるが、一度は出向く価値がある。学校教育に取り入れてほしいくらいだ。

 

一方で、こういう感傷や考察を寄せつけないような桁外れの犯罪が、世の中にはある。

本書を読んで、あらためて考えさせられた。

 

本書は、快楽殺人者7人の生い立ちや犯罪の内容を紹介している。

7人は次の通り。

「人体標本を作る男」エドワード・ゲイン

「殺人狂のサンタクロース」アルバート・フィッシュ

「厳戒棟の特別捜査官」ヘンリー・リー・ルーカス

「ベトナム戦は終わらない」アーサー・シャウクロス

「赤い切り裂き魔」アンドレイ・チカチロ

「少年を愛した殺人ピエロ」ジョン・ウェイン・ゲーシー

「人肉を主食とした美青年」ジェフリー・ダーマー

 

犠牲者や犯行現場の様子など、かなりグロテスクで凄惨な記述が出てくる。

文章だけで、写真はないが、詳しく書いてあるので、目の前に浮かんでしまう。それでも、読んでしまうのは、怖い物見たさの心理だろうか。

苦手な人は読まない方がいいかもしれない。

 

特に印象に残ったのは、ヘンリー・リー・ルーカス。

10年余りの間に、わかっている限りで360人を殺害したとして死刑を宣告された。改心して犯行を自供し、獄中から捜査に協力した。

映画化された小説「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士のモデルとされる(本書出版後の2001年に獄中で、心不全のため死亡)。

 

本書によると、生い立ちが不幸。母親から虐待を受け続け、その母親を殺害した。

その後、殺人組織「死の腕」に入会し、依頼を受けて殺人を繰り返す。

犯行仲間の親戚の少女ベッキーと、恋人のような関係になる。

ベッキーは当初、ヘンリーの犯行を目撃しても平然とし、遺体の処理を手伝っていたが、キリスト教信者と接するうちに改心し、生き方を改めようと、ヘンリーに迫るようになる。

ある時、口論になり、ベッキーに箒でたたかれたヘンリーは、とっさにナイフで彼女の喉を切り裂いて殺してしまう。「ヘンリーは泣き崩れた」という簡単な記述しかないが、ここが唯一人間らしさを感じさせるところ。

その後、逮捕されて拘留中に「ヘンリー。すべての罪を告白し、わたしについてくるのです」という神の声を聞いて改心し、これまでの犯罪を告白した。

「神の声」とは、ヘンリーの心の奥底に残っていた良心が表れたのだろうと想像する。

 

ほかに本書で紹介された6人のうち、アーサー・シャウクロスは最終的に、殺人を繰り返す自分が自分で恐ろしくなり、自首する。

残り5人は改心がうかがえない。

ジェフリー・ダーマーは、逮捕され刑務所に収容されてからも映画「羊たちの沈黙」を見たがって、差し入れを頼んでいたという。

アルバート・フィッシュの愛読書はエドガー・アラン・ポーの「落とし穴と振り子」。理由もなく監禁され、床に固定された男の上から、巨大なカミソリの振り子がだんだんと降りてくるという内容で、フィッシュは「いたぶられる側の心理がよく書けている」と気に入っていたのだという。

 

「彼らは、なぜ、こんなにひどいことをしたのか」と、読者が感じるだろう疑問に、本書の著者は、あとがきで答えている。

 

著者は、幼い頃に虐待を受けたという生い立ちに着目。

「殺人犯は恐ろしい。しかし、彼らは誕生した瞬間から殺人鬼ではなかった。〝造られた〟いわば、フランケンシュタインの怪物なのだといってもよい。詳細は個々によって違うが、多くの者は自分で自分の身を守ることもできない幼い頃に、剥き出しの魂を汚され、陵辱されている。幼い心に刻まれた傷は、彼らがたくましい力を得た瞬間に爆発力を伴って〝パンドラの箱〟をこじ開ける。社会が凶悪犯罪者から自分たちを守るためには、絶望の淵に立たされている〝幼い魂〟を救い出すことしかないのだとつくづく思う」と書いている。

 

「パンドラの箱」と、意味深な表現をしているのも、面白い。

ここで言う「パンドラの箱」とは、人間の心の奥底に眠る、野生動物の心だというような趣旨の説明もある。

 

世の中には「サイコパス」と呼ばれるタイプの人間がいると聞く。

他者への愛情や思いやりといった感情が欠け、自己中心的。不安や恐怖を感じにくく能弁で行動的。脳の扁桃体の機能不全が要因だとの研究もあるようだ。

全員が犯罪者になるわけではなく、社会的な成功者もいるとされる。

 

著者の見方を応用すると、サイコパス気質に不幸な生い立ちが加わると、犯罪者として、スイッチが入るということかもしれない。

 

少なくとも言えるのは、人間の心には闇があるということだ。

 

何だか、気が重くなった。

 

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