「ナショナルジオグラフィック日本版 30年トップ・ストーリーズ」
雑誌「ナショナルジオグラフィック」は好きで、時々、図書館で借りて読む。今回は珍しく書店で購入。日本版創刊30年を記念した特別号だ。
創刊号から2千本を超す特集記事の中で、人気の高かった記事5本を再掲載している。
特に面白かったのは「アラビア半島 伝説の大砂漠へ」(2005年2月号)と「謎に満ちたモアイ」(2012年7月号)。
「アラビア半島 伝説の大砂漠へ」
アラビア半島南部に広がり、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、オマーン、イエメンの4カ国にまたがるルブ・アルハーリー砂漠で、遊牧民族ベドウィンの暮らしを追うという特集記事。
記事によると、1930年代以降、米国の石油採掘業者がアラビア半島南部に目を付け、大量の石油資源が見つかった。
オイルマネーで、政府が「マルカズ」という定住地を整備するようになり、ベドウィンの生活は変わった。
一方で、伝統的な暮らしを続けるベドウィンもいるという。
記事は、オマーンにあるマルカズのひとつで現代的な生活を送るベドウィンを紹介。
家々はフェンスや漆喰の壁に囲まれ、通りは舗装されている。ある家に招かれて入ると、どの部屋も清潔で広々としており、テレビやステレオ、パソコンもあるという。
取材したジャーナリストは、伝統的な暮らしと現代的な暮らしの狭間で複雑な思いを抱いているのではないかと思い、住民に聞くと、現在の生活を喜ぶ声が返ってきたという。
いくつか挙げると、以下の通り。
「私たちは相変わらず、ラクダを飼育して売買している。そして、ラクダの乳を飲み、ヒツジやヤギの肉を食べる。でも今のほうが、ずっと暮らしやすい。昔は医者にもかかれなかったし、子どもたちの通う学校もなかった」
「砂漠のテントが住まいだった頃は、持ち運びできるものが財産のすべてだった。でも、オマーン政府が石油のもうけを国民に分けてくれたから、私たちは学校も病院もあるマルカズに無料で住めることになった。最初のうちは半信半疑だったよ。でも今はすっかり慣れた。ここの生活はいい」
政府は、織物やラクダの乳搾りといった伝統的な技術を守るために祭典を主催する。それに、ラクダやヤギは村はずれで飼育されているので、ベドウィンは砂漠を毎日通って昔ながらの生活も味わえるのだという。
住民は「私たちは、二つの世界のいいところを取り入れているのさ」と言い表す。
一方、記事は、対照的なイエメンのベドウィンも紹介する。
イエメンは、豊富な石油資源がない。このため、近隣諸国のように、オイルマネーで住宅、教育、医療を無料でベドウィンに提供するといった制度は、ないという。
イエメンのベドウィンは、砂漠にテントを張り、家畜に食べさせる草を求めて、週単位、あるいは月単位で移動を繰り返す者もいる。砂漠のはずれにあるテント村で半定住の暮らしをする者もいれば、四輪駆動車でラクダを追う者もいるという。
都会に出れば近代的な生活ができることは誰もがわかっている。
なぜ、都会に移らないのかと尋ねると、ある長老が次のように答えたそうだ。
「わしの生活はラクダが中心だ。ラクダを養ってやり、ラクダに養ってもらうのさ。町や都会に引っ越してしまったら、ラクダはどうすればいい? やつらの面倒を見てやるのが、わしの仕事なんだ」
「もちろん、サウジアラビアやオマーンみたいにオイルマネーで潤って、マルカズができればいいと思うよ。もしそうなら、子どもたちは教育を受け、進む道の選択肢も広がるしね。でも、わしの人生はラクダとともにあったし、それは生まれた時から決まっていたんだ」
オマーンでマルカズに暮らすベドウィンと、イエメンで伝統的な遊牧生活を送るベドウィン。暮らしは対照的だけども、現状を受け入れて暮らしているという点は共通。
そこに暮らす人にインタビューしているのだから、そういう答えが返ってくるのは、当たり前ではあるのだけども、環境に順応する人間のたくましさをあらためて感じた。
私は、日本みたいな豊かな国に生まれてよかったと思うのだけども、もし、イエメンのベドウィンだったら、その暮らしにも順応して「私の人生はラクダとともにある」と言えるのだろうか。
「謎に満ちたモアイ」
巨大なモアイ像で知られる南太平洋のイースター島。何百年も前に、数多くの巨大な石像をどうやって運んだのかという謎に迫る特集記事。
記事によると、イースター島は、淡路島の4分の1ほどの大きさ。南米大陸から西へ3500キロ離れた絶海の孤島だ。
モアイは、高さが1~10メートルで、重さは最大だと80トンを超す。
1722年、オランダ人の探検隊が上陸した時、島民は石器を使っており、家畜や車輪を持たなかった。
つまり、モアイは、島の石切場から、石器を使って切り出され、最長で18キロ離れた祭壇まで、人力で運ばれたということだ。
モアイ像はどうやって運ばれたのか。
これまでに考えられてきた仮説は、「木の幹に乗せて180人で引いた」「木製のそりに乗せて丸太のころの上を運んだ」など。
この記事では、「石像は歩いた」という先住民ラパヌイの伝承をヒントに2011年、考古学者のテリー・ハントとカール・リポが新たな仮説を立て、実験した内容を紹介している。
新たな仮説は、モアイ像を立てて、左右に揺らしながら前進させたというもの。
18人の人手を使い、高さ3メートル、重さ5トンのモアイの複製を数百メートル動かすことに成功した。
人手は3組に分かれる。左右の2組は、モアイの頭部につないだロープを交互に引き、交互にモアイを左右に傾ける。後方の1組はバランスを取る役目。
モアイの底面は、「D字形」になっており、傾くと、反対側の底面が前に出る。これを繰り返すと前進させられるという方法。
もし、この運搬法が正解だとしたら、考案した先住民の知恵はすごいと思う。
本書「ナショナルジオグラフィック日本版 30年トップ・ストーリーズ」は、人気の特集記事5本のほかにも、主な記事を簡単に紹介している。
「静かなる森の巨人」(2012年12月号)の記事で掲載された写真が良かった。
米国カリフォルニア州のセコイア国立公園にあるジャイアントセコイアの巨木で、樹高75メートル、樹齢約3200年だという。
調査のために取り付いた人間が小さく見える。
「潜入! 巨大結晶の洞窟」(2008年11月号)の記事で掲載された写真も、面白い。
メキシコ北部のチワワ砂漠の地下にある洞窟で、世界最大の石こうの結晶が見つかったという。
長さが10メートルを超えるものもあり、やはり、調査のため取り付いた人間が小さく見える。