てっちレビュー

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鳥取砂丘は圧倒的な知名度があるのに、県民には大山ほど愛されていない不思議な名所 部活動の思い出の地でもある

 

鳥取砂丘は圧倒的な知名度を誇りながら、鳥取県民には、大山(だいせん。鳥取県西部にある山で、中国地方最高峰)ほど愛されていない。

不思議な名所だ。

砂丘がある鳥取市出身の私としては、中学時代の部活動の思い出の地でもあるだけに、少し歯がゆい思いだ。

 

<知名度の砂丘、人気の大山>

知名度の比較は論をまたない。

鳥取県が公表している「鳥取県に関するイメージ調査」の2022年度版によると、「『鳥取県』と言われて連想するもの」の1位は、もちろん「砂丘」で、78.0%と大多数が挙げた。

「二十世紀梨」(4.6%)、「砂漠」(3.8%)と続いて、4位の「大山」は、わずか1.8%だ。

 

平井伸治知事の名言「スタバはないけど、スナバはある」は、砂丘ネタだから、ウケた。大山ネタだったら、山陰地方の住民にしか響かなかっただろう。

 

一方で、地元での人気度は、小中学・高校の校歌への登場頻度に、よく表れている。

大山は、お膝元の鳥取県西部はもちろん、お隣の島根県東部でも、多くの学校で歌われる(島根県側では「出雲富士」とも呼ばれる)。

砂丘は、私の母校の中学校など鳥取市内で散見される程度(ネットで調べた限りでは、わずか3校)。

 

鳥取県民歌「わきあがる力」でも、大山は、1番の冒頭で、「♪大山は、さやかに晴れて」と、いきなり登場。砂丘は、3番の途中に、そっと出る。

 


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さらに、「大山賛歌」はあるが、「砂丘賛歌」はない。

 


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そもそも、砂丘と大山は、愛され歴の長さが、全く違う。

 

大山は、島根県東部を中心とする古代の出雲神話に登場。古くから「聖なる山」として注目されてきた。

「日本神話の高天原は、大山のことだ」という持論を展開する研究者もいるほどだ(以前、取材したことがある)。

奈良時代に大山寺が創建され、「山岳信仰の霊山」として敬われてもきた。

 


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砂丘は、長らく「不毛の地」として、顧みられなかった。

大正期に作家・有島武郎が歌に詠んで、知られるようになったらしい。

明治期以降、過酷な環境に着目した旧陸軍の歩兵第40連隊(鳥取市に駐屯)が演習場に使った。砂丘で鍛えた40連隊は「日本最強の軍隊」と呼ばれたと聞く。

長らく放置され、近代以降も軍の演習場だったため、手つかずのまま残った砂丘は、第2次世界大戦後、風で砂が飛んで周辺の農地に被害を及ぼすとして、防砂林の植樹が進んだ。

これに対し、地元の民芸運動指導者・吉田璋也(よしだ・しょうや)が砂丘の保存運動を起こし、1955年に天然記念物に指定された。

 


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<楽しかった科学部>

鳥取市で生まれ育った私は、小学生の頃から学校行事の遠足やスキー研修で砂丘に親しんできた(鳥取県は豪雪地帯であり、砂丘は起伏に富むので、スキーが楽しめる)。

 

中学時代の部活動の思い出とも結びついている。

 

中学時代は「科学部」に所属。これが楽しかった。

私の学年のチームは、「風力発電の研究」という一応、科学的な活動もしてはいた。

ホームセンターで合板やアングル(断面が「く」の字形の鉄材)を買い、羽根の直径が2メートルほどの風車を作り、風の強い砂丘で実験していた。

 

 

ただ、活動の大半というか、実態は、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」(D&D)というテーブルトークRPGの同好会だった。

D&Dは、架空の「剣と魔法の世界」を舞台に、プレイヤーが戦士や魔法使いなどになりきり、「ゲームマスター」と呼ばれる進行役と会話しながら進めるゲーム。

米国製で当時、「ベーシック・ルールセット」の日本語版が出て、間もなかった。

次の「エキスパート・ルールセット」の日本語化を待ちきれず、部員で手分けして、英語版の翻訳に励んだほど、はまった(しかも、授業中に、こっそりと翻訳。私たちの語学力では、断片的な翻訳が精いっぱいで、あとは想像力をフル稼働させて補った)。

