「大いなる完」本宮ひろ志
努力の末、小作農家から大物政治家にのし上がった主人公・鉄馬完が老後につぶやく言葉が、胸を打つ。
地元の大地主・石倉家の娘で愛しい高子と一緒になれていたら、「小作でもなんでもええ。ほかには何もいらんかったよ」と。
高子は、完に暴行されるという、とんでもない出会いから、完を嫌う態度を取り続けたが、実は完に惚れていた。物語終盤にようやく2人が心から和解するのだが、それから間もなく、高子が病気で死んでしまうという展開。
それだけに、余計にせつない。
子どもの頃、週刊漫画誌「モーニング」連載中に読んで、深く心に刻まれた。
漫画家・本宮ひろ志の作品「大いなる完」は、身分意識が強かった戦前の農村を舞台に始まる。
完の妹が石倉家の手下の乗る馬に蹴り殺され、おわびが醤油2本という序盤の逸話から、その世相が浮かび上がる。
完が石倉家に反発する中で、出会ったのが高子。
完は、初対面の高子に見下すような態度を取られたのに腹を立て、後日、隙を突いて、暴行する。
その後、高子は拳銃を持ち出して完を訪ね、撃ち殺そうとする。
「お前を殺して私も死ぬ」と思い詰めた高子を見て、完は、暴行を反省し、高子に土下座して謝罪。そして「わしの女房になってくれんかィ。わしゃ、決めた。女は生涯でお前一人じゃあ」と申し出る。
ところが、そこで、石倉新太郎(高子の兄で、のちに政治家として完のライバルになる)が駆けつけ、乱闘に。結局、完は村を飛び出る。その後、高子は密かに男の子を産む。
女性が暴行の相手に惚れるなんてあるわけない、と言われれば、そうかもしれない。
なぜ、高子が完に惹かれたのか、物語を通じて、納得のいく説明はない。
高子にとって、完は、強烈なインパクトを残した男だったとしか、考えようがない。
漫画「ヒットラーの息子」(原作・小堀洋、作画・叶精作)で、主人公・ボタンに暴行されたうえに烙印を押されて辱められ、憎みながらも愛してしまった美女エスターを思い出した。
完は、いろいろ頑張って金持ちになり、故郷に帰る。
高子を訪ねて「お前と同じ高さまで登って、迎えに来た」と告げるが、実は、高子は別の相手と結婚したばかりだった。
この時の高子は、困ったような表情。
そして、完は、徴兵されて戦地に赴く。
戦後、生きて帰った完は政治家を志す。
政治家になった完は、夫と死別して独身になっていた高子に、命懸けのアプローチを試みる。
しかし、高子は、はっきりと拒絶。
怒った完は言う。
「そんなに目障りなら、とことん、お前にとって目障りなように生きてやる。日本中に俺の存在をデカデカと証明してやる」と。
「お前は下衆な女だ。男の命を懸けた純情をコケにしやがって。見損なったぜ」と。
高子はひそかに涙を流す。
なぜ、高子は、拒絶したのか。
おそらく、これまで拒んできた相手を受け入れるというのは、相当、ハードルが高いことなのだと思う。恋愛に限らず。
その後、完は汚職事件に巻き込まれ、政治生命を絶たれかける。
その大ピンチに、高子の励ましを受け、完は再起。逆境を跳ね返す。
あれだけ拒んできたのに、なぜ、高子は、完に急接近したのか。
やっぱり、完を好きだという気持ちがあるからなのだろうけども、、、
「今はまだ、私はあなたのもとへは来ることはできません」と一定の距離を保ち、「(2人の間にできた)勇介の父親として」と子どもを口実にしている点が、興味深い。
完は、病気で倒れた高子を見舞い、心からわびる。
高子はここで本心を明かす。
「私、小作の娘に生まれたかった。だったら、手遅れにならないうちに、もっと早く、あなたに素直な気持ちになれたと思う」と。
そして、高子は死ぬ。
そして、大物政治家となった完が老後、息子の勇介に語る。
「わしゃ、お前の母さんさえ、わしのものであったなら、小作でもなんでもええ。ほかには何もいらんかったよ」と。
この作品は、このセリフを言うために、描かれたのだと思う。
完が一貫して高子を追い続け、命さえ懸けた点は重要なポイントだと思う。
初恋の相手・藤壺を追い続け、暴行までした光源氏(紫式部「源氏物語」)を思い出した。
同じく本宮ひろ志の作品で、古代中国の漢の劉邦と楚の項羽を描いた「赤龍王」と読み比べてみると、いい。
項羽の愛人となる虞美人が、項羽と出会う前に、一庶民だった頃の劉邦と出会い、一時、夫婦として暮らしていたという設定が、この作品の肝。
もともと秦の始皇帝の愛人となるために育てられたという虞美人は、やがて、始皇帝の手下に連れ戻される。この時、虞美人は助けを求めるが、劉邦は抵抗しない。
始皇帝の死後、項羽と覇権を争う中、虞美人をはさんで劉邦と項羽が対峙する場面もある。そこで、項羽は「欲しければ、力尽くで奪ってみィ」と挑発するが、ここでも、劉邦は抵抗しない。
虞美人は、これで劉邦への気持ちが冷めたのか、その後は項羽と生涯を共にし、項羽が劉邦に追い詰められると、自害する。
この作品の劉邦は、味のあるキャラクターで好きだけども、虞美人の奪い合いの場面で抵抗しなかった煮え切らなさが歯がゆかった。
これは、そのような男の生き様を描いた作品なのだと思う。
この劉邦には、完のようなセリフは言えない。
<余談・初恋の苦い経験を思い出した>
脈がない相手に対して、いくら頑張っても時間と労力の無駄。
脈がある相手なら、すぐ仲良くなる。
恋愛は、まさに縁としか言いようがない。
