
「日本の怪談」ラフカディオ・ハーン
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が紹介した怪談のひとつに「水飴を買う女」がある。
よく知られた怪談だと思うけど、簡単に紹介すると・・・
身ごもったまま亡くなった女性が埋葬されてから赤ちゃんを産み、赤ちゃんに乳の代わりに与えるために、幽霊となって水飴を買っていた───という内容。
締めくくりが興味深い。抜粋してみる。
女は亡くなるとすぐに埋葬されてしまったので、墓の中で赤ん坊が生まれたのでしょう。それで、母親の幽霊は夜ごと、赤ん坊に水飴を買い与えていたのでした。母親の愛は、死よりも強かったのです。
(以上、抜粋)
最後の一文は、ハーンの感想だと思われる。
ハーンは、だいたい、怪談そのものを紹介するだけで、感想を添えるのは珍しいと思う。
たとえば「小豆磨(と)ぎ橋」も「幽霊滝の伝説」もそうだ。
「小豆磨ぎ橋」は、この橋で、ある謡曲を歌うと恐ろしいことが起こると言われているのに、豪胆な侍が歌って、恐ろしい目に遭う話。
締めくくりはこうだ。抜粋する。
侍が箱の蓋を開けてみるや、その中には血まみれになった子どもの生首が入っていました。そして家の中に入ってみると、客間では、頭をもぎ取られた幼いわが子が、息絶えておりました。
(以上、抜粋)
「幽霊滝の伝説」は、幽霊滝のそばにある賽銭箱を肝試しで取りに行った若い母親(赤ん坊を背負っている)が恐ろしい目に遭う話。
締めくくりはこうだ。抜粋する。
「あら、血が!」
ほどかれたねんねこの中から、血に染まった赤ん坊の着物が、ぽとりと床に落ちました。着物からは、小さな2本の足と2本の腕が突き出ていました。
赤ん坊の首はもぎ取られていたのです。
(以上、抜粋)
ちなみに、ハーンと妻のセツを主人公にした小説「ヘルンとセツ」(田渕久美子)では「幽霊滝の話」を語るセツに、ハーンが登場人物の足音までこだわって、何度も問い詰める。臨場感のある描写にこだわるのは、新聞記者だったハーンらしい。
このように、怪談の中身の描写にまでこだわりながら、伝える役目に徹したハーンが、「水飴を買う女」では、自らの情をにじみ出させるのが、興味深い。
ハーンは、幼い頃に父親に捨てられ、母親とも生き別れになった。
幽霊になってまでも赤ちゃんに愛情を注ぐ母親の姿に、「母親の愛は、死よりも強かったのです」と書かずにいられなかったのだろう。
私は、ハーンの感想がほかの怪談にも添えられていたらいいのに、と思うくらい。
古代中国の歴史書「史記」のうち、人物の生きざまを紹介する「列伝」では著者・司馬遷がそれぞれ寸評を添えている。私は、こここそ、読みどころだと思う。
怪談「子捨ての話」も、締めくくりに感想は添えられていない。
それだけに、NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」の主人公トキ(セツをモデルにしたキャラクター)の解釈は、素晴らしかった。
「子捨ての話」は、貧しい農家(百姓)の男性が、赤ん坊が産まれるたびに捨てていたのだけど、暮らしに余裕ができ、7人目の赤ん坊は捨てずにいたところ、赤ん坊に驚かされるという話。
後半を締めくくりまで、抜粋してみる。
夏のある夜、男はその赤ん坊を抱いて、庭に出てみました。子どもは生まれて五月(いつつき)になっていました。
その夜は大きな月が出て、いかにも美しい晩でしたので、男は思わず大きな声で言いました。
「ああ、今夜は珍しい、ええ夜だ」
その時、赤ん坊が男をじっと見上げて、まるで大人のような口を利きました。
「おとっつぁん、あんたがしまいに私を捨てなすった時も、今夜のように月のきれいな晩だったね」
そう言うと、赤ん坊はごく当たり前の赤ん坊らしい顔つきに戻って、それっきり、何も言いませんでした。
百姓は僧になりました。
(以上、抜粋)
見ての通り、「百姓は僧になりました」で終わり。
朝ドラ「ばけばけ」では、ヘブン(ハーンがモデル)が、自分や母親は父親に捨てられたという過去を明かし、「許せない」と憤りを口にする。
ここで、トキが機転を利かせ、ヘブンの心の傷を思いやりながら、言う。
「何べん捨てられても、この子、同じ親の元、生まれた。この子、親思う気持ち強い。それを知った、この親、この子を大切に育てる、思います」。
これはグッとくる。すごく良い脚色。
朝ドラ「ばけばけ」は、ヘブンの口癖「地獄、地獄」とか、英語の授業でヒアリングの出題にかこつけて、友人の錦織(西田千太郎がモデル)をチクチク責めるとか、楽しく見せる工夫がうまい。それでいて、ここぞという時は、ホロリとさせる。
朝ドラの傑作だと思う。
言い忘れていた。
「日本の怪談」(ラフカディオ・ハーン 編訳・池田雅之)は、ハーンの代表作「知られぬ日本の面影」「怪談」などから、怪談42編を選んで載せたもの。
「水飴を買う女」や「子捨ての話」は、「知られぬ日本の面影」に入っている。
「知られぬ日本の面影」も、面白い。おすすめ。

