
「エリア88」新谷かおる
主人公・風間真は、親友・神崎悟に騙されて、恋人・津雲涼子と引き離され、あすの命も知れぬ異国の激戦地に空軍の傭兵として送られる。
生きて日本に帰るには、3年間の任期を務め上げるか、150万ドルという巨額の違約金を払うか。
真は、死の危険にさらされながら、敵を倒して賞金を稼ぎ、生還を目指す───

新谷かおるの航空アクション漫画「エリア88」は、親友の裏切りと死地からの生還が物語の核だ。
私は連載終了から間もない高校年代頃に単行本で読んで、一気に引き込まれた。
すぐ思い浮かんだのは、映画「ベン・ハー」(1959年、米国)。
そして、文豪アレクサンドル・デュマの名作「モンテ・クリスト伯」。
「ベン・ハー」では、主人公ベン・ハーが親友メッサラに裏切られて、ガレー船を漕ぐ奴隷の身に落とされる。
「モンテ・クリスト伯」では、主人公エドモン・ダンテスが、親友ではないけども同僚ダングラールや恋敵フェルナンに無実の罪を着せられ、恋人メルセデスと引き離され、投獄される。
「ベン・ハー」「モンテ・クリスト伯」では、主人公が復讐を果たし、陥れた者たちは死んだり、破産したりする。
あくまで、主人公を中心にした復讐ものであり、見る者にとっては、復讐の達成に爽快感がある。
これらに対し、「エリア88」は少し様相が異なる。
単純な「復讐もの」とは言いにくい。
真が望むのは、まず、生還と、涼子との再会。
そして、神崎に会って、なぜ裏切ったのかを確かめることだ。
神崎に仕返しをしようとは考えていない。

実際に・・・
真は、生還し、涼子と再会する。
神崎とは、最終的に、事情により、お互いに戦闘機に乗り込んで決闘することになる。
なかなか引き金を引けず、神崎に撃たれて、とっさに撃ち返し、神崎は死ぬ。
ここに爽快感はない。

真にとっても、そう。
真は、最終的に、過酷な運命のため精神が崩壊し、記憶喪失になり、涼子に寄り添われる姿が描かれる。
そして、物語は、神崎の愛人ジュリオラが、神崎との間に生まれた赤ちゃんに「サトル」と名付けて、優しく抱きしめる場面で終わる。
このラストシーンがミソ。
作者は、戦争で心の傷を負った真と、嫉妬から心が歪んだ神崎という2人の「再生による心の救済」を図ったのだと、考えさせられる。
もう少し説明する。
<風間真の心の傷と救済>
まず、真について。
真と神崎は、ともに幼い頃に孤児となって孤児院で育ち、一緒に航空会社「大和航空」のパイロットを志していた。
ちなみに、大和航空の社長令嬢が涼子。
傭兵となった真は、生き延びるためとはいえ、敵を殺す生活を気に病む。
「人殺しが板に付いてきたな。涼子・・・おれは、だんだん、おまえから離れていってしまうような気がする。距離だけでなく、心までも」と。

そして、戦地で過ごすうちに、普通の平和な暮らしになじめなくなる。
これは、真の同僚の同様な過去も描かれていて、命のやり取りをする兵士の「心の病」のように説明されている。
真は無事に任期を務め終えて、いったん、自由の身となるけど、平和な暮らしになじめず、今度は自らの意思で再び、戦場に身を投じるのだ。
実際のところ、兵士が誰でもそんな「心の病」になるわけではないだろうけど、心に異常を来すケースは、あると思う。
たとえば、映画「ランボー」(1982年、米国)は、ベトナム戦争帰還兵の心の傷を描いて、話題になった。
少なくとも、「エリア88」の作者は、いかなる事情があろうと人を殺しまくってきた主人公が、平和な暮らしにすんなりと戻るという姿は、描きたくなかったのだろう。
物語の終盤では、真の戦友である主要人物たちが次々と死んでいく。
この時点で、真の精神が崩壊しかけている描写もある。
そして、神崎との決闘を終えて生き延びた真は、神崎に裏切られて以降の記憶をすべて失う。
あまりにも、つらい経験を重ねてきたために。

つまり、無垢な真に再生して、涼子の元に戻った格好だ。
生き残った戦友キムがその姿を見て、「あなたの思い出の中に、僕は、もう、いないのですね。あなたとともに戦ったみんなも」と、つぶやくのは、せつないけども・・・
そして、これをハッピーエンドと言えるのかどうか、わからないけども・・・
涼子に優しく寄り添われて、平和な人生を歩み直すのだろうと、想像させられる結末だ。
<神崎悟の心の歪みと救済>
次に、神崎について。
神崎は、当初から、野心を秘めた人物として描かれる。
パイロットの研修を終え、真に「(孤児院の)院長先生に会いに行こうよ」と誘われると、きっぱりと断る。
「いや、おれは行かない。おれは、あの孤児院を出る時に誓ったんだ。今度来る時は大金持ちになって、あの孤児院を建て替えてやる、ってね」と。
そして、「真よ。おれは、いつまでも大和航空にいるつもりはない。いずれは自分の航空会社をつくる。それが、おれの目標だ。必ず、やるさ」と夢を説く。
「利用できるものは何でも利用する」とも説く。
このへんは割と私好みのキャラクター。

まるで、「ジョジョの奇妙な冒険」(荒木飛呂彦)のディオみたいだ。
貧しい家庭に生まれ、幼くして母を亡くし、小悪党の父に育てられたディオの名セリフが思い浮かんだ。
「ひとりでも生きられるが、利用できるものは何でも利用してやる! だから、このジョースターとかいう貴族を利用して、誰にも負けない男になるッ!」という。

神崎が真を裏切った動機は、割と早い段階でわかる。
神崎が、大和航空の乗っ取り計画を着々と進めながら、橋の上で、1人になり、叫ぶ場面がある。
「シンよ。おまえは、いつでも、おれの後ろさえ、ついてくれば、よかったんだ! おれより、先を歩いちゃ、いけないんだよ、おまえは!」
「そしたら、何もあんなマネはしなくて済んだんだ。そしたら、2人で世界を乗っ取ることだって、できたんだ」と。
この場面、私は大好き。「エリア88」で一番好きな名場面だ。

神崎は、真が大和航空社長令嬢の涼子と恋仲になり、出世コースを歩むと予想されることに、嫉妬していたのだ。
同じく孤児として育ったのに、と。
そして、物語が進んだら、はっきりとわかるけども、神崎は、真より少し年上。
真の親友であり、兄貴分だったようだ。
それだけに、余計に嫉妬が募ったのか。
格闘漫画「北斗の拳」(原作・武論尊、作画・原哲夫)のジャギが思い浮かぶ。
北斗4兄弟のうち、ラオウ、トキに次ぐ3番目で、末弟ケンシロウの兄。
ジャギは、弟のケンシロウのほうが拳法の腕前が優れていることに嫉妬して、心が歪んでしまったとみられる。
まるっきり他人、しかも、幼い兄弟を見ても、弟の出来がいいと、機嫌が悪くなる。
「兄より優れた弟なぞ、存在しねえ」と。

ジャギは、最初から、心が歪んだ人物として出てくるけども・・・
物語に描かれていない、もっと、幼い頃は、もしかしたら、ケンシロウに優しい兄だったかもしれない。
たとえば、おやつの肉まんを半分に割って、大きいほうをケンシロウに差し出すとか。
このような描写があると、より作品の深みが増したと思う。
南斗六星拳のシンやサウザー、ユダはもちろん、さほど重要でないアミバでさえ、心が歪む過程が描かれているのに・・・
ジャギは、アミバ以下で、ハート様レベルの存在ということだろうか。
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神崎には、優しい描写があった。
真の回想シーンで出てくる。
2人がパイロットになるため勉強していた頃、風邪でアルバイトを休んで、授業料が払えなくなった真に、神崎がお金を差し出す。
「おれは、もう先週から単独飛行に入っている。今週1回くらい抜けたって、どうってことない」と。
「頑張んな。早いとこ、おれたちの夢を実現させなきゃな」と励ましの言葉もかける。

だからこそ、「なぜ?」という、真の疑問が深まる。
自分が出世のレールに乗ってしまったから、神崎のプライドを傷つけたとは、思いもよらなかったのだろうか。
真は、私のように、天真爛漫な性格なのかもしれない。
だから、神崎にはめられてしまったのだろう。
物語が進むにつれて、真は、大物政治家の後妻の連れ子だったことがわかる。
そして、神崎は、その大物政治家と先妻の間にできた子どもだった。
神崎の母は、大物政治家が出世のために自分を捨てて、真の母と再婚したことを恨み、赤ちゃんだった真を誘拐して、殺害しようとしたけど、あまりの可愛さに殺せず、孤児院の前に置き去りにする。
一方で、神崎の母は、夫だった大物政治家と真の母を事故に見せかけて殺害。
神崎を巻き添えにして心中を図り、神崎だけが生き延びる。
そして、神崎は、真と同じ孤児院に入ったという背景が、終盤で明かされる。
そして、神崎が真を裏切った動機は「嫉妬」プラス「母の代からの因縁」という説明になっていく。
「母の代からの因縁」は、神崎の嫉妬心をさらに煽っただろうし、「これは、おれ個人の嫉妬ではなく、宿命なのだ」と、神崎の心をより頑なにさせたに違いない。
神崎は、訳あって身ごもった真の母が真を産むために神崎の父だった大物政治家との結婚を選んだこと、神崎の母が真を殺そうとしても殺せなかったこと、そして、涼子が真に惹かれたことを列挙して、真を責める。
「おまえは、どうして、そう、うまく愛を独り占めできるんだ・・・え?」と。

このように、裏切りの動機が変化してしまったことは、好みがわかれると思う。
私は、嫉妬だけでよかったと思う。
「真よ。おまえは、いつでも、おれの後ろさえ、ついてくれば、よかったんだ! おれより、先を歩いちゃ、いけないんだよ、おまえは!」という説明だけで。
このセリフは、プライドをズタズタにされた感がよく表れていて、ディオ(「ジョジョの奇妙な冒険」)の名セリフに匹敵する。
本気で怒ったジョナサンにボコボコにされた時に、泣きながら発したセリフ。
「こんなカスみたいなヤツに、このディオがッ! よくも! この僕に向かって! この汚らしい阿呆がァーッ!」という。
「エリア88」は、途中から物語のスケールが大きくなる。
神崎が闇組織を乗っ取って、戦争を仕掛ける大悪人になってしまい、これに対抗する都合上、真は、ひょんなことから大富豪になり、さらには、政財界の大物(真の母の父。つまり、真の祖父)の後押しも得ていく。
このような事情から、大物政治家と絡めて「母の代からの因縁」があったという風に、背景を盛らざるをえなくなったのだとは思うけど・・・
「母の代からの因縁」だと言われても、ちょっと、感情移入しにくい。
それに「真が愛を独り占め」と言うけど、神崎だって、自分の母には愛されていただろうし、子を生むジュリオラには間違いなく、愛されていた。
これは、わがままを言うなということになってしまう。
ケンシロウ(「北斗の拳」)が聞いたら、たしなめられるところだ。
「おまえも、温もりを覚えているはずだ」と。
しかし、神崎は、もはや、ケンシロウに諭されたサウザーのように改心できる精神状態では、なくなっていた。
「エリア88」のラストシーンで、ジュリオラが抱く赤ちゃん「サトル」は、いわば、神崎の生まれ変わり、再生の象徴なのだ。
神崎の再生の象徴である「サトル」は、母ジュリオラに抱きしめられ、愛情をいっぱい、受けている。
こうして、神崎をも救済した「エリア88」の幕引きは、素晴らしい。

(以下の記事「ラスト・ダイ・ハード」は、新谷かおるの漫画「砂の薔薇」と比較して考察)


