
「ばるぼら」手塚治虫
恋愛と芸術は、ある面で似ている。
そう、想像させられる。
愛しい人が素敵に見えるのも、芸術作品が素晴らしく感じられるのも、見る人の気持ち次第。
一目惚れもあるけども、何でもないと思っていたのが急に魅力的に感じられてくるケースもある。
漫画家・手塚治虫の「ばるぼら」は、不思議な魅力のある作品だ。
物語は、小説家の美倉洋介が、都会の駅の片隅に浮浪者のようにたたずんでいた若い娘のバルボラと出会って、始まる。
「都会が何千万という人間を飲み込んで消化し、たれ流した排泄物のような女──それがバルボラ」。
美倉は初対面の印象をそう言い表す。


「飲んだくれで、グータラで、薄汚くて、厚かましくて、無責任で、気まぐれで、おせっかいで、狂気じみている」。
そうも言われるバルボラは、実は、芸術の女神ミューズだった。
美しい、心地良いといった芸術のイメージと対照的なキャラクターとして描かれているのが、興味深い。
マルセル・デュシャンが「芸術作品だ」と言って出展した便器が思い浮かぶ。
デュシャンの狙いは「芸術とは何か。見る人の気持ち次第ではないのか。芸術だと思えば、芸術なんだ」という問題提起だった。
本作「ばるぼら」も、そんな芸術のはかなさを説く。
たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」を見るために日本の美術ファンが詰めかける様子が描かれ、一方では、芸術的な価値が高いと思われる仏像が見向きもされずに寺の片隅に転がっている様子が描かれる。
バルボラの当初の姿は変化の伏線だ。
バルボラは、ある時、唐突に女性らしい態度を見せ、美倉に迫る。
「どう、きれい? 先生の奥さんになろうかと急に思ったんだ。フフフ。オレ、憎かァ、ねーんだろ? オレも先生、好きなんだ」と。
美倉は驚きながらも虜になり、2人は結ばれ、結婚を約束する。


実際のところ、バルボラは外見も中身もそう変わっていない。
ふと、女性らしい態度を見せたバルボラに「どう、きれい?」と言われ、美倉の見方が変わったのだ。
便器を展示室に置いて「作品『泉』マルセル・デュシャン」と書いた札を添えたら、芸術作品に見えてくるのと同じだ。
私も似たような経験がある。
何とも思っていなかった同級生に、ふとしたきっかけで「女性」を意識したら、急に魅力的な女性に見えてきたとか。
本作「ばるぼら」では、たびたび、現実と幻想が入り混じる。
この演出も恋愛や芸術のはかなさをより強く感じさせる。
たとえば、美倉は、マネキンや雌犬に恋をする異常な性癖の持ち主として描かれる。
美倉が理想の女性として、かつて小説で描いた主人公が出てくるエピソードがあるのだけども、幻覚だろうと思って読み進めると・・・
その主人公に話しかけていたはずが、気がつくと、バルボラだった。
美倉は「そうか、わかった」と納得する。
「おまえを駅で最初に見かけた時、何だか妙に惹かれたのは、おまえはこの主人公にそっくりだったからだ。何度も追い出したが、その都度、また捜しに行く気になったのは、おれの潜在意識がこの小説の主人公を求めてたからなんだ」と。

本当にそうなのかもしれない。
でも、もしかしたら、後付けで、そう感じただけかもしれない。
好きな理由を自ら補強していって、ますます、のめり込む恋愛の心理を描いているかのようにも、感じた。
その後、美倉の元には、かつてバルボラと一緒に過ごして傑作を書き上げたという小説家ルッサンカが現れる。
ミューズであるバルボラは「あげまん」的な力があったようだ。
ルッサンカは、バルボラが去って、そのことに気づいたという。

バルボラが「女」となり、美倉と結ばれるのは、その後。
2人の結婚式は黒ミサ方式で開かれるのだけども、美倉の落ち度で中止となる。
ショックを受けたバルボラは、行方をくらましてしまう。
失って募る恋慕もある。
美倉はバルボラを探し求め、再会するのだけども・・・
結末は、ここでは書かないでおこう。
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