放課後は、活動場所の理科室で、ダンジョンに潜っていた。

 

D&Dのベーシック・ルールセット(手前)

 

理科準備室(施錠され、一般の生徒は入れない)も、私たちの活動場所だった。

さまざまな薬品等が置いてあり、黒色火薬やニトログリセリンの製造を試みたことも思い出す。

黒色火薬は作れたが、ニトロは失敗した。

ニトロは、割と危険な物質なので、製造できていたら、事故が起きたかもしれない。

後先考えない子どもらしい活動だ。

 

先輩方のチームは、天体観測を表向きの活動としておられた。

水泳部やテニス部の女子を望遠鏡で観察したり、精子を顕微鏡で観察したりと、人体・生命の神秘の探究にも励んでおられた。

血気盛んな年頃らしい活動だと思う。

 

<国体の炬火>

私の学年のチームに、光が当たったのは、中学2年だった1985年。この年に鳥取県で開かれる「第40回わかとり国体」に、一役買うことになった。

 

国体(現在の国民スポーツ大会)では、五輪の聖火に匹敵する「炬火(きょか)」をリレーする。

わかとり国体の炬火は、県内3カ所で「風の火」「地の火」「天の火」として、それぞれ採火する。このうち「風の火」を、砂丘で風車を使って、つくることになったのだ。

 

風力発電の実験では、風車の回転を発電機に伝えていた。

この回転を生かし、「きりもみ方式」(木の棒を回転させ、板にこすりつける原始的な採火方法)で、火をおこすという計画。

風車の回転をフレキシブルという装置を使って、垂直方向の回転に変換して、木の棒を回して板にこすりつけるところまでは、割と簡単にできた。

しかし、摩擦で火がつくほどの高速回転をある程度の時間、継続して生み出すのが、難しかった。

そんな強風は砂丘といえども、なかなか、吹かない。

 

 

採火の当日は、大会関係者が大勢集まる。テレビの取材もあると聞いていた。

部活の顧問の先生には「絶対、火をつけないといけない」と言われた。

ひそかに黒色火薬と電熱線を仕込み、いざという時は、こっそりとスイッチを押して通電し、発火させるという秘策を施した(黒色火薬を作った経験が生きた)。

 

採火当日は、風が弱く、これは無理だなという天候。

ところが、隣の同級生がスイッチを押しても、発火しない。焦った。

しばらくして、主催者が「きょうは風が弱くて、火がつきません。(風の強い)予備日に採取していた火を使います」と言ってくれて、ホッとした。

採火式後で調べてみると、秘策の装置は電熱線の接触不良で作動しなかったようだ。

やっぱり、世の中、インチキはしたらいけないということだろう。

 

<合宿の思い出>

顧問の先生は、おおらかで、きさくな先生。

私たちは伸び伸びと活動できた。

寒い日に風力発電の実験があると、終わってから銭湯に連れて行ってもらったことも思い出す。

 

その先生の提案で、砂丘で合宿をしたのも、いい思い出だ。

 

合宿と言っても、猛特訓とかはない。

砂丘にテントを張って、野外炊飯でカレーライスを作って、みんなで食べた。

先生は酒を飲まれて早々に休まれたが、私たち部員は明け方までトランプゲーム「大富豪」をしていたと思う。

 

科学的な活動もした。

夜、みんなで砂丘に寝転んで流れ星を観察した。

砂丘は、周辺に明かりがないので、夜空がよく見える。

流れ星、きれいだなと思った。

 

ちなみに、鳥取市出身で、「人工流れ星」の事業化に挑むベンチャー企業を設立した方がおられる(以前、取材したことがある)。

この方は、学生時代に砂丘で流れ星を眺めて「好きな時に流れ星を見られたらいいな」と考えたことがきっかけで、人工流れ星を思いついたという。

 


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この方のような偉人と、「流れ星きれいだな」で終わる私のような凡人の差を感じたものだ。

 

今週のお題「部活」

 

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