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「プロレス 至近距離の真実」ミスター高橋 ハルク・ホーガンとアンドレ・ザ・ジャイアントの対比が面白い 私はプロレスをショーだと薄々感じていても好きだった

「プロレス 至近距離の真実」

「プロレス 至近距離の真実」ミスター高橋

団塊ジュニア世代の私が子どもの頃、テレビのプロレス中継は人気番組だった。

家庭でお茶の間の話題になり、学校の教室でも話題になった。

私が特に好きなプロレスラーは、初代タイガーマスクとハルク・ホーガン。

どちらも強くて、かっこいいヒーローだ。

ホーガンは、映画「ロッキー3」(1982年、米国)への出演も話題になった。人気ぶりがよくわかる。

 


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漫画「プロレススーパースター列伝」(原作・梶原一騎、作画・原田久仁信)も、夢中になって読んだものだ。

 

 

プロレスが真剣勝負ではなく、筋書きのあるショーだということは、子どもながらに、薄々感じていた。

あのスローなジャイアント馬場の16文キックがなんで決まるのかと言えば、相手が当たりに行っているからだとしか、考えようがない。

馬場の「ヤシの実割り」(相手の頭をつかみ、自分のひざに打ちつける技)で相手が悶絶しても、「そこまでのダメージじゃないだろう」と思いながら、見ていた。

(私は、アントニオ猪木は嫌いで、馬場が好き)。

 


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ショーではないかと感じても、「プロレスはつまらない」とは、思わなかった。

 

アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シンら悪玉レスラーが反則の限りを尽くし、馬場、猪木ら善玉レスラーにやられるという、子どもにもわかりやすく、引き込まれる展開。

猪木が奥さんと街を歩いている時にシンに襲われるなど、レスラーの間に因縁を作り上げ、対戦を盛り上げる演出。

善玉も、悪玉も、レスラー全員がプロに徹して、役目をきっちりとこなし、ファンを楽しませた。

 

ちなみに、私は子どもの頃から、空手家の大山倍達が大好き。

石を素手で割る▽牛を素手で倒す▽銃を持ったギャングに囲まれても素手でしのいで脱出─など、「ホントかあ〜?」と突っ込みたくなる逸話が盛りだくさんの方。

胡散臭さ満点だが、あっけらかんと誇る語り口が爽やかだ。

伝記的な漫画「空手バカ一代」(原作・梶原一騎、作画・つのだじろう=第1~3部、影丸譲也=第4~6部)も、もちろん、愛読した。

 

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私にとっては、プロレスを面白いと思う気持ちも、大山倍達を面白いと思う気持ちも、同じなのだ。

ショーではないかと感じた上で楽しんでいるプロレスファンは、おそらく少なくなかったと思う。

 

新日本プロレスのレフェリーだったミスター高橋は2001年に著書「流血の魔術 最強の演技」で、「プロレスは筋書きのあるショーだ」と明かし、物議を醸した。

 

 

暴露の是非は、さまざまな見方があるだろう。

私は、「最高のショーだ」という著者の主張には、全く賛同する。

もし、プロレスが真剣勝負だったら、レスラーの選手生命は短くなり、けが人、死人が出るリスクが高まる。危険を避け、地味な技の掛け合いが主体になるかもしれない。

そんなの見て、楽しいですか、好きなレスラーが伸び伸びと派手な技を掛け合いながら、元気で長く活躍してくれたほうが良くないですか───という趣旨の主張も、その通りだと思う。

ただ、「プロレスはショーだ」と関係者が公言してしまっては、やっぱり、興ざめだ。

世相の変化ということだろうか。

プロレスや大山倍達をそのまま受け止めた、おおらかさが、だんだん、世の中から失われていったことには、寂しさを覚える。

言い換えれば、伴田良輔の名著「独身者の科学(セックス)」や漫画「魁!男塾」(宮下あきら)の「民明書房刊」を楽しめる心を失わずにいたいものだ。

 

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本書「プロレス 至近距離の真実」は、ミスター高橋が1998年に放ったもの。

「プロレスはショーである」という本音は封じつつ、プロレスの舞台裏を明かしており、肩肘張らずに楽しめる。

 

