てっちレビュー

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「どろろ」手塚治虫 魔物に奪われた体を全部取り戻していないのに終わるのはなぜか 人間らしい心を取り戻すのが主眼で、それが達成されたからだ

「どろろ」

「どろろ」手塚治虫

48の魔物に奪われた体のパーツを取り戻す旅という設定が斬新だった。

ところが、物語は、体を全部取り戻す前に終わる。

しかも、主人公は晴れ晴れとした表情で、相棒と別れる。

これは一体、なぜなのか。

漫画家・手塚治虫の名作「どろろ」は、主人公・百鬼丸が人間らしい心を取り戻す物語なのだと思う。

 

 

戦国時代、野心的な武士・醍醐景光は48の魔神に天下取りの願をかけ、代償として、生まれてくる息子の体を捧げる。この息子が百鬼丸で、目も鼻も耳も手足もない状態で生まれ、川に流されて捨てられる、医師に拾われ、体が不自由な代わりに、テレパシー能力や周囲の様子を察する能力を持っていることが判明。育ての親となった医師に義手、義足等で人間の外観を整えてもらい、魔物に奪われた体を取り戻す旅に出る───というストーリー。

 

「どろろ」より。魔神に祈る景光

「どろろ」より。百鬼丸のために義手義足等を作る医師

相棒となる孤児・どろろと出会った頃、百鬼丸は、人間らしい心を失っていた。

かつて、戦災孤児たちと一緒に暮らすうちに、みおという娘に惚れ、みおや孤児たちを幸せにするという夢を描いていたのに、みおや孤児たちを武士に殺されてしまったからだ。

 

百鬼丸が、どろろに語る。

「みおはな、おれの心に初めて人間の心を吹き込んでくれた。だが、みおが死んで、おれの心は死んじまった。おれは剣を覚えた。この通り、常人と同じように振る舞える。だけど、それが何になるんだ。おれという人間は、まるで枯れ木の風穴のようにガランとして、死人も同じなんだ」と。

 

そんな百鬼丸は旅の途中、ふとしたきっかけで景光や母と出会い、胸を熱くする。

自分を魔神に捧げ、川に捨てさせた景光に対しても、だ。

「不思議だ。あの男の顔を見た途端に、おれの気持ちの中に何とも言えない、あったかみみたいなものがグーッと込み上げてきた。なぜだろう」と。

 

「どろろ」より。景光と出会った百鬼丸

わが子だと察した母に「ぼうや」と声をかけられると、「お、おれ、おばさんなんか、知らねえ。だけど、おばさんの顔は、何だか、遠い遠い、ずーっと遠い昔、どっかで見たみたいだ。おばさんは、お、お、おれのかあさん?」と動揺する。

しかし、この時は「う、うそだ。おれにはかあさんなんていねえ」と母を振り切るのだ。

 

この物語で特に記憶に刻まれたのが、弟・多宝丸との対決の場面。

お互いに、出会った時から反感を抱いており、兄弟とは知らずに対決することになる。

家来に聞いて対決を知った景光は、慌てて止めに行こうとする。

「なにーっ!やめさせろっ!あの2人は、ち、血を分けた兄弟なのだぞ」と。

冷酷なはずの景光に、百鬼丸への親の情があったのだろうか。

人間の心理は複雑だ。

 

一方、魔物が百鬼丸に「景光はおまえの父、多宝丸は弟だ」とささやく。

百鬼丸を苦しめるためだ。「おまえに弟を殺せるか」と。

実際、百鬼丸は苦悩する。

苦悩するけども、もはや、対決は避けがたく、多宝丸を斬る。

 

「どろろ」より。多宝丸が弟だと知る百鬼丸

この後、百鬼丸が、倒れた多宝丸に、優しい表情で語りかけるのが、せつない。

「多宝丸と言ったな。もう一度、目を開けて、おれの顔を見ろ。おれはな、きさまの兄貴だよ。もっと、話したかったぜ」と。

死に際に、多宝丸も笑みを見せる。これも、せつない。

できれば、前段で、百鬼丸と多宝丸の心が何となく通じる場面があると、兄弟の対決の悲劇がより際立ったと思う。

 

「どろろ」より。もっと話したかったぜ

現場に駆けつけた景光は、多宝丸の死を知って悲しみ、やり場のない怒りを百鬼丸に向け、刺客を放つ。

 

刺客を退けた百鬼丸が、自害しようとするのが、興味深い。

知らないまま行きがかりとはいえ、弟をあやめてしまい、父に憎まれて、人生をはかなんだのだろうか。

「おやじ、おれを殺すまでもないよ。おれは自分であの世へ行ってやるぜ」と言って、腹を切ろうとする。

 

この物語の要所で出てくる琵琶法師が、ここで登場。

事情を知ったうえで「だからって、おめえさんが悲観して何も死ぬことはねえと思うよ」とよくわからない説得で思いとどまらせる。

 

いや、琵琶法師の微妙な説得だけなら、思いとどまっていなかっただろう。

ここで、百鬼丸は、どろろの危機を察して、救出に駆けつける。

これで、切腹しようとしていたことは、うやむやになる。

この物語は、どろろが、百鬼丸に「生きる力」を与えているのがミソだ。

 

そして、どろろの父が隠した宝の存在が判明する。

農民から盗賊になった、どろろの父は、苦しむ庶民のために役立てようと宝を隠していたのだ。

 

このタイミングで、またも琵琶法師が登場。

やり取りを以下に抜粋してみる。

 

琵琶法師

おめえさんにやっと、行く先が決まったようだ。その金を見つけてやるこった。それがおめえさんにとって幸せなのさ。

百鬼丸

おれがこいつの金を探してやるのがなんで幸せだ。

琵琶法師

なあ、百鬼丸よ、人間の幸せちゅうのは、生きがいって、こった。おめえさんが妖怪を倒す、手が生え、足が生え、目が開いて普通の人間になる時がくる。それから後、おめえさんはどうする?何を目標に暮らす?

