
「闇の客人」諸星大二郎
祭りの時に出る露店のひとつに「当てくじ」がある。
キャラクターグッズ等が当たりの賞品で、ハズレだと、何だか、よくわからない安物のおもちゃになる。
私が生まれ育った鳥取市の祭りでは、少なくとも、私が子どもの頃には、当てくじの露店はなかったと思う。
だから、私はやったことがない。
長女が幼い頃、やっているのを見ていて、ガチャよりギャンブル性が高いものだなと思っていた。
当たりの賞品に惹かれて、わくわくしながら、くじを引き、外れた時のショボーンとした顔が、かわいそうだった。
長女が当てくじをやりたいと言うと、妻は「どうせ、当たらないのに、やるの?」と、たしなめていた。
私は、わくわくする気持ちを買うものだという考え方だから、やりたいと言えば、やらせていた。
ただ、ギャンブルはリスクが大きいのなら、考えものだ。
ましてや、命を賭けるというような話なら・・・
漫画家・諸星大二郎の短編「闇の客人(まろうど)」は、貧しい山村で100年近く前に途絶えた祭りをまちおこしのために復活させ、トラブルに見舞われるストーリー。
そもそも、祭りが途絶えたのは、なぜだったのか。
それは、村人が死んだり、行方不明になったりするリスクがあったから。
それでも、貧しさゆえに、幸を願う祭りをなかなか、やめられなかったという秘密が解き明かされる。
祭りが行われていた当時を知る老人(半世紀前に村を出た)を探して訪ねた青年とのやり取りを抜粋してみる。
青年「なぜ、祭をやめてしまったんですか?」
老人「ん・・・なんでかなァ・・・いろいろ死人も出たし・・・それでかも知れんなァ」
青年「人が死んだんですか!?」
老人「あァ、よく死んだよ。毎年ってわけじゃァねェが・・・ほかに神隠しも多かったナ・・・」
青年「神隠し!?」
老人「ん・・・毎年、必ずあったなァ・・・たいてェ、年寄りだったがァ・・・」
青年「そんなに人が死んだり行方不明になったりしても、なぜ、祭を続けてきたのです?」
老人「そらァ、おめェ・・・大鳥村は貧しい村だったでヨ・・・ん・・・しょうがねかった」
(以上、抜粋)
この物語では、鳥居が「異界の門」だというのも、面白い。
祭りの神事によって、異界の門を開き、幸をもたらす神を招こうというものだった。
しかし、異界の門は、良い神だけを招くわけではない。
災いをもたらす「禍つ神(まがつかみ)」が入ってくるリスクもあった。
まちおこしでは、なくなっていた巨大な鳥居を再建して、祭りを復活させる。
祭りを復活させた観光関係者らは、この祭りがどんな意味を持つものかを知らなかった。
そして、異界の門から入ってきた禍つ神(姿は見えない)によって、死人まで出る。
青年とともに村に帰ってきた老人は、禍つ神を入れてしまったことに気づき、今では忘れ去られた伝統の「鬼踊り」をして、禍つ神を異界の門(鳥居)に誘導する。
そして、禍つ神とともに、異界に姿を消す。
老人が村を救った格好だけど、そのまま、異界に消えてしまうというのが、何とも、せつない。

物語の終盤で、主要人物の考古学者・稗田礼二郎が、おさらいのように、この祭りを解説するのだけど、その冒頭の語りが興味深い。
(礼二郎は、主人公というより、物語の案内役。荒木飛呂彦の短編「岸辺露伴は動かない」シリーズの露伴みたいな役柄)。
以下に抜粋してみる。
だいたい、異界から来るものを人間が選ぶことができるだろうか
幸をもたらしてくれる良い神だけを招き、悪い神・・・災いをもたらす禍つ神は入れないというようなことが・・・
(以上、抜粋)

幸運と不運はセットになっていてこそ、力を発揮するという風にも聞こえ、興味深い。
劇場版アニメ「天空の城ラピュタ」で、ヒロインのシータが、「良いまじないに力を与えるには、悪い言葉も知らないといけない」と言っていたのを思い出した。
一方で、この村には、祭りによって、幸がもたらされたこともあったはずだと思うけど、それがどんな幸だったのかは、描かれていない。
村は貧しいままだし、本当に幸がもたらされていたのだろうか。
死人が出るリスクを背負ってまで、祭りを続けたくなるような、幸が。
たとえば、たまたま豊作になったのを幸だと考えていたとか、実は、村人たちはだまされていたんじゃないか、とも想像した。
「闇の客人」は、礼二郎がさまざまな怪異に遭遇する「妖怪ハンター」シリーズの1編。文庫版では、「妖怪ハンター・地の巻」に収録されている。
同じ「妖怪ハンター・地の巻」に収録されている短編「蟻地獄」には、ギャンブル性のある不思議な洞窟が出てくる。
その不思議な洞窟の奥には、無数の穴が開いた空間があり、幸をもたらす「良い穴」と、中に引き込まれて魔物に食われてしまう「悪い穴」がある。
訪れた者は、穴をひとつ選んで中に入れるという設定。

この物語では、良い穴を引き当て、富豪になった人物が出てくるので、幸の程度がわかるのだけども・・・
「闇の客人」の場合、本当に、幸は何だったんだろう。
文庫版「妖怪ハンター・天の巻」に収録された短編「天神さま」は、わらべ歌「通りゃんせ」が、異界の門を開く鍵だという設定。
この物語の主人公に当たる高校生・川島孝一は10年前、幼なじみの千鶴子(愛称・ちいちゃん)が神隠しに遭った場面に居合わせていた。
実は10年前の七五三の時、異界の門となる不思議なお堂の前で「通りゃんせ」を歌ったため、一緒にいた千鶴子が異界に引き込まれていたことが、物語が進むにつれ、わかってくる。

「蠅声す邪ぶる神(さばえなすあらぶるかみ)」のとりことなり、幼い姿のまま、異界で過ごしていた千鶴子を取り戻すラストには、ホッとした。

それにしても、鳥居が異界の門だとか、「通りゃんせ」が異界の門を開く鍵だとか想像すると、少し怖くなる。
身近なところにほかにも異界の門があって、気づかないままに開いてしまうことがあるんじゃないか、と。
(以下の記事「夢の中へ」で「闇の客人」にも触れ、現実逃避を分析している)