 

アンドレ・ザ・ジャイアントやホーガンの逸話、2人のキャラクターの対比が特に興味深い。

 


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本書から、アンドレに関する記述を抜粋してみる。

 

プロレスと両立させる形で映画界に進出して、最終的には映画俳優になる───それがアンドレの描いた人生のシナリオだった。そういうこともあって、似たような路線を歩んでいるホーガンを強く意識していた。

ホーガンとは仲がよかったと報道されているが、事実は違う。内心ではアンドレは、ホーガンをあまり好いてはいなかった。むしろ、嫌っていたと言ってもいいだろう。これにも、はっきりした理由がある。

アンドレに言わせると、「スターというのは雲の上の存在でなければならない」。それが彼の持論だ。リングを降りたら、滅多なことでは写真を撮らせなかったのも、そういう考えがあってのことだった。

(中略)

そして、アンドレは、ホーガンに批判の矛先を向けた。「今のアメリカのレスラーは、みんな、雲の上から飛び降りて、自分からファンのほうに近寄っていく。そして、普通の人間に成り下がっているんだ」。みんな、と言っていたが、ホーガンの話であるのは明らかだった。

(中略)

彼は、頭脳も運動能力も天才的だったと思う。その半面、レスラーとしての普通の努力は、全くと言っていいほど、しなかった。まともにトレーニングをしている姿を見たことがない。そして、レスラーの中でも度を越した酒量。もう少し自分のコンディション管理ができていたら、あの凄みをもっと長く維持することができただろうに。そうはいかないところが、天才の天才たるゆえんなのか。

(以上、抜粋)

 

付け加えると、アンドレは、物事を冷静に考えて行動する賢く計算高い男で、暗算や手品も得意だったという。

 

ホーガンに関する記述も抜粋してみる。

 

(デビュー前は)マッチョではなく、スリムな体型で、美しいブロンドヘアをなびかせた背の高いホーガンは、どこから見ても、カッコよかった。まだレスラーの体型ではなかったが、既にスターの雰囲気はもっていた。

しばらくして、ホーガンはフロリダでスーパー・デストロイヤーというマスクマンとしてデビューする。この時は、全く芽が出ずに終わっている。本人はそう言わないが、新日本への初来日時と同様に、向こうでも、でくの坊扱いだったのだろう。

覆面を脱いで新日本にやってきた時、ずいぶん、体が大きくなっていたのには驚いたが、筋肉が付いただけで、レスリングは素人に毛が生えた程度。

(中略)

控え室に戻ると、いつも、マネージャーのフレッド・ブラッシー(往年の人気悪役レスラー)に怒鳴られていた。ホーガンは神妙な面持ちで耳を傾けていた。「わかった。練習するよ、練習する。今度は、ちゃんと、やるよ」と、素直に聞いていた姿が印象に残っている。

その素直さ、ひたむきな努力が彼を成功に導く原動力になった。

(中略)

ホーガンとアンドレ。どちらもプロとして自分がどうあるべきかを強く意識していた。アンドレは、ホーガンのマスコミやファンに対するサービス精神を嫌っていたが、そこには一種のジェラシーがあったように思う。

(中略)

きっと、心のどこかで、ホーガンがうらやましかったのだ。演じたくても、自分には演じられないヒーローのキャラクターに、アンドレは嫉妬していたのだろう。

そんなアンドレのことを、ホーガンは、表面上は先輩として立てていた。しかし、内心では、酒浸りで、資本である体をないがしろにしているアンドレを軽蔑していたような気がする。いつも飲んだくれてばかりで、トレーニングもしないバカ野郎という冷めた目を私は感じていた。

自分をどう見せるか。人をオープンに受け入れるホーガンのやり方も、人を寄せつけないアンドレのやり方も、それぞれ、プロとして正しいのだと思う。しかし、私が2人に最後の決着をつけるとすれば、自制心をなくして身を滅ぼしてしまったアンドレの負けだ。

(以上、抜粋)

 

本書「プロレス 至近距離の真実」は、ほかにも、さまざまなレスラーの興味深い逸話がたくさんある。

「流血の魔術 最強の演技」と、読み比べてみてほしい。

 

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