
「犬を飼う」谷口ジロー
これは、谷口ジローでなければ、描けない。
というか、ほかの誰も描こうと思わないだろう。
「犬を飼う」は、年老いた愛犬を看取るという、ものすごく地味な漫画。
作者の実体験に基づく物語だという。
これが胸に染みる。
犬でも、猫でも、可愛がっていた動物を看取ったことがある人なら、きっと、そうだ。
私は、子どもの頃に飼っていた犬が死んだ時の様子を思い出し、せつなくなった。
当時では普通だったと思うが、犬用のエサでなく、人間の残飯を与えていたからだろうか。3〜4年くらいしか生きなかった。
ある時、体調を崩し、苦しそうにし始めた。
身体をなでてやるくらいしかできず、やがて、身体を痙攣させて息を引き取った。
死んだら悲しいから、もう犬を飼うのはやめようと家族で話した。
ところが、間もなく、父が、新しい子犬をもらってきた。
可愛らしい子犬の姿が、私たち家族の悲しみを癒してくれた。
私が持っている単行本は「犬を飼うと12の短編」。「犬を飼う」「そして…猫を飼う」「庭の眺め」のシリーズ3編など、13編を収めてある。
「犬を飼う」は、主人公と妻が愛犬タムを連れて河原を訪れ、タムを遊ばせる場面で始まる。
タムは14歳で、犬としては高齢。
年老いて弱った足で、よろよろと歩く。
ここで主人公の心の言葉。
それでも、その日、タムははしゃいだ。
きっと、懐かしい河原の香りをかいで、興奮したせいなのだろう───
主人公は、若い頃のタムを思い出し、時の流れをかみしめる。
私たちも遠く過ぎ去った日々の思いにふける。
そばをタムが駆け回る。跳ね回る。
若い…喜びの日々を思う───

もはや、ポエム。
これが、谷口漫画だ。
このイントロだけで完成した作品だと思えるほど、深みがある。
やがて、タムは、オス犬らしく小便の時に後足を上げる力さえ、なくなる。
小便は、前足にかかる。
大便の時は、背中を支えてやらないと、出したウンコの上に尻もちをつくようになる。
それでも、夫婦は、タムの散歩を欠かさない。
通りかかった人に「抱いてってあげたら。かわいそうよ」と声をかけられ、妻が内心、憤慨する。
「かわいそうじゃない。歩けなくなるほうが、よっぽど、かわいそうだ」と。

やがて、タムは自力で立ち上がれなくなる。
夫婦は、ハーネスを使ってタムの身体を吊り上げながら、散歩をするようになる。

この後、回想シーンが入る。
子犬のタムをもらってきた時のこと。
タムは見る間に成長したこと。
そして、いつでもタムは私たち2人の真ん中にいたのです───

やがて、、、
タムは、散歩まで我慢できずに寝床でお漏らしするようになる。
前足が動かなくなり、散歩は、家の近くの空き地をうろうろさせるだけになる。この間、身体を吊り上げて、後足だけで歩かせるようにして。
寝返りが打てず、床擦れができるようになる。
そして、ついに、発作に襲われ、痙攣が止まらなくなる。
夜中だったが、夫婦は、なじみの獣医に連れて行く。
やがて、食べ物を受けつけなくなり、点滴で栄養を与える。
点滴だけで、1カ月近く生きたという。
体内の循環機能が衰えて、点滴も受けつけなくなり、点滴は外すことになる。
「このまま、静かに眠らせてやりましょう。苦痛はないと思います」と獣医。
タムは、それから、さらに1週間、生きたという。
そして、、、

主人公の心の言葉が物語を締めくくる。
動物の死は、言葉を交えることができないだけに、せつなさが胸を打つ。
生きるということ、死ぬということ。
人の死も、犬の死も、同じだった───
夫婦が河原に立ち、タムをしのぶ場面で物語は終わる。
「そして…猫を飼う」は、タムを失った夫婦が、行き場のない猫を飼うことになる。
「庭の眺め」は、その続き。
詳しくは、紹介しないけども、タムを失った夫婦の心が癒されていく内容。
わが家(私は単身赴任中なので、普段住んでいない)では今、猫を飼っている。
長女が高校生の頃、飼いたがり、保護ボランティアの方に子猫をもらった。
オス猫で、今、11歳。
人間に換算すると、60歳くらいになるようだ。私たち夫婦より「高齢」。
押し入れの上の段やタンス、猫タワーに飛び上がっていたジャンプ力は、もう、ない。
よろよろというほど衰えてはいないが、動きが鈍くなった。
いずれ、看取る日が来るのだろう。
今はただ、できるだけ健康で、長生きしてほしいと願うばかりだ。
