「マッドメン」諸星大二郎
諸星大二郎の作品は、だいたい、どれも好きだが、特にお気に入りが「海神記」と、この「マッドメン」。
「マッドメン」は、精霊を信じて自然と調和した暮らしを送るパプア・ニューギニアの民族の神話に迫る物語。
精霊に守られて不思議な力を持つガワン族の少年コドワと、その異母妹で日本の少女・波子の2人が主人公。
物語で描かれる神話は、作者の創作だと思うが、日本の神話とも対比させながら展開され、面白い。
民族の暮らしは「未開」だとして、キリスト教とともに入り込む現代文明とのせめぎ合いも描かれる。
「天国の鳥」というエピソードでは、山奥に暮らしていたガワン族の一氏族が、キリスト教の宣教師らに伝統的な暮らしを否定され、村を捨てて出ていく。
コドワは「それがいいのかもしれん。もはや、この地上に原初の汚れのない人間の住めるところはない」と、つぶやく。
基本的には、民族の伝統的な文化を守ろうというメッセージが貫かれるのだが、「自然礼賛、文明批判」といった単純なメッセージではないところがいい。
押しつけがましさがない。
例えば、「鳥が森に帰る時」というエピソードでは、聖書のノアの方舟のような伝説が描かれる。災害のため山奥に逃れて隠れ住む「森の老人」は、危険が去ったことを知らせる「鳥」を長年待ち続けている。
文明の弊害を知るコドワは、「鳥」が帰ってきたと伝えて、森の老人が文明のある村に降りてこられるようにするべきか、悩んだ末、「鳥は帰ってきたぞ」と伝える。
なぜ、そう判断したかが、もう少し掘り下げてあるといいような気もするが、そこは読者が考えなさいということかもしれない。
パプア・ニューギニアを含むメラネシアの「カルト・カーゴ」も描かれる。
カルト・カーゴは、先祖の魂が飛行機や船に文明の利器を積んで自分たちのもとに訪れるという、幸の到来を待つ信仰。
だから、たしか、空を飛ぶ飛行機は先祖の乗り物で、いつか、自分たちのところに降りてくると考えている、という信仰だったと思う。
物語が進むにつれ、コドワと波子はガワン族の神話で最初の男女「カウナギとナミテ」(日本神話の国生みの神イザナギとイザナミみたいだ)の生まれ変わりとして扱われていく。
波子を迎えた村では、住民が「ナミテが来た。ナミテはいいものをたくさんもってくる」と歓迎される。
この神話では、「大いなる者」が石とバナナを与えたところ、カウナギとナミテはバナナを選んだため、人間が不死ではなく、死ぬ身となったという話が出てくる。
カウナギとナミテが火(文明の象徴)を盗んだため、その呪いで、ナミテが火で焼け死ぬという話も出てくる。
コドワと波子は行きがかり上、神話の出来事を再現することになるが、そうすると、波子は火に焼かれて死ななければならない。
最後のところで、コドワは「先祖の二の舞はごめんだ。おれの神話は自分でつくる」と言って、波子と一緒に逃げだす。
ガワン族の神話を信じ、大いなる者の加護で不思議な力を発揮してきたコドワが最後に、大いなる者のもとから逃げだすというのがとてもいい。
物語は、2人を支援してきた関係者が、コドワと波子はどこかで幸せに暮らしているのだろうと想像する場面で終わる。
余韻があって、いい。
漫画家・楠桂の「人狼草紙」も同様なラストで、「マッドメン」を思い出させる。
余談だが、、、
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の「THE MADMEN」という曲は、この漫画に着想を得たものらしい。
(なお、漫画「マッドメン」にも登場するマッドメンとは、パプア・ニューギニアの民族の祭礼で祖先の霊に扮装した者。全身に泥を塗り、土製の仮面をかぶる。英語のつづりは「MUDMEN」)。
聴いてみたけど、私が描く「マッドメン」のイメージとは違う。
ディープ・フォレストの曲「ディープ・フォレスト」のほうが、マッドメンのイメージに合う気がする(アフリカの民族の歌声などを取り込んだ曲だけども・・・)。