ただ、脈がない相手でも、腐れ縁というか、変な関係になることがある。
初恋(片思い、失恋)の相手を思い出した。
この女性A子は小学5、6年の時に同じクラスになった同級生。
当初、隣の席だったので、毎日顔を合わせるうちに、可愛く見えてきて、好きになった。
私は単純なので、好意が態度に表れていたようで、周囲に冷やかされることもあった。
A子がどう思っていたかは、わからない。
小学6年の時、悪ふざけが過ぎてA子にケガをさせそうになった事件があり、それから、気まずくなった。
中学の3年間は接点なし。たまに姿を見て、ドキッとする程度。
別の高校に進むとわかり、中学卒業後の春休みに呼び出して告白。
「片思いだけど、ほかに好きな人がいる」と言われて振られた。
私は、失恋のショックでなんもかも嫌になり、高校を3カ月ほどで中退。
1年半くらい測量の仕事をするうちに、新聞記者になろうと思い立った。
新聞社の入社試験を受けるには大卒以上の学歴が必要、大学入試を受けるにはその資格が必要、と逆算。
1年間、定時制高校に通ったり、大検(現在の高校卒業程度認定試験)を受けたりした。
地元の大学に進学後、ばったり、A子と再会した。
A子は地元の短大に進んでいて、通学の列車の中で、見かけた。
私は、A子の姿を見るだけで、うれしかったので、通学が楽しみになった。
そしたら、ある日、手紙が届いた。
「あの時はごめん。今ならもっと上手に付き合えるよ」みたいなことが書いてあった。
それで時々、会うようになった。
ただし、A子の気持ちを確かめたわけではなかった。攻めの姿勢にも出ていなかった。
今にして思えば、私の詰めが甘かった。
今の私の感覚なら、再会後初めて2人で会った日のうちに押し倒していると思う。
2人でカラオケに行った時のこと。深い意味で言ったわけではないけど、私の何気ない一言に、A子は貞操の危機を感じたらしく、飛び出していった。
追いかけたら、「そういう人だと思わなかった」みたいなことを言って、泣いていた。
私、100%ストレートな人間で何も偽ってませんけど、と思いながら、とりあえず、謝った。
それで気まずくなり、そのうち「付き合っている相手がいるので、もう会えない」と通告された。
2回目の振られだった。
この時は、すぐに諦められず、しばらく食い下がった。
でも、さらに、つらい思いをしただけだった。
A子によると、私に恋愛感情を抱いたことはなく、一緒にいても楽しくない、とのこと。
正直な気持ちなんだろうけど、そう聞いて、私は、とても悲しかった。
その後、私は就職して古里を離れた。
新天地では、すぐに出会いがあった。合コンで、お互い一目惚れだった。
その女性と別れた後は、同僚と飲みに行って、接客してくれた店員に好かれ、後日、告白されるという出会いがあった。
その女性と別れた後、合コンで意気投合して、その日から同棲した女性が、愛妻だ(結婚は1年くらい後。25歳の時)。
思うに、やっぱり、恋愛は縁だと思う。
あと、来る者拒まず去る者追わずの心。
びっくりしたのは、あれから20年くらい経って、また、A子から手紙が届いたこと。
当時、私は古里が赴任地。ある時、NIE(教育に新聞を)事業の一環で、中学校で出前授業をしたところ、そのことが地元紙に載った。
手紙によると、A子はその記事を見て、私が今、古里にいると知ったらしい。
「私はあの頃と変わっていません。昔のままです」みたいなことが書いてあった。
差出人を見ると、旧姓のままだったので、独身ってこと?、と思った。
私は、妻子持ちだと明記したうえで「懐かしいね。今度、一杯飲みましょう」という返書を送った。
そしたら、「会うことはできない」との回答。
3回目の振られだった。
さすがに、ちょっと、頭にきたので、「自分が寂しい時に、思わせぶりな態度を取って、人をもてあそぶのは、もうやめてください」と絶縁状を書いて送った。
その後、業務上の付き合いがあった古里の同級生と飲みに行った時、妙にA子のことを話題にしてきた。「子どもがいるけど、独身」とか「昔と顔も変わっていない」とか。
A子が、この同級生を通じて探りを入れてきているのかなと感じたので、その都度、無視して話題を変えた。
その後、何もない。今後もないと思う。
もともと、私が一方的に好きになったのが事の始まりで、A子に落ち度はないので、絶縁状は、やり過ぎだったかなとも思う。
でも、そうしないと、また、手紙が来たかもしれない。
私は、小学5年から大学の頃まで、A子しか目に入っていなかった。
今にして思えば、見込みのない相手にこだわり、ほかの可能性を自ら絶っていたことは、私の青春にとって、大変な損失だった。
(過去記事「天真爛漫な音楽を考えてみた」参照)。
A子にとっても、良い事は何もなかったと思う。
ちょっと寂しくなった時に、「昔、私に惚れた男がいたな」と思い出すくらいで、とどめてくれれば、よかった。
今も惚れているか確かめようとして、仕掛けてくるから、お互い、嫌な気分を味わうことになった。
まあ、すべては、私の片思いが原因だから、A子を巻き込んで悪かったとは思う。
このような経験から私は「片思いは本人も相手も幸せにしない」と思っている。
ひそかに思うだけで満足できるなら、別かもしれないが、きっと、相手を自分のものにしたくなって、結局、つらくなると思う。
縁のある相手を探すほうが賢明だと思う。