「火の鳥 望郷編」手塚治虫
小学生の頃に読み、衝撃を受けた漫画のひとつ。近親婚、人肉食が描かれる。
生きるためにはそうまでしないといけないのか、という重いテーマを突きつけるのだが、発端は若いカップルの駆け落ちというところが面白い。
<前半のストーリー>
前半のストーリーを要約するのは難しいが、なるべく簡単に説明すると、、、
主人公ロミは恋人のジョージと駆け落ちして、無人の星エデン17に移住。ジョージが事故で死んでしまい、幼い息子カインと2人になったロミは、冷凍睡眠をして時を稼ぎ、成人したカインと結婚。男の子しか産まれなかったため、カインとの息子とも結婚するが、またも男の子しか産まれない問題に直面する。
一方で、ロミの冷凍睡眠中にカインやその息子たちは食料難に見舞われ、カインが自らを犠牲にして息子たちに食べられていた。ロミは、そのことを知ったうえ、さらに、女の子を産むためには肉食が必要だとしてカインの息子の一人(セブ)を食べる案を聞かされて、ショックを受けて冷凍睡眠室に引きこもってしまう。
長年の眠りから覚めたロミが外に出ると、町ができていた。火の鳥が連れてきたムーピーという生物と、ロミの子らの異種結婚で、新人類が栄えていたのだ───(以上、前半のストーリー)
<考察その1・もともと近親婚の可能性をはらんでいた>
ロミは最初、この星で人類を繁栄させようみたいなことまでは、考えていなかった。
可愛い息子カインをひとりぼっちで死なせられないという思いから出発している。
そのために、冷凍睡眠をして、カインと結ばれる。「このままでは、この星の人間が絶えるから子孫を残すため」という理屈は、その時にカインを口説くために出てくる。
でも、よく考えたら、もともと、ロミとジョージは2人だけでこの星に来た。
ジョージがすぐに事故で死ななかったとしたら、子どもが男女とも何人か産まれたかもしれないが、その後、どうするつもりだったのだろうか。
2人は駆け落ちして地球から逃げてきたので、たぶん、そんな先のことまでは、考えていなかったというのが実際のところだろう。
ほかに人間はいないのだから、2人の息子&娘は、やっぱり近親結婚するしかないことになる。ここで、まず、倫理的なハードルにぶち当たる。
これを乗り越えても、同様に、男の子しか産まれない問題に直面したかもしれない。
なお、近親婚は、劣性遺伝子が発現して、先天性疾患や障害のある子どもが生まれるリスクが高いとされる。近親婚がタブーとされるのはそのためだと考えられる。
ただし、古代の王家などで近親婚が繰り返された実例がある。
漫画家・里中満智子が古代エジプトの王家を題材にした作品「アトンの娘」では、主人公の王女アンケセナーメン(のちにツタンカーメンの妻となる)が、父アケナートンとの近親婚に戸惑う様子が描かれる。アンケセナーメンの母ネフェルティティも、外国から嫁いできた当初は、この国の王家の近親婚に戸惑ったと述懐する場面がある。
ついでに言うと、この作品では男×男の同性愛も描かれる。
同じく里中が古代天皇家を題材にした作品「天上の虹」では、主人公の鵜野讃良皇女(のちの持統天皇)が叔父の大海人皇子(のちの天武天皇)と近親婚をするが、その点を嫌がってはいなかったと思う。
本書「火の鳥 望郷編」は、近親婚のリスクを「男の子しか生まれない」という形で表現した。わかりやすくするためで、漫画らしい演出だし、良い工夫だと思う。
このような子孫の近親婚リスクを考慮せず、ある意味、勢いのまま無計画にとも言えるロミとジョージの駆け落ちを責める気はない。若者の情熱とは、そういうものだろう。
無人の星で、2人きりの満足度は高いと思う。
漫画家・高橋留美子の名作「めぞん一刻」のエピソードを思い出した。
五代裕作、音無響子らレギュラーメンバーが無人島に見える海岸(実際には無人島ではない)に取り残された話。五代と響子の2人だけが生き延びて、何人も子どもをもうけるという五代の妄想が描かれる。これも、もし本当に無人島でそうなっていたら、2人の子どもたちは近親婚に直面するのかと思った。
「めぞん一刻」の場合は、無人島ではなかったというオチで終わるが、本書「火の鳥 望郷編」では、ロミは過酷な運命にさらされ、悩み苦しんだ。
気の毒だとしか、言いようがない。
頼りのジョージはすぐ死んでしまったので、余計にかわいそうだった。
長年の冷凍睡眠から目覚めたロミは、エデン17の女王として、新人類に慕われ、安らかに暮らす。
しかし、年を取るにつれ、望郷の念を募らせる。
<後半のストーリー>
後半のストーリーを要約すると、、、
ロミは協力者を得て、地球への旅に出発。いろいろ苦労はあったが、地球に不法侵入の形で、たどり着く。しかし、旅の途中に受けた若返り治療の副作用のため、あと一日しか生きられない状態になっていた。ロミは最後に地球に帰れたことに満足して死ぬ。
一方で、ロミ不在となったエデン17には悪者が入り込み、その策略で新人類は自滅の道を歩み始め、火の鳥がトドメを指す(火の鳥は、この局面では、なぜか見切りが早い。新人類を助けようとはしない)───(以上、後半のストーリー)
<考察その2・エデン17の新人類を滅ぼす必要があったのか>
帰郷の旅に出る前のロミは老女になっていた。
地球到着時点で、仮に余命1日でなかったとしても、不法侵入の罪で殺される流れになっていた。
むしろ、殺害される前に、天寿全うの形で死ねたのは、よかったのではないか。
しかも、最初の駆け落ち時くらいの年頃に若返った状態で、地球に帰ってきたというのが、面白い。いわば、時計を巻き戻したような状態。
この点も考慮すると、良かったどころか、幸せな最期だったと言えるかもしれない。
しかも、遺言により、ロミの遺骨は、エデン17に葬られ、ロミとジョージの魂が幸せそうに邂逅する。
本書は、結末が若干、不条理だという点でも、印象深い。
エデン17の新人類を滅ぼす必要があったか、ということ。
ここは疑問だ。
特に、ロミがお忍びの旅に出られるよう、ロミ不在中にロミに化けていた親切なムーピーは、気の毒としか言いようがない。
悪人の策略で、新人類が悪の道に走ったことにも、このムーピーに落ち度はない。
なのに、火の鳥は、「悪の道に走った新人類を立ち直らせられなければ、この星を滅ぼす」旨、ムーピーに通告する。
これは、あまりにも、無茶ぶりだ。
この時点で、偽ロミだということが新人類たちにバレており、親切ムーピーが新人類を説得できる可能性はゼロに等しかった。
そして、エデン17は、火の鳥の力で止めていた地震が起き、新人類たちは滅びる。親切ムーピーも死ぬ。
創世と滅亡の物語なのだと言えば、そうなのかもしれないが、、、
エデン17の新人類を滅ぼさなくても、ロミが地球に帰って満足して死んだ、で終わればよかったのではないか。
だったら、もっと、読後感が爽やかだったと思う。
一方で、脇役の異星人ノルヴァの子どもたちが、エデン17の新人類滅亡の騒動に巻き込まれかけながらも脱出し、新たな天地を求めて旅立つ。
そして、「滅びる歴史もあれば、新しく生まれようとしている歴史もあるのです」とのナレーション。
もしかして、これを言うために、エデン17の新人類を滅ぼした?
火の鳥よ、お前は神にでもなったつもりか?
、、、って、神か、火の鳥は。このシリーズでは。