
「八つ墓村」横溝正史
初めて読んだのは中学生の頃だと思う。
実家の本棚に文庫本があった。
カバー絵がおどろおどろしいので、なかなか手が出なかったのだけど、洞窟での宝探しや謎解きがあり、面白かった。
(なお、実家にあった文庫本は、大人になってから無期限で借りていたが、行方不明になった。買い直した文庫本はカバーのイラスト部分が縮小されていて、残念。この記事に添付した画像がそれだ)。
(上記のAmazon商品が、実家にあった文庫本と同じカバー絵)
横溝正史の金田一耕助シリーズのひとつ「八つ墓村」は戦後の山村を舞台に、裕福な旧家の跡取りにされた主人公が、連続殺人事件に巻き込まれる。
戦国時代に金に目がくらんで落ち武者を皆殺しにした村の黒い歴史や、昭和初期の大量殺人事件が絡み、恐ろしげな雰囲気を高める。
映画化もされた作品で、テレビの予告映像だったろうか、「たたりじゃ~。八つ墓村のたたりじゃ〜」というセリフも耳に残っている。
原作を読んだのと同じ頃、子どもたちが洞窟で宝探しの冒険をする映画「グーニーズ」(1985年)を見て、同じようなわくわく感を味わったことも覚えている。
恋愛要素が絡むのも良かった。
何より、舞台の「八つ墓村」(もちろん、架空の村)が、「鳥取県と岡山県の県境にある山中の一寒村」という設定に、鳥取県で生まれ育った者として親しみを感じた。
現在の岡山県新見市の山村部が舞台のモデル。
小学生の頃、家族旅行で新見市の鍾乳洞「井倉洞」に行ったことがあるから、イメージも膨らんだ。
物語で大正期に起きたとする大量殺人事件は、昭和初期に岡山県で起きた「津山事件」からヒントを得ている。
戦国時代に八つ墓村に来た尼子方の落ち武者一行の大将は、尼子氏再興を志した武将・山中鹿介から着想したのだろう。
鹿介が非業の死を遂げた地は、現在の岡山県高梁市で、岡山県とゆかりがある。
物語では、落ち武者一行は再起を期すため黄金を携えてきており、村人はこの金に目がくらんで、一行を襲撃して皆殺しにした。
一行の大将は村人を呪って死んだ。
村人は黄金を探したが、見つけられなかったという。
皆殺しの首謀者は、村の有力な旧家・田治見(たじみ)家の当主。
昭和初期の当主・田治見要蔵が暴君で、妻子がいるにもかかわらず、村の若い娘・鶴子に惚れ、拉致して暴行。
そのまま屋敷に閉じ込めて日々、いたぶった。
この辺りの話は、漫画「ミステリと言う勿れ」(田村由美)の広島編(映画化された)に影響を与えたのかなと想像する。
鶴子はやがて子を産み、辰弥と名付けられる。
鶴子はもともと小学校教師・陽一と深い仲にあったため、「辰弥は要蔵ではなく、陽一の子だ」と噂されるようになり、激怒した要蔵が鶴子や辰弥に暴力を振るう。
危険を感じた鶴子は逃亡して行方をくらませる。
これで、精神に異常を来した要蔵が、一晩に村人32人を殺害して行方不明になるという事件が昭和初期に起きた───というのが、この物語の歴史的な背景だ。
20代の若者に成長し、神戸市で会社勤めをしていた辰弥が、物語の主人公(物語開始時点で、鶴子は故人)。
要蔵の息子で、田治見家の当主となっていた久弥が病気のため余命わずかとなり、探し出された辰弥に、跡取りの話が舞い込んで、物語が転がり始める。
久弥をはじめ、村人が次々と殺され、辰弥が犯人だと疑われて村人に追い詰められるミステリー要素と、鍾乳洞に隠された財宝(落ち武者が残した黄金)を探す謎解き、冒険が物語の柱だ。
それも抜群に面白いのだが、ここでは、恋愛模様に絞って、書いてみたい。
美男子の辰弥は、2人の女性に惚れられる。
まずは、要蔵の娘で辰弥にとって、姉に当たる春代。
辰弥は表向き、久弥、春代の弟だが、実は、陽一と鶴子の間にできた子。
辰弥は物語の途中で知るが、実は、久弥や春代は最初から気づいていた。
つまり、春代は、血のつながりがないことを知っていて、辰弥に惚れる。
穏やかで控えめな性格の春代は、思いを秘め続けるが、物語終盤で告白する。
そして、辰弥のいとこに当たる典子。
天真爛漫な性格で、ふとしたきっかけで辰弥に恋心を打ち明け、一途に慕い続ける。
辰弥は当初、村のもうひとつの有力な旧家・野村家の息子の未亡人で、あねご肌の美女・美也子に惹かれる。
しかし、典子に告白され、村人の追及をかわしながら、宝探しの冒険を共にするうちにだんだん、典子に傾いていく。
この様子を見た春代が複雑な思いを抱きながら、辰弥を支え続ける姿も見どころだ。
個人的には、一番印象深いキャラクターは、この春代。
物語終盤で、辰弥を助けようとして一連の事件の犯人に襲われ、瀕死の状態となって、辰弥の腕に抱かれながら、秘めた思いを打ち明ける場面は、あまりにも、せつない。
告白のセリフを抜粋してみる。
「私、もうすぐ死ぬわ。死んでしまうまで、あなたはどこにも行かないでね。ここにいて、私を抱いてね。私、あなたに抱かれて死ぬのがうれしいのよ」
「私、もう死ぬのだから、どんな恥ずかしいことでも言えるわね。私、あなたがどんなに好きだったか。それも、弟としてでなく。ほんとは、あなたは、私の弟ではないんだもの。それなのに、辰弥さん、あなたは私を姉としか扱ってくれなかったわね。それが私には悲しかった」
「でも、もういいわ。こうして、あなたに抱かれて死ぬのだから。ねえ、辰弥さん、私が死ぬまで、どこへも行かないで。そして、私が死んだら、かわいそうだと思って、時々、思い出してね」
(以上、抜粋)
これは、せつない。
特に「私が死んだら、かわいそうだと思って、時々、思い出してね」は、いじらしすぎて、涙が出そうになる。
この春代の姿には、ヴィクトル・ユーゴーの名作「レ・ミゼラブル」の脇役エポニーヌ(小悪党テナルディエの娘)を思い出す。
エポニーヌは、マリウスとコゼット(主人公ジャン・バルジャンの養女)が相思相愛と知りながら、マリウスに恋する。
最後は、マリウスをかばって銃で撃たれ、マリウスの腕に抱かれて死ぬ。
思いを打ち明け、「私が死んだら、額にキスして」と言い残して。
これも、せつない。涙が出そうになる。
ちなみに、マリウスは、願いに応えてエポニーヌの額にキスする。
辰弥がその後、春代を時々、思い出していたかどうかは、わからないが、思い出していてほしいものだ。
対照的に、典子は、ふとしたチャンスを逃さずに思いを伝え、その後も、はっきりと愛情を表し続けた。
そして、最終的には、辰弥の心を引き寄せる。
初恋の相手に何度もアタックして全敗し、片思いが実らなかった私としては、典子の恋愛ドラマは、気分が晴れる。
辰弥と典子の恋愛模様は、むしろ、辰弥の心の揺れが見どころかもしれない。
その変化を少し、追ってみる。
この物語は、辰弥目線の語りで進むので、地の文をいくつか、抜粋する。
<典子に告白された直後>
ああ、これが愛情の告白でなくて、なんであろうか。典子は私を愛していたのか。しかし、それに対して、私は何と答えることができようか。私の心のどこを探ってみても、典子に対する愛情など微塵もないのだ。
私は、何と言ってよいか、返答に窮した。おざなりを言って、相手を慰めることは、私の性質が許さなかったし、また、このような無邪気な女を欺くことは、許しがたい罪悪のように思われた。私は黙っているより、仕方がなかった。
典子もまた、返事を期待していたわけでもないとみえて、自分の言うことだけ言ってしまうと、それで満足しているらしかった。
<もしかしたら会えるかもと望みをかけて典子が毎晩、待っていたと知った時>
あまりのいじらしさに、思わず強く典子の体を抱きしめてやった。典子は、うれしそうに、私のなすがままにまかせている。典子の心臓の鼓動と、私の胸のときめきが、ひとつになって、互いの体に伝わった。
<だんだん、典子と親しくなってきた頃>
典子は私を愛している。そして、持ち前の無邪気さと楽天的な魂から、自分が愛している以上、向こうも愛してくれるものと信じて疑わないようである。
しかし、私は典子を愛しているだろうか。私は近ごろ、典子が次第に好きになってきている。しかも、不思議なことには、典子が急に美しく見えてきたものである。
典子が近ごろ、急に美しくなったことは、姉の春代や女中のお島も認めているのだ。
思うに、典子は私を愛することによって、急に成長を遂げたのだろう。人を愛するという感情の高揚のために、急に青春の清新と溌溂とを獲得し、本来のあるべき美を取り戻したのではあるまいか。
だが、そうは言っても、私はまだ、典子を愛しているとは思えなかった。
<美也子が実は計算高い策略家である旨、典子に聞いて知った時>
私はいまさらのように、美也子という女の複雑な性格、微妙な心理の翳りに驚かずにいられなかった。それは同時に私にとって、このうえもなく、寂しい、やるせない思いだった。ああ、私は美也子に恋していたのだろうか。
(以上、抜粋)
「ああ、私は美也子に恋していたのだろうか」は物語の終盤。
ここに至っても、辰弥が美也子への思いを引きずっていたとは、驚きだ(物語を通じて、辰弥と美也子がいい雰囲気になる場面はひとつもない)。
そして、その8ページほど後で、ピンチに陥っていた辰弥は、助かる希望が出てきた旨を典子から知らされて気分を高揚させ、典子に「君のおかげだ」と感謝を伝えて抱きしめ、その勢いのまま、2人は結ばれる。
そのことが済んで、一息ついてから、典子は、一連の事件の黒幕が美也子と思われる旨を、辰弥に伝える。
この終盤の典子の行動を見ると、なかなか人心掌握術にたけているように感じられる。
典子は本当に天真爛漫なのだろうか。
「天真爛漫な性格」と指摘されたことがある私には、このような駆け引きは、とても思いつかない。


