
「海神記」諸星大二郎
神話や古代史の世界を得意とする漫画家・諸星大二郎の傑作。
「海神記」は、「マッドメン」の次に好きな作品だ。
「マッドメン」でパプア・ニューギニアの架空の神話を描いたのに対し、「海神記」は古代日本を舞台とする。
謎解きや冒険があって躍動的な「マッドメン」と趣は異なる。
絶望した人々が希望の地を目指して苦難の旅をするという暗い物語なのだけど、ゆったりと流れる川のようなエネルギーを感じる。
しかも、古代日本史の「空白期間」(卑弥呼の時代の3世紀と、倭の五王の時代の5世紀のはざま)とされる4世紀の物語。
大学時代に読んで、惹かれた。
不漁や津波に苦しむ海人(漁民)たちが、突如現れた海神(わだつみ)の子、ミケツに導かれ、パラダイス的な希望の地「常世」を目指して旅をするストーリー。
南九州の西岸から物語は始まり、ミケツたちの海人集団は、北九州を経て、関門海峡を通り、瀬戸内海に入っていく。
単行本は、3巻まで出ている。
第1巻の内容が1981年、第2〜3巻の内容が90〜91年に漫画雑誌に掲載された後、長らく途切れている。
未完ではあるけど、常世への旅に意欲を新たにした場面で第3巻が終わっており、このままでも、余韻はある。
ミケツは、無邪気な少年。
宝剣・七支刀を手に入れるなど奇跡を起こし、海神の子として、祭り上げられる。
「常世から幸がもたらされなくなった」と不漁や災害を嘆く海人たちに、「それなら、行こうよ。常世に行こうよ」と無邪気に言い、みんなを動かす。

ミケツを信じて常世を目指す海人の集団は、行く先々でトラブルに巻き込まれ、乗り越えていく。
自然の猛威に対して無力だった古代の人々が、心の拠り所を得て、苦しみを乗り越えていく姿というのだろうか。
ミケツとの関わりを通じて、成長する姿が描かれる。
たとえば、巫女のオオタラシ。
ミケツの母代わりとなり、実質的なリーダーの役目を務める。
私は、オオタラシが主人公だと思って、この物語を読んだ。
もともとは海人の1人で、夫と子どもを災害で失い、自らも謎の体調不良に苦しんだ。周囲に勧められて、海神に仕える巫女となったものの、その務めに自信を持てないでいた。
オオタラシは海神に願う。
「私は、ただの海人の後家でございます。あなたの声が聞こえる時もあれば、聞こえない時もあるのです。あなた様のお姿を見ることができますならば・・・海人たちにもあなたのお声が聞こえますならば・・・」と。
そして、ミケツと出会う。


当初は、ミケツの居所がわからなくなって、不安がる姿も見せる。
旅先で対立した伊都国の巫女・阿知女(あちめ)に「ミケツの父は海神だとして、母は誰なのか。人間のお前なのか」と問い詰められ、答えられず、困惑する姿も見せる。
ミケツたちの海人集団には、途中から、百済の亡命将軍・木羅斤資(もくらこんし)が同行。ミケツたちの集団の勢いを利用して、行く先々の国々を奪う腹黒い人物だ。
オオタラシは、木羅斤資の威圧に屈して、国取りに加担する神託を下してしまい、「海神の声が聞こえなくなった。お怒りなのだ」と悩む場面もある。
行く先々で現地の海人や陸人(狩猟民、農耕民)と戦闘になり、犠牲者が増えると、海神に苦悩をぶちまける。
「もっと、穏やかに常世を目指す方法はないのですか」と。

それが、第3巻のクライマックスでは、無邪気なミケツに励まされながらではあるけど、力強く神託を下すまでに成長する。
水平線から昇る朝日にひらめいて、「見よ! 海はどこまでも広がっている! その果てで天と海は出会い、ひとつになる! そここそが常世じゃ!」と。
「ミケツの母神もまた常世におられる! 海人も陸人も等しくめぐみたまう方。日の神・阿加流比売(あかるひめ)じゃ!」と。
これで、行く先々で海人や陸人を加えて膨らんだ集団の結束力を高めるのだ。
実は、オオタラシの成長こそが旅の一番の成果であり、みんなにとっての本当の希望ではないかと、私は思う。


少年のミケツと母代わりのオオタラシを組み合わるアイデアは、どう生まれたのか。
作者があとがきで説明していて、興味深い。
あとがきによると、「日本書紀」に登場する海神が、「少童」と記されていて、民俗学者の柳田國男は、「海神は子どもの姿をしているという信仰があったのではないか」と推測したという。
作者は、子どもの姿の海神とセットになる母神がいても不思議ではないとみて、神功皇后との関連が考えられる神話的な女性オオタラシヒメに着目。
そのモデルになった巫女がいたのではないかと想像を膨らませ、物語の登場人物オオタラシを創作したという。
海人の磯良(いそら)も、成長する。
この物語は、磯良たち海人数人が、遠方での漁を終えて、帰ってみると、村が津波に飲まれて消えていたという悲劇で、幕を開ける。
磯良は、訪れた村で親しくなった恋人の赤女(あかめ)も、津波で失う。
当初は、ミケツこそ災いの元凶だと考えて殺そうとする。
そして、ミケツをかばった舵取り(ボディガードみたいな役目)の「アドベのイソラ」を殺してしまい、舵取り役を引き継ぐ羽目になる。

その後、新たに訪れた村で親しくなった女性クズナも死なせてしまい、その娘・鮎女(あゆめ)を引き取って、ついに、運命を受け入れる。
「ミケツ。おれも常世へ行くぞ!」と。
そして、ミケツたちの集団と対立した穴門の集団との戦いでは、穴門の神、サイモチ(巨大なサメ)を倒す活躍を見せる。

この物語には古代の巫女が何人も出てくる。
それぞれ、描写が興味深い。
穴門の巫女、トヨは鵜に魂を移すことができ、サメをなだめる力を持つ。
伊都国の阿知女は二重人格の老婆。普段は弱々しいが、神の依代である天の逆矛を手にすると、凶暴になる。
この物語を読むと、古代の巫女のイメージが膨らむ。


物語の序盤から、ミケツたちの旅に絡んでくる隼人族も面白い。
隼人族は、海幸山幸にちなむ潮満珠、潮干珠という宝玉を探し求めていて、時には敵、時には味方となる。
この隼人族のリーダー厚鹿文(あつかや)の弟の迮鹿文(さかや)が、悪事もためらわないサバサバしたキャラ。
たとえるなら、ディオ(漫画「ジョジョの奇妙な冒険」)、レスタト(映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」)みたいなキャラだ。
重苦しい物語の中で、いいアクセントになっている。
隼人族の顔の入れ墨、精霊の仮面、船の文様は、プリミティブ感にあふれ「マッドメン」を思い出させる。



