「正露丸のラッパ」田中聡
正露丸はもともと、日露戦争に出征する兵士たちのために陸軍が開発した薬だったという。
それまでクレオソートはヨーロッパからの輸入に頼っていたが、これを国産化し、さらに生薬を数種加えることで、新たな薬として完成された。
当時の戦争では、戦死者よりも病死者のほうがずっと多かったくらいで、安価で有効な薬を国産化することは極めて重要な課題だったのである。
こうして生まれた薬は「征露丸」と名付けられた。文字通り、ロシア征伐のための薬という意味で、士気高揚のためのネーミングだった───
本書は、薬のパッケージやネーミングに関する考察が展開される。
気軽に、さらっと読める。
正露丸の名前の由来は、知らなかったので興味深い。
なぜ、いろんなメーカーが同じ商品名で作っているのか、大幸薬品のものはなぜ、ラッパのマークなのかといった謎にも触れている。
私が子どもの頃を思い出すと、正露丸は、腹痛はもちろん、歯痛にも使われていた。
腹が痛いと言うと、正露丸を飲まされ、虫歯が痛いと言うと、虫歯の穴に正露丸を詰められたものだ。
大幸薬品のホームページによると、効能は「軟便、下痢、食あたり、水あたり、はき下し、くだり腹、消化不良による下痢、むし歯痛」と書いてあるから、間違った使用法ではないと思うが、歯痛にも効くというのは、どんな理屈だろうか。
さらにホームページを見ると、「使用上の注意」に「むし歯痛に使用する場合、本剤は一時的に痛みをとるのみで治療効果はありませんので、痛みが治まってもなるべく早く歯科医師の治療を受けてください。また、痛みがやわらげば、本剤をむし歯の穴から取り除き、決してつめたまま放置しないでください」と書いてある。
恥ずかしながら、初めて知った。
今では、見なくなった傷薬の「赤チン」も思い出した。
ウィキペディアで調べてみると、「マーキュロクロム液」というもので、殺菌、消毒の効果があるのだという。
恥ずかしながら、知らなかった。傷を癒やす効果があるのだと思っていた。
子どもの頃、実家で飼っていた金魚が病気か何かで弱った時に、祖父が金魚を引き揚げて赤チンを塗っていたのを覚えている。
今にして思えば、水から引き上げられたうえに、いじくり回された金魚は、かえって容体を悪化させていたのではないだろうか。
私が子どもの頃は、「インフォームドコンセント」などという言葉も発想もない時代で、全体的に世の中がおおらかだった。
「正露丸と赤チンで何とかなる」と、素直に受け止めて信じていたのだと思う。
この点、当時のわれわれは、まじないで病を治そうとした古代の先人たちと大差ないのかもしれない。
本書には、今では見かけなくなった置き薬(家庭配置売薬)が多数登場する。
これが、とても、懐かしい。
私が子どもの頃は、家庭薬配置業者が定期的に各家庭を訪ねてきた。
親に聞くと、「富山の薬売り」と言っていた。
当時は、リヤカーにカニを満載して売り歩く行商人もいたので、薬もそういうものなのだろうと、あまり疑問に思わなかった。
ただ、おそらく遠くから来ていて、大変な仕事だなとは感じた。
私の実家にあった置き薬の箱は、赤い色で、獅子頭が描かれていた。
私が大人になって実家を離れてからだったと思うが、時代が変わって置き薬など使わなくなり、親が箱を捨てるというので、私は、もったいないと思って、引き取った。
残念ながら、どこにやったか、忘れてしまった。
実家にあった黒電話も同様だ。
私が引き取ったけども、今、どこにあるのかは、わからない。
それはさておき、本書では、この置き薬のパッケージに、河童や天狗、鬼などが描かれていることについて、考察が展開される。
鍾馗が鬼(病気)を退治するなど、古来の伝統的な発想が生かされているのだという。
現代の医師が江戸時代にタイムスリップして活躍する医療漫画「JIN─仁─」(村上もとか)を思い出した。
作中で、コレラだったか、病封じのまじないとして、鍾馗を描いたお札が出ていた。
たしか、主人公が、これは非科学的な迷信だと言って、お札を剥がし、庶民に現代医学に基づく治療を施すのだったか。
本書「正露丸のラッパ」では、昔の置き薬のパッケージが紹介されていて、眺めていると楽しい。
私も、昔の置き薬を取っておけばよかったと思った。
(私がたまに行く銭湯には、ケロリンおけが置いてある。レトロ感がいいのか、若者に喜ばれるのだそうだ)
余談だが、私は30年くらい前、街中を歩いて変な看板や古い看板を見つけ、写真に撮るのが好きだったことがある。
ほおっておいたらなくなってしまうのではないかと思い、とりあえず、写真に撮って残そうと考えたわけだ。
赤瀬川原平の路上観察にも、大いに影響を受けた。
撮りためた写真の大半は所在不明だが、いつか探索して紹介したい。