
「紫式部ひとり語り」山本淳子
愛する人を失った時、人はどう生きるのか。身代わりを立てて愛すれば、幾分は癒されるのだろうか。大切な人を失ったすべての人の問題だ───
本書「紫式部ひとり語り」(山本淳子)は平安時代の作家、紫式部が自分の人生を振り返って語るというユニークなスタイルの解説書。
紫式部が生き生きと感じられ、面白い。
著者は平安文学の研究者。
紫式部は、結婚後わずか3年で愛する夫を亡くし、悲しみに沈んだ。
そして、世の中はつらいことが多いけども、人はそれでも生きてゆくのだ、という人生観を固めるに至る。
一方で、空想や夢といった心の自由さに気づき、物語に癒やしを求めたという。
本書によると、紫式部は「源氏物語」の中で、主人公・光源氏に、物語についての考えを語らせている。
「物語は、事実をそのまま伝えるわけではない。しかし、全く事実でないわけでもないのだ。良いことにせよ、悪いことにせよ、この世を生きる人のありさまには、見ているだけでは我慢できず、聞いても聞き流せない事柄というものがある。時代を超えて、ずっと語り伝えてほしいと感じるような事柄だ。それを人が心にしまっておけなくて、伝え始めたもの、それが物語だ」(現代語訳で抜粋)と。
この物語論が、紫式部自身の考えであることは、言うまでもない。
当時、文芸の中では、漢詩が最も格が高く、男性だけのものとされた。
それに次ぐのが「蜻蛉物語」(藤原道綱の母)といった実録物。
物語は、作り話だとして、格が低いものだと考えられていた。
本書が説くように、紫式部には「私の作る物語は、ただの作り話ではない」という思いがあった。
紫式部にとって、「ずっと語り伝えてほしいと感じる事柄」とは、例えば、「愛する人を失った時に悲嘆にくれる心、悔しさ、孤独、しかし、どうしようもなく生きているこの身」といったことだという。
紫式部は、当時の一条天皇が皇后・定子を寵愛し、定子を亡くして悲しんだ事実をヒントに、「源氏物語」の冒頭で、桐壺帝が桐壺更衣を寵愛し、桐壺更衣を亡くして悲しむ姿を描いた。
この2人の子が光源氏だ。
そして、本書の紫式部が語る言葉が、この記事の冒頭に引用した「愛する人を失った時、人はどう生きるのか。身代わりを立てて愛すれば、幾分は癒されるのだろうか。大切な人を失ったすべての人の問題だ」。
紫式部自身が、幼い頃に母を亡くし、姉も亡くした。
妹を亡くした幼なじみの友人と、互いに「姉君」「中の君(妹)」と呼び合って、慰めていたという。
この友人を亡くし、夫をも亡くした経験が、紫式部に「源氏物語」を書かせた。
「身代わりを立てて愛すれば、幾分は癒やされるのだろうか」という問いに対する答えは「源氏物語」に書かれる。
光源氏が、最愛の妻・紫の上を亡くして悲しむところだ。
本書の紫式部の語りを抜粋してみる。
大切な人を失っても、生きるために気力を奮いたたせて、次の誰かを愛する。それがダメなら、また身代わりを立てて愛する。光源氏はそうやって生きてきた。死んだ母、桐壺更衣の身代わりに、母に生き写しという義母、藤壺を乞い求めた。藤壺への思いが叶わなければ、その姪で、面ざしの似通った紫の上を愛した。それが彼のつらい人生のしのぎ方だった。だが、そのことの不毛を、彼は紫の上を失って悟るのだ。
(以上、抜粋)
現実の世界では、有力貴族・藤原道長の娘の彰子が一条天皇のきさきとなり、皇子を産んだ。
一条天皇は、定子との間にできた皇子を皇太子にしたかったが、道長の圧力を受け、諦めた。
本書の紫式部は、一条天皇の心境は、「源氏物語」の桐壺帝が身分の低い桐壺更衣の産んだ光源氏を臣下に降下させた苦渋の決断に似ていると想像する。
のちに、一条天皇が亡くなる時に詠んだ辞世の歌にも着目。
「源氏物語」で、光源氏が詠んだ歌と同じ表現があり、ほかに例を知らない珍しい表現であるため、一条天皇の辞世の歌に影響を与えたのではないかと想像する。
「物語が現実に影響を与えるなんてことは、ないと思うけども」と言いながら。
このあたりは、本書の著者が想像を膨らませたのだと思うが、そうだとしても、素晴らしい演出だ。
実際に、紫式部はそう想像したのではないかとも思える。
文芸として格が低い物語が、天皇の言動に影響を与えたかと考えると、痛快だ。
もちろん、それだけ、「源氏物語」が優れた作品だったからだ。
本書の紫式部は、夫や友人らの記憶を歌とともにとどめて後世に伝えようと、歌集「紫式部集」をまとめた。
「紫式部集」の巻末の歌が、本書「紫式部ひとり語り」を締めくくる。
いづくとも 身をやる方の 知られねば 憂しと見つつも 永らふるかな
(いったい、どこに、憂さの晴れる世界があるというのでしょう。そんな世界などありはしません。いったい、どこに、この身をやればいいのでしょう。そんな所も知りません。この世は憂い。そう思いながら、私は随分、長く生きてきましたし、これからも生きてゆきます)
紫式部の人生観が表れ、余韻のある締めくくりだ。
本書は、ほかにも読みどころがたくさんある。
「源氏物語」がもともと、「箒木」「空蝉」「夕顔」の短編3本として創作され、好評を得て、長編に発展したこと、長編にするにあたり、光源氏が危険な恋に走る背景として、つらい過去があるはずだと話を膨らませていった過程も、興味深い。
「源氏物語」の女三宮のモデルが、紫式部が彰子に女房(女官)として仕えた頃の同僚で、親しかった小少将の君だとのこぼれ話も、面白い。
小少々の君は、彰子とはいとこ同士に当たる。
実家が没落したため、姉の大納言の君とともに、彰子に仕えた。
おばに当たる倫子(道長の正妻、彰子の母)の配慮があったようだ。
小少々の君は、自分で物事を判断できない、弱々しいお嬢様だったといい、まさに、女三宮だ。
大納言の君は、藤原道長に美貌をみそめられ、愛人になった。
望んでそうなったわけではなく、不運な姪を気にかけてくれた倫子に恩を仇で返すことになり、彼女は苦しんでいたという。
「源氏物語」で描かれる女性の生きづらさ、苦しみは、紫式部自身の経験はもちろん、周囲の女性の姿も反映されているのだなと感じた。
女三宮は、光源氏が晩年に正妻に迎えた皇女で、最愛の人・紫の上を悲しませる結果となった。
さらに、女三宮は他の男に寝取られて子を産み、光源氏はわが子として育てることになる。この子が、光源氏亡き後の物語の主人公となる薫。
光源氏は、物語の序盤で、父・桐壺帝のきさきとなった義母・藤壺と密通して、子を産ませたことを思い、業の深さを知るのだ。
1000年も前に、これだけ壮大で、人生観も漂う物語を創作した紫式部の偉大さをあらためて感じる。