百鬼丸

うるせえ!その時はその時、考えらい。

琵琶法師

いいや。おめえさんは、そこで目的をなくして、ガックリするだけだ。おめえさんはちっとも幸せにならねえ。どろろの金は不幸な人たちが立ち上がるために使われるのだろう?それを見つけてやるということは、おめえさんが一人前の人間として立派に役を果たしたことになる。それが、生きがいだ。わかるか?

百鬼丸

それで、妖怪はどうなる?

琵琶法師

金を探す間にも妖怪は出てくるさ。今度は、おめえさんは、はっきり目的を持って、そいつらを倒していくんだ。

(以上、抜粋)

 

世のため、人のためになる大きな目標を持って生きろよ、というアドバイス。

これで、百鬼丸は納得して、宝探しのために生きようと、前向きな気持ちになる。

どろろが「守ってやりたくなる存在」として、百鬼丸の情に訴えれば、琵琶法師は、百鬼丸の理に訴える。

情と理の両面から、たたみかける、見事なコンボ攻撃だ。

 

物語の終盤。

百鬼丸は、庶民を苦しめる景光と対決するつもりで、会いに行く。

「もしかしたら、差し違えて死ぬかもしれない」と、どろろに別れを告げて。

 

景光は、多宝丸の一件はもう吹っ切れたのか、百鬼丸を責めるようなことはしない。

「おまえに会わせたい人がいる」と母のところに連れて行く。

 

百鬼丸が、なぜ、自分を捨てたのか、それでも母親かと積年の思いをぶつけると、母は泣いて謝る。

「百鬼丸、許しておくれ。私が悪かったの。私はこの十何年間、そのために死ぬほど苦しんできました」と。

百鬼丸は「苦しんだのは、こっちだ。このつらさは、誰にだって、わからねえ」と憎まれ口を叩きながらも、目には涙。

 

「どろろ」より。母の愛情に触れる百鬼丸

ここにきて、百鬼丸は、父母の愛情に触れ、人間らしい心を取り戻したに違いない。

ここで、庶民の反乱が起きて、景光と母は追われる身となり、百鬼丸に逃がされる。

 

ラストは、どろろとの別れと新たな旅立ち。

「おまえは、死んだ気で農民たちと一緒に戦い抜け。それがおまえの行く道さ」

「おれは、また、魔物を探して歩くさ。おまえは、おまえの道を行け。おれは、おれの道を行く。完全な体になったら、また会おう」と。

 

「どろろ」より。百鬼丸、新たな旅立ち

百鬼丸は、なぜ、どろろと別れたのか。

みおが死んで失った人間らしい心を取り戻し、自分の人生に区切りを付けたからだ。

取り戻すべきは、魔物に奪われた体より、人間らしい心だったのだ。

 

百鬼丸の心は、どろろとの旅で少しずつ、ほぐされていた。

どろろと別れなくても一緒にいればいいじゃないかと思われるかもしれないけど・・・

百鬼丸は、しばらく1人で心機一転して、人生を歩み直してみたいと思ったのだろう。

どろろと一緒に、宝を探して庶民のために役立てる旅も悪くないけど・・・

自分なりに新しい目標を見つけてから、どろろと再会したいと考えたのではないか。

 

2人は、いずれ、再会すると考えたい。

その時には、どろろは、庶民の解放運動のリーダーになっているのだろう。

漫画「北斗の拳」(原作・武論尊、作画・原哲夫)のリン(成長後)のように。

そこに、ふらっと百鬼丸が現れる。ケンシロウのように。

魔物から体を全部取り戻して。

そして、凄腕の剣士として、どろろの運動を支援する。

「北斗の拳」というより、漫画「カムイ伝」(白土三平)の世界かもしれない。

 

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ちなみに、漫画「人狼草紙」(楠桂)は、人狼の主人公が妖を倒して妖力や記憶を取り戻す旅をするという設定が「どろろ」を思い出させる。

しかも、男装の女剣士が旅の相棒。

面白い。おすすめ。

同じ作者の「鬼切丸伝」も面白い。

歴史の中に潜む鬼を斬るという物語で、「新デビルマン」(永井豪)を思い出させる。

 

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余談だけど・・・

「どろろ」は、主人公ではなく、その相棒の名前がタイトルになっている。

漫画「ドラえもん」(藤子・F・不二雄)と似ていて、興味深い。

「どろろ」は、主人公の百鬼丸が、相棒のどろろとの旅を通じて成長する物語。

「ドラえもん」は、主人公ののび太が、相棒のドラえもんとの付き合いを通じて成長する物語。

どちらも、主人公の名前ではなく、相棒の名前をタイトルにしているのは、相棒の名前が人名らしくないというインパクトもあるのだろう。

そして、読者が主人公の生きざまに自らの姿を重ね、どろろ、ドラえもん的な相棒を想像してもらいやすくするためではないか。

そんな風に考える。

 

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