「鬼切丸伝」楠桂
漫画家・楠桂の「鬼切丸伝」は、鬼を斬ることができる唯一の刀「鬼切丸」を持つ主人公が、歴史のさまざまな時代に潜む鬼を探して退治する物語。
同じ作者の作品「鬼切丸」の外伝的な作品だ。
基本的には1~3話でひとつのエピソードが構成される。
織田信長、源義経ら武将のほか、世阿弥、小野小町ら文化人も含めて歴史上の人物が物語に絡み、興味深い。
この作品の世界では、人間は深い恨みや悲しみ、あるいは愛情や執念がもとで、人間を喰らう鬼になる。
鬼には普通の武器は通じず、鬼を傷つけられるのは、別の鬼の攻撃か、鬼切丸だけ。
つまり、この作品では、歴史のさまざまな場面で人間が抱いた恨み、悲しみ、愛情、執念などが描かれる。ここにドラマがあり、面白い。
「悪魔は人間の心の中に潜む」というメッセージを発する名作漫画「デビルマン」(永井豪)の外伝的な作品で、主人公らが歴史のさまざまな時代に潜むデーモンを退治する「新デビルマン」を思い出す。
「鬼切丸伝」の主人公の少年には、名前がなく「鬼切りの者」などと呼ばれる。
主人公とともに鬼に立ち向かうサブ主人公的なキャラクター、鈴鹿御前が魅力的だ。
主人公は鬼を倒すのが使命。「神の忌み子」という不思議な存在で、誕生の経緯から人間が嫌い。人間を助ける気はない。
鈴鹿御前は鬼だけども、坂上田村麻呂と結ばれて子を産み育てた経験から、人間を愛し、人間を助けるため鬼と戦う。
この2人の絡みがいい。
主人公は、鈴鹿御前がとりあえず人間に危害を加えていないので、斬らない。「お前がいつか人間に裏切られ、鬼の本性を出す時こそ、斬ってくれよう」と言い放つ。
これに対し、鈴鹿御前は「では、わらわは、お前が人間に魅せられ、人間に成れることを願うようになるのを見届けよう」と言い返す。
主人公の頑なな心が、伊賀のくの一(女忍者)、蓮華が登場するエピソード(4巻に収録)では、揺れる。
蓮華は、伊賀忍法の秘法とやらで、死んだら鬼に変化するという呪いをかけられた。
鈴鹿御前は「その娘、生きている限りは全く鬼の影もない。鬼になるのを待って斬るよりも、鬼にならぬよう見守ってやるのはどうじゃ?」と主人公に提案。
戸惑う主人公に対し、「その娘と生きるがよい」と背中を押す。
蓮華と暮らすようになり、主人公の頑な心は和らぎ始めるが、平和は長く続かない。
蓮華は織田信長に捕まり、拷問を受けて死ぬ。そして、鬼となる。
駆けつけた主人公は人間の愛情に気づき、自らも蓮華を愛していたことを思いながら、泣く泣く蓮華(鬼)を斬る。
予想された結末だが、やはり、せつなくなる。
このエピソードの後も、主人公は人間嫌いのままなんだけども、鈴鹿御前には、ちょっと、優しくなる。
危機に陥った鈴鹿御前を助けに行ったり、鬼の攻撃を受けて体勢を崩し、転びそうになった鈴鹿御前を抱き止めたりする。
今のところ、単行本は22巻が最新刊のようだ。私は17巻まで買って読んだ。
宇喜多直家のエピソード(9巻)と楠木正成のエピソード(15巻)が特に面白い。
宇喜多直家は備前国(岡山)の戦国大名。出雲国(島根)の尼子経久、安芸国(広島)の毛利元就とともに、「中国三大謀将」とも呼ばれる。
子どもの頃、家が没落して仇敵の浦上宗景に仕える。
この作品の設定では、直家は宗景の男色の相手まで務めさせられ、恨みから鬼になりかけるが、なりきれず、現れた主人公は直家を斬らずに見逃す。
直家は、鬼となって宗景を殺すことすらできないと悲観して毒グモを集めて飲み込み、その毒で自殺を図ろうとするが、死なず、その代わりに、傷を負ってもすぐに癒える身体となる。
その後、謀略と裏切りを尽くして大名にのし上がり、娘たちを嫁がせて安心させた相手を攻め滅ぼして勢力を広げる。
直家には、自分と同じく、傷を負ってもすぐに癒える能力を持つ娘たちは、嫁ぎ先を攻めても生き延びられるだろうとの読みがあったが、娘たちは直家の裏切りを恨んで自害し、鬼となって直家を襲う。
娘たちの恨みの深さを知った直家は、「よかろう。父親としてやれる最後のはなむけじゃ。娘たちよ。わしを喰い殺すがいい」と、腹をくくる。
悲惨な生い立ちゆえに謀略と裏切りの将となっても、娘たちへの愛情があったというのだろうか。それにしても、ものすごい決断だ。
ところが、主人公が、鬼となった娘たちを倒す。
直家の「ああ。わしは鬼になることも、死ぬことも、娘に殺されることも、かなわぬのか」という、嘆きがせつない。
このエピソードを読んで、直家に興味がわいた。
楠木正成は、足利尊氏らとともに、後醍醐天皇を助けて鎌倉幕府を滅ぼす。
その後、後醍醐天皇の貴族優遇&武士冷遇の政治に反感を抱いた武士たちのリーダーとなった尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻すと、尊氏と対立し、圧倒的に不利な戦いに果敢に挑んで敗れて死ぬ。
最後まで天皇に忠義を尽くした武士として、のちの世の人々に敬われる。
この作品では、尊氏が、後醍醐天皇の政治は間違っているから一緒に立ち向かおうと、正成を誘う場面が描かれる。
尊氏は、正成を尊敬しており「われらが組めば、必ずや天下をも取れるはず。どうか決断を。楠木殿」と迫るが、正成は断る。
その後、死んだ正成は、鬼となって、尊氏に立ち向かう。
そして、尊氏と対面した正成(鬼)が本心を明かす。
「わしは、そなたに仕えたかった。帝に忠誠を誓いながらも、倒幕の同志として敬愛していた。そなたがいたから、鎌倉幕府を倒せたのだ」「わしは、あの時、尊氏殿を選びたかった」「尊氏殿。わしと組んで、この乱世を終わらせようぞ。われらが組めば、必ずや天下をも取れるはず」と。
これに対し、尊氏が一喝する。
「お前は何者だ。私の知っている正成殿は忠義の塊ぞ。決して主上を裏切らぬ武家の中の武家ぞ。楠木正成はお前のような鬼にあらず」と。
そう言われて一瞬、われに返った正成は、主人公に斬られて消える。
主人公が、また正成が鬼となって襲うかもしれないから気をつけるよう、尊氏に忠告すると、尊氏は答える。
「いいや、正成殿は、もう現れぬよ。あの刹那、元の正成殿に戻ったのだろう。わが友は、もう二度と鬼になることはあるまい」と。
かっこよすぎる。足利尊氏。
そして、本当は尊氏に仕えたかったのに、その思いを秘めて、天皇に忠義を尽くした楠木正成も、かっこよすぎる。
このエピソードを読んで、尊氏も、正成も、大好きになった。
実際に、尊氏と正成の胸の内がこうだったら、とてもいいドラマだ。
そうであってほしいと思った。
このエピソードは歴史のアレンジぶりが素晴らしい。
あと、詳細は省くが、源義経のエピソード(2巻)、大谷吉継のエピソード(6巻)も、いい。
源義経は、この作品では、無欲でおおらかな人物。漫画家・手塚治虫の名作「火の鳥」シリーズの「乱世編」に登場する、野心の塊で冷酷な義経もいいが、この作品のようなキャラクター設定も面白い。
茶会の場面で大谷吉継に思いやりを示して感動させるのは、この作品では、石田三成。小説家・富樫倫太郎の作品「白頭の人」では、豊臣秀吉だった。読み比べると面白いと思う。