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私は今、54歳。団塊ジュニア世代だ(両親は団塊世代)。
あくまで一例として、人口が多い世代ならではの歩みを少し振り返ってみたい。
私が保育園に入ったのは、5歳になる年度の時。
本来なら年中組に入るところ、同じ年齢の子どもが多すぎて、あぶれたのだろう。1歳上の年長組に入れられた。
もちろん、当時の私は、そんなことは気づいていない。
あれっ?と思ったのは卒園式の時。
先生に「〇〇ちゃんは、こっちよ」と言われ、私1人だけ、年長組のみんなと引き離され、年中組の園児らの列の端に連れて行かれた。
1年間ともに過ごした年長組のみんなが誇らしげに体育館に入ってくるのを、年中組の園児らと一緒に拍手で迎えながら、なんでかな〜と悲しく感じたものだ。
結局、私は年長組で2年間過ごした。
ようやく卒園できるので、気分が高揚したのだろうか。
母によると、卒園式の時、勝手にステージに上がり、沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ったらしい。帽子を投げて。
保育園の頃の私は、おとなしい性格だったので、母は見ていて、驚いたそうだ(私自身は全く記憶にない)。
保育園1年目に同じ組で過ごし、親しかった「クラスメイト」とは、中学校に進んだ時に部活動で再会した(小学校は別だった)。
あっ!と思い出し、懐かしくなりながらも、今や1年先輩である相手の名前を「さん付け」で呼び、敬語で話しかけるのは、不思議な気持ちだった。
私が生まれ育った地区は、昭和40年代(1965〜74年)に宅地開発が進んで人口が急激に増えた。
だから、私が入った小学校は当時、県内屈指のマンモス校になった。
私の世代は1学年5クラス(1クラス45人くらい)。たしか、1歳上の学年は3クラス、1歳下の学年は7クラスだったと思う。
さすがに、まずいと思われたようで、私の世代が4年生に進級するタイミングで近隣に新しい小学校が開設され、一部の児童がそっちに移って、私の学年は3クラスに減った。
中学校は1学年7クラス。
最初に入った高校は、最寄りの公立高校で、1学年11クラスだった。
私たち団塊ジュニア世代は、このように人数が多く、体罰が当たり前の時代でもあったので、小学校では、先生に棒でたたかれたり、蹴られたり、まあ、家畜みたいな扱いだった。
当時は、それが当たり前なので、特に何とも思わなかった。
むしろ、先生たちは、こんなにいる子どもたちの統制を取るのが大変だっただろうなと思う。
同年代の人数が多いから競争は激しかったのかもしれない。でも、あまり、実感はなかった。
私たちの世代は、「詰め込み教育」から、のちの「ゆとり教育」に切り替わっていく過渡期の世代でもあった。
私が通った中学校の場合、私たちより少し上の世代の頃は、中間テストや期末テストの順位が廊下に張り出されていたそうだ。詰め込み教育のストレスのせいか、生徒が荒れ、校舎の窓ガラスがよく割られていたという。
当時そのような話を聞いていたせいか、自分たちはまだ恵まれているなと思っていた。
最初に入った高校を中退して、しばらく働き、定時制高校に通った。
1学年が十数人だっただろうか。
このこぢんまり感は、私には新鮮だった。
全日制の生徒が帰った後の教室を使うのだけど、席なんて決まってないから、適当に好きなところに座っていた。
授業中にわからないことがあったら、みんな、その時にすぐ先生に尋ねていた。対話しながらの授業だった。
授業中の私語はざら。化粧直しをする女子もいた。テストの時、わからない生徒は堂々と近くの生徒に「これ、どうだったっけ?」と聞いていた。
このゆるさが、また新鮮だった。
定時制は途中でやめる人が多いから、卒業生は年に数人だったと思う。
私自身、大検で必要な科目の一部を受けて、残りは定時制と通信制で単位を取って振り替えて、大検合格の資格で大学を受験するという作戦だったから、定時制も通信制も1年間しか行っていない。
定時制に私が在籍した年度の卒業生で、音楽大学に進む先輩がいた。定時制から大学に進むのは珍しかったから、先生と在校生で囲んで祝ったのを覚えている。
先輩は得意のフルート演奏を披露した。上半身を大きく揺らしながら吹いていた。
私は、フルートの生演奏を見るのはこれが初めて。「こんな風に演奏するのか」と驚いたものだ。
私は大学の教育学部に進んだ。
教員免許を取らなくても卒業できる学科で、近年できたばかり。
団塊ジュニア世代の後、出生数はずっと減少傾向だから、教員が余るようになるという状況を見据え、教員養成の学科の定員を減らしつつ、教育学部全体の定員を維持するために新設された学科だった。
結果として、人口が多い団塊ジュニア世代の学生の受け皿にもなったかもしれない。
この学科は、私が卒業して数年後には廃止され、別の学科が新設された。この何だかよくわからない学科を出ても、なかなか就職先がないという事情があったと思う。
私が大学に入ってから、バブル経済が崩壊。「就職氷河期」と呼ばれる就職難の時代に突入することになった(私の世代は、まだまし。1〜2歳下の世代から、本格的に採用が冷え込んだ)。
同じ学科の先輩たちは、新設されたばかりで人気が高かった頃の高倍率をくぐり抜けて入学した方々だから、有名な企業の内定をもらったりしていた。
それで、私たちの世代も楽観していたら、就職難の時代になり、慌てたわけだ。
同じ学科のクラスメイトたちが教員免許を取ろうとしたり(この学科でも、余分に授業を受ければ教員免許を取れる)、公務員試験の勉強を始めたりと、急に頑張り始めた。
私が就職活動を始めたのは4年生になってから。遅いほうだったと思う。
同じ学科の友人に誘われて、私も地元自治体の試験を受けてみたけど、1次試験で、あっさりと落ちた。
マスコミ志望が私くらいしかいなかったからか、大学がテレビ局に推薦してやるという。推薦ありということは受かるのかなと思って、受けてみたけど、1次試験で、あっさりと落ちた。
私がほかに受けたのは、今いる新聞社だけ。受かって、ラッキーだった。
私の場合、高校を中退して働き、定時制高校やら大検やらを経て大学に入ったという経歴が、役に立ったのだと思う。
弊社の筆記試験をとりあえず突破して、面接に進んだ時、面接官(取締役たち)に「君の経歴は変わってるねえ」と言われ、目を引いたようだったので。
あと、私、怖いもの知らずというか、場の空気が読めない性格なので、面接では全く緊張しておらず、自然体。軽口をたたいて、取締役たちを爆笑させた。
これも良かったのだと思う(この子、肝太いわ〜記者向きだな、と思われたのかも)。
入社後に人事部長に聞いたら、筆記試験の成績で言えば、私なんかより優秀な受験者がいっぱいいたそうだ。
おそらく、「まあ、1人くらい、変なのがいてもいいