
「バオー来訪者」荒木飛呂彦
漫画家・荒木飛呂彦の初期の傑作。
秘密組織によって、無敵の生物兵器「バオー」にされた少年が組織と戦うという設定に、まず、引き込まれた。
そして、スリリングで、スピーディーなストーリー展開。
何より、余韻のある結末が素晴らしい。
「バオー来訪者」は、子どもの頃に読んだ漫画の中でも、特に記憶に残る作品のひとつだ。
そいつに触れることは死を意味する!
これが!
バオーだッ!
なんだか、すごそうなヤツだぞ、と第1話の1ページ目から惹きつけられる。


続いて、ミステリー風のナレーション。これがさらにわくわく感をそそる。
ある日、陸中の海岸に若い女の死体が浮かんだ。
顔はグシャグシャにつぶれ、身元がわかるような物は何もなかった。
その女は数日前、東北のローカル線を走る黒い列車に乗っていた。
行き先も認識ナンバーも付いていない黒い列車に───

主人公の少年・育朗(17歳)は、秘密組織「ドレス」にさらわれ、特殊な寄生虫バオーを埋め込まれた。
寄生虫は宿主の危険を察知すると、宿主の意識を眠らせて、その体を変化させ、さまざまな超能力を発揮する。
育朗は、黒い列車でドレスの研究所に運ばれる途中、居合わせた孤児の少女・スミレ(9歳)と一緒に逃げだす。
ドレスは、バオーの存在が世間に知られるとまずいと考え、育朗を抹殺するため次々と殺し屋を送る。
漫画家・谷口ジローの作品で私が一番好きな「ブランカ」を思い出す。
この作品は、さらわれて、バイオテクノロジーで強化された戦闘犬ブランカが逃げ出し、追っ手を振り切って、飼い主の元に帰ろうとする。
ラストがとてもせつない。
私は、スミレが主人公だと思って「バオー来訪者」を読んだ。
スミレは予知能力を持つ。
この予知能力を軍事利用しようとしたドレスに孤児院から引き取られていた。
感情表現が豊かで、芯の強い少女。
感情表現が乏しい育朗に代わり、読者に怒りや悲しみを訴える役どころだ。
この物語は、ディティールの描き込みが秀逸だ。
たとえば、スミレがドレスから一緒に逃げ出した謎の少年(育朗)の人柄を見抜いて好意を寄せる描写。
ナレーションを抜粋してみる。
スミレにとって、この見知らぬ少年は謎だらけだったが、彼の性格は直感でわかっていた。
もし、2人とも空腹で、チョコがひとかけらしか、なかったとしたら、彼はすべてそれをスミレにくれるだろう。
(以上、抜粋)

チョコうんぬんの記述がリアルでいい。
どんな人柄に感じたかが、具体的にイメージできる。
あるいは、バオーによって変身した育朗と追っ手の生物兵器「マーチン」の戦いを、たまたま買い物帰りに通りかかった母子が目撃してしまい、マーチンに殺される場面。
買い物の荷物が散らばるのだけども、リンゴとかに混じって、不二家のペコちゃん風の笑顔のキャラクターが描かれたチョコが、小さなコマだけど、さりげなく描かれる。

このキャラクターの笑顔が、普通に幸せな母子が理不尽に命を奪われた悲しさを際立たせている。
印象深い描写だ。
次のページでスミレがセリフと涙で補う。
「ひどいッ! 何も関係のない人まで」と。
ドレスの非情さに、読者の怒りは倍増する。

この作者らしい、独特の言葉遣いも発揮されている。
「ガッギィイイン」といった効果音、「バルバルバル」「ウォオオオオオオム」といった変身時の育朗の声は、もちろんのこと。
バオー(育朗)が「におい」を感知するという表現が、なかなか、いい。
感覚的に、よくわかる。
バオー(育朗)は視覚や聴覚、嗅覚ではなく、額の「触覚」で物事を感知する。
相手の殺意や悪意、恐怖、悲しみといった感情も「におい」として感知する。

同じ作者がのちに放つ代表作「ジョジョの奇妙な冒険」でも、悪意を「におい」で表現していたのが、興味深い。
第1部の主人公ジョナサンの仲間、スピードワゴンは、ロンドンの暗黒街暮らしのため、悪人が「におい」でわかる。
みんなの前で猫をかぶっていたディオ(実は極悪)と初めて対面するなり、「こいつは、くせえ。ゲロ以下のにおいがプンプンするぜ」と本性を見抜いた。
あと、スミレが予知能力を使う時の「心を滑らせる」という言い回しが素晴らしい。
スミレは、クレヨンを手にスケッチブックに向かって「心を滑らせる」と、ドアを開けるためのパスナンバーを「自動書記」できたりするのだ。
(自動書記とは、無意識のうちに書く現象のこと。アニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で、手紙の代筆屋を「自動書記人形」と呼んでいるのが面白い)。
逃亡中、スミレはドレスにさらわれる。
バオーの力を自らの意思でコントロールできるようになった育朗は、ドレスの研究所に乗り込んで、スミレを救出。
研究所の地下の洞窟でスミレを逃す。
育朗と離れたくないスミレは、コマの枠線から涙がはみ出すほど、号泣。

そして、育朗は、強敵との戦いに勝った後、研究所の爆発に巻き込まれる。
スミレだけ取り残された格好だが、育朗との将来の再会を想像させるラストが、とてもいい。
予知能力で育朗の生存を感じたスミレの言葉を抜粋する。
育朗は生きている
眠っているだけ
ゆったりと
それは映像(ビジョン)を見たから
地下洞窟の湖底に静かに眠っている少年の映像(ビジョン)を
目覚めるわ、きっと
水の中から目覚めるわ
それは私が17歳になった時
そして、再び会える
(以上、抜粋)


これは、涙が出そうになる。
「バオー来訪者」は、悲しい物語なのだけども、最後に、希望を感じさせる。
スミレがとても可愛く思えて、ぜひとも育朗と再会してくれ!と強く願った。
最後に、残念なお知らせ。
物語序盤の説明によると、バオーを埋め込まれた生物は、肺呼吸が停止すると仮死状態になる。
老化もしない。
この状態で何百年でも、生き続けられる。
つまり、スミレが予知能力で見た「湖底で眠っている少年」とは、バオーを埋め込まれているため水中で仮死状態になった育朗を指す。
ここまでは、いい。
ところが、物語序盤の説明には、とんでもない設定が含まれている。
育朗に埋め込まれた寄生虫バオーは、百数十日たって成虫になると、育朗の体内に卵を生み、卵からかえった幼虫は、育朗の体を突き破るという。
つまり、スミレが17歳になり、目覚めた育朗と再会しても、育朗は、百数十日で死んでしまう。
あああーーー、これは、なかったことにしたい設定だ。
この残念な設定がなければ・・・「バオー来訪者」は完璧だった。


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