「つくられる偽りの記憶」越智啓太
私は3歳くらいの頃、銭湯で溺れて死にかけた。水の音や浮遊感を覚えていて、おそらく人生で一番古い記憶。そのせいか、水中が怖くて水泳が苦手。全く泳げない。
一方、長女が1歳くらいの頃、湯を張ったたらいに入れて遊ばせていた。漫画に夢中になり目を離していたら、長女はたらいの中で転んで溺れていた。その後、長女は水中を怖がるようにはなっていない。本人に聞いても「覚えていない」と言う。
人間は、だいたい3歳くらいの頃より以前のことを覚えていられないらしい。
「幼児期健忘」と呼ばれ、20世紀初めに精神分析学の創始者ジークムント・フロイトが着目して、研究されるようになった。
自己認識や言語力が不十分で記憶を長期間保持できないのか。その後の脳の成長で検索できなくなるのか。原因は諸説あるようだ。
確かに、1歳くらいの頃の記憶は、私もない。
私の母によると、1歳くらいの頃の私がアイロンを触らないよう、一度、少し熱い状態で手に当てた。その後、私は、アイロンを見せると「あち(熱い)」と言い、冷たいアイロンにも近寄らなくなったそうだ。
当時の私も幼いなりに記憶し、学習する能力はあったとみられるが、この出来事は、今や私の記憶には全く残っていない。
自分が覚えていない、もう一人の自分がそこにいる。同一人物なのに、他人のようだ。
物心つく以前は、人間として自己が確立していない、幼虫かサナギの状態なのか。チョウやカブトムシのように劇的に外観が変わらなくても、中身は変わっている。
何を感じ、考えていたのか。その頃の自分と話してみたい。
ここから本題
本書「つくられる偽りの記憶」は、出生時の記憶や前世の記憶、エイリアンに誘拐された記憶がどのようなものなのか、それら「偽りの記憶」がどのようにつくり出されるのかを解説する。
著者は、心理学の研究者。
「第3章 生まれた瞬間の記憶は本物か?」で、幼児期健忘にも触れている。
一番古い記憶を探る方法として、時期が客観的にわかるもの、例えば、弟や妹が生まれた時の記憶があるかどうかを挙げている。
ちなみに、私の場合、3歳下の弟が生まれた時の産科医院の病室の景色をうっすらと覚えている。おそらく、私が待ちくたびれて、ぐずったのだろう。「電人ザボーガー」(特撮テレビ番組)のおもちゃを買ってもらい、そこで遊んでいたという記憶がある。
本書によると、「トラウマ体験」、つまり、自分の生命を左右するような深刻な事故や事件、性的な虐待などの出来事でさえ、生後23~36カ月以前の出来事は記憶に残っていないとの研究があるという。
この頃は記憶力がないのかというと、そうではない。
人間は、1歳くらいの頃までに、言葉を覚えて、しゃべることができるようになる。それ以前に生後2週間程度で母親を見分けられるようになる。これは、母親の顔や匂いなどを記憶しているからできることだという。
記憶には、「日本の首都は東京だ」というような知識としての「意味記憶」、自転車の乗り方や料理の仕方のようにスキルや手順に関する「手続き記憶」など、種類がある。
「いつ、どこで、誰が何をした」というような体験や出来事に関するものを「エピソード記憶」といい、幼児期健忘とは、3歳くらいより以前のエピソード記憶がないことを指す。
まれにそれ以前のことが想起されても、せいぜい2歳程度まで。2歳以前の出来事は、ほぼ想起できないということが、多くの研究で一致しているという。
エピソード記憶は、他者と会話し、他者と体験を分かち合うことで形成される能力。
子どもが他者と会話し、体験を分かち合えるようになるのは、3歳くらいの頃から。このため、それ以前の記憶は、エピソード記憶として、保存できないという。
出生時の記憶についての検証も、面白い。
本書によると、心理学者チェンバレンが、退行催眠によって出生の瞬間にまで記憶をさかのぼらせるという実験をした。
チェンバレンの著作「誕生を記憶する子どもたち」で紹介する事例のひとつでは、ある女性が生まれた時の病室の様子、看護師の服装や体形、父親の顔や服装など鮮明なイメージを語るという。
一方、赤ちゃんの認知能力の研究では、赤ちゃんの視力は0.1程度。生後6カ月くらいまでは0.1を超えない。大人と同様な視力になるのは、4~6歳くらい。
また、赤ちゃんはコントラストの認知能力が低く、大人の10分の1以下。
さらに、赤ちゃんの目の焦点は20~30センチのところに合っていて、それ以上離れると、完全にぼやけてしまう。
こうした認知能力の低さは、視覚的なイメージを処理する脳の部位が未発達なためだという。
著者は「もし、赤ちゃんが見たイメージが脳内に残っていて、仮に、催眠によって引き出すことが可能だとしても、それは、ぼやけてはっきりしない混沌であり、チェンバレンが書いているように人の顔や服装がはっきり見える形にならない」と指摘。
誘導によって、出生時の記憶がつくり出された可能性を示唆する。
「第1章 その目撃証言は本物か?」では、冤罪事件が生じる仕組みに迫る。これも、興味深い。
事例として、米国のウォルター・シュナイダー事件を紹介。
女性がレイプ被害に遭った事件で、被害女性の証言により、容疑者の男性が特定され、有罪判決を受け、服役した。事件から7年後にDNA鑑定によって冤罪だと判明した。
なぜ、冤罪が起きたのか。
本書によると、刑事が事件を捜査し、容疑者を7人に絞り込み、その写真を被害女性に見せた。この時点では、女性は、どの写真もピンと来なかった。しかし、ここで、近所に住む1人の顔が女性の記憶にインプットされてしまった。
その3日後、女性は、その男性を見かけて「この顔はどこかで見たことがある」と感じ、レイプ事件で顔を見たのではないかと思い込んでしまった。
女性は、この男性が犯人かどうか、記憶をたどって確かめようと、レイプ事件の記憶にこの男性の顔を当てはめてイメージすることを繰り返した結果、イメージが明確になり、この男性が犯人だと信じ込むに至り、刑事に連絡したと考えられるという。
同様に、刑事が聞き込みをする際に、相手に先入観を与えて誘導してしまう可能性にも言及している。
本書は、記憶をテーマにした映画作品に触れながら、記憶の仕組みを解説するコラムも面白い。
マット・デイモン主演の「ボーン・アイデンティティー」、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「トータル・リコール」などを取り上げている。
「私は、小学生の頃から映画とともに育ってきました。小説家の童門冬二さんは『人生で大切なことはすべて映画で学んだ』というエッセイを書かれていますが、私自身も専門分野である心理学も含めて、重要なもののほとんどは映画館で学んだといっても過言ではありません。とくに記憶研究については、まさに教材といってよいようなすばらしい作品が数多く存在しています」と、著者は述べている。
著者の横顔を見た思いで、親しみがわいた。