読書カテゴリーの「変なおじさん 完全版」の記事で触れた、子どもの頃の創作活動(?)の思い出話をもう少し。
自分はもともと空想癖があり、物語を考えるのが好きだった。
何がきっかけだったかは忘れたが、小学1年の頃、友人A君と競うようにして、ノートに続き物の物語を書き、1話ごとに交換して見せ合っていたことがあった。担任の先生にも見せていたと思う。
自分が書いていたのは推理物で、主人公が事件を解決していく物語。
内容はほぼ忘れたが、「ジャイアント馬場誘拐事件」というストーリーがあったことはうっすらと覚えている。あの巨体のジャイアント馬場が大勢の買い物客がいるスーパーマーケットで行方不明になるという事件で、主人公が「はっはっは、簡単なことですよ」と言って、次回に続く、となったところで、トリックが思い浮かばず、打ち切りとなった残念な作品だ。
ちなみに、A君は童話のような物語を書いていて、詳しい内容は覚えてないが、そっちのほうが面白かったし、最後まで書ききっていたように思う。
小学2~3年の時は友人B君と一緒に漫画を描いた。「ザラ紙」という安い紙に書いて、束ねただけのものだったが、クラス担任のC先生がそれを知って、きちんと、接着剤でとじて表紙をつけ、製本してくれたのを思い出す。
4年になると、学校の委員会活動で図書委員になったのをきっかけに読書に目覚め、学校の図書室にある本を読みまくった。図書室で借りた本の冊数が一番多いというので表彰されるくらい読んだ。その後も今に至るまで読書は好きだけど、たぶん小学4年から中学3年までの頃が一番よく読んでいたと思う。
小学4~6年の頃は主に小説で、推理物(子ども向けのシャーロック・ホームズシリーズや怪盗ルパンシリーズ、少年探偵団シリーズ)、海外のSF小説、世界の名作文学シリーズをよく読んだ。
小学4年になると漫画熱は冷めたが、一方で、コントに興味を持ち、友人D君とコンビで、クラスのお楽しみ会などの時にみんなに披露していた。言うまでもなく、ドリフターズの影響。もちろんヒゲダンスもやった。コントは主にニュース仕立て。D君がキャスター役、自分がレポーター役だったと思う。
5~6年になると、コントはやらなくなったが、クラスの新聞係(自分と友人E君が中心メンバー)になり、学級新聞作りが面白くなった。
新聞作りには、もともと興味があった。
2~3年の頃、ボイジャーだったかパイオニアだったか探査機が接近して土星のいろいろなことが分かったというニュースがあり、これはクラスのみんなに知らせたいという気持ちになり、図鑑で調べて手描きカラーイラスト付きで解説する「土星新聞」を作ったことがある(ザラ紙に手描き)。
コピー機というものを見たことがなく、コピーするという発想がなかったので、漫画の相棒B君と手分けして、同じ物を何枚も描いた。クラスの人数分作る前に力尽き、2人に1枚ずつくらいしか用意できなかったが、これまたクラス担任のC先生が喜んでくれ、土星新聞をみんなに配って見てもらった。
5~6年の学級新聞で一番記憶に残っているのは「ハムスター共食い事件」だ。
クラスでハムスターを飼っていて、子どもが数匹生まれ、みなに可愛がられていたのだが、ある日の朝、無残に食い殺された子どもたちの死骸が発見されたという事件。
新聞係は早速、取材に着手。ここ最近、飼育係がハムスターの餌をケチっていたため腹を空かした親が子どもを襲ったとみられるとの分析を、事件現場の手描きカラーイラスト付きで報じる新聞をただちに作り、教室の壁に掲示した。
すると、飼育係の女子が泣き始め、ほかの女子たちに「やめなさいよ! かわいそうでしょ!」と詰め寄られて新聞が破られてしまい、大ひんしゅくを買った新聞係は解任される羽目になった。
当時の自分は、あまりにも配慮がなさすぎたということだ。
この後、物語創作熱がまた復活して、今度は文に書くのではなく、友人に語って聞かせ、会話で進める「テーブルトークRPG」もどきの「ごっこ遊び」を考案し、友人F君を相手にやっていた(この頃、テーブルトークRPGの存在は知らなかった)。
自分が物語の進行役となり、現在の状況や場面、登場人物のセリフを伝え、F君がその場面でとる行動や言うセリフを返してくるので、それに対する場面の変化や登場人物のセリフ、反応をアドリブで考えて伝えるという繰り返しの遊びだった。
詳しい内容は忘れたが、漫画「うる星やつら」の世界観をベースにした物語だったことは覚えている。
中学生になり、友人G氏に聞いてテーブルトークRPGの元祖「ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ(D&D)」を知った時には、「これだ!」と思って、はまったものだ。D&Dは米国発祥で当時、「ベーシックルールセット」の日本語版が出たばかりだった。D&Dについては、またの機会に書く。
(2017年8月18日Facebook投稿を転載)