てっちレビュー

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「生命の木」諸星大二郎 「知恵の木の実」なぜ禁断? 自分で考え「神の教え」に疑問を持たないようにかと想像 「不死が幸せか」も考えさせられる傑作短編

「生命の木」を収録した「妖怪ハンター」地の巻

「生命の木」諸星大二郎

人間は、知恵があるから、自分なりに進む道を選んだり、新しいことを思いついたりして、より良く生きようとする。

その半面、知恵があるために不安や疑問を抱き、悩んだり、苦しんだりもする。

知恵には、良い面も悪い面もあるわけだけども・・・

これこそがまさに人間らしさだと思う。

 

キリスト教では、アダムとイヴが、禁じられた「知恵の木の実」を食べてしまったことが、2人の子孫である人間の原罪だとされる。

人間は罪深い存在だから、神の教えをよく守って生きなさい、ということになるのだろうけど・・・

これは、自ら考えて「神の教え」に疑問を抱くことを禁じているように、私には思えて、興味深い。

そもそも、キリスト教を考えた人が「知恵」に着目したのが興味深い。

少なくとも「知恵こそが人間の特徴であり、良い面も悪い面もあるので、上手に使わないといけない」ということを表しているのではないかと想像が膨らむ。

 

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漫画家・諸星大二郎の傑作短編「生命の木」を読むと、そんなことを考えさせられる。

短編「生命の木」は、主人公の考古学者・稗田礼二郎がさまざまな奇怪な事件に巻き込まれる「妖怪ハンター」シリーズの1編。

この物語では、「知恵の木の実を選ばなかったほうの人間たち」が盲目的に「神の教え」を信じる姿が描かれる。

私は、「妖怪ハンター」を文庫本(全3巻)で持っていて、そのうち「地の巻」に、「生命の木」は収録してある。

 

 

「生命の木」は、長崎の隠れキリシタンの聖書「天地始之事」をヒントにした物語だとされる。

物語の冒頭で、東北地方の隠れキリシタンの聖書から「世界開始の科(とが)の御伝え」(おそらく、作者が考案した架空のもの)が紹介される。

要約すると・・・

神が最初に作った人間のうち、「あだん」(アダム)は知恵の木の実、「じゅすへる」(ルシファー)は命の木の実を食べた。

それぞれ神が禁じた木の実なので、あだんとその妻「えわ」(イヴ)は下界に追いやられた。

じゅすへるの子孫は死ぬことなく増えるので、順次、「いんへるの」(インフェルノ、地獄)に追いやられた。

じゅすへるの子孫は「きりんと」(キリスト)が来るまで苦しみ続けるという。

 

聖書と違い、「知恵の木の実」と「命の木の実」の2種類があるというのが面白い。

知恵と不死のどちらを選ぶかという問題でもあるわけだ。

 

同じ諸星大二郎の名作「マッドメン」で、意地悪な選択があったのを思い出した。

「マッドメン」では、人間の祖先カウナギとナミテが、「大いなる者」から、バナナと石のどちらかを選ぶよう迫られ、バナナを選んだから、不死の身にならなかった───という架空の神話が出てくる。

大いなる者は、ちょっと、意地が悪い。

バナナと石を示されたら、食べられるバナナを選ぶのが人情だろう。

しかも、バナナを選んでも、賢くなるとかの特典はなし。

 

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これと比べたら、知恵の木の実と命の木の実の選択は親切だ。

もし、私が選ぶとしたら、もちろん、知恵の木の実。

この記事の冒頭に書いたように、知恵こそが人間らしさの根幹だと思う。

そして、不死は必ずしも幸せではないと思う。

 

漫画家・手塚治虫の大作「火の鳥」は、まさに、永遠の命が大きなテーマ。

「復活編」では、いったん、死にながら、サイボーグとして生き返らされた主人公の悩みが描かれる(「火の鳥 復活編」については、またの機会に書きたい)。

映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」では不老不死のヴァンパイアの悩み、高橋留美子の漫画「人魚の森」シリーズでは人魚を食べて不老不死となった人間の悩みが描かれる。

アニメ化された漫画「葬送のフリーレン」では、1000年生きる種族エルフである主人公フリーレンが、短い命を燃やす人間の生きざまに惹きつけられる。

不老不死を心から楽しめるメンタルの持ち主は、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の吸血鬼レスタトとか、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」(荒木飛呂彦)の吸血鬼ディオ、究極生物カーズといった方々くらいではないだろうか。

 

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「生命の木」では、じゅすへるの子孫は地獄に落とされて苦しみ、救いを求めているということになっている。

話をわかりやすくするために、便宜上、そう書いているだけだと想像する。

作者は、地獄に落とされなくても、不死には苦悩がつきまとうことを念頭に、この物語を描いていると思う。

 

物語のクライマックスで、稗田が放つセリフは意味深だ。

「聖書のイエスは、アダムの子孫をだけ救うものだ。じゅすへるの子孫を救うキリストが必要なんだ!」

「永遠に死ぬこともできず、地底にうごめいている彼らを・・・」

 

「妖怪ハンター」地の巻より。「生命の木」その1

「妖怪ハンター」地の巻より。「生命の木」その2

人間とは別の闇の一族がいるというアイデアは、同じ「妖怪ハンター」の1編「黒い探究者」で描かれる。

これは、古事記に出てくる「ヒルコ」から空想を膨らませた物語。

ヒルコは、イザナギとイザナミの間に最初に生まれた子。不完全な体で生まれたため、捨てられた(葦舟に乗せられて流された)。

「黒い探究者」の設定では、ヒルコは不完全な生命。

「人類から封じ込められ、邪悪な存在となった。地球の影の部分で生き続け、古来、いろいろな名前で呼ばれてきた。悪魔、鬼、妖怪、もののけ、小人…と」と説明される。

 

「妖怪ハンター」地の巻より。「黒い探究者」

あらためて思うに、日本神話のイザナギとイザナミ、出来の悪い子だから捨てるという発想がすごい。

出来の悪い子ができたことを「穢れ」だと考えて嫌ったということになっているけど、現代人の感覚では、なかなか、共感しがたいだろう。

 

ラフカディオ・ハーンは古事記を愛読し、日本への憧れを抱いたとされる。

ヒルコの話も当然、読んだはず。

ハーンは、幼い頃、父親に捨てられ、母親と生き別れになった、つらい過去がある。

NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」の描写によると、ハーン(朝ドラではヘブン)は、怪談「子捨ての話」に憤りをあらわにした。

でも、古事記を読んで、「イザナギ&イザナミ、許す、ない。日本、地獄」という風には思わなかったのだろうか。

 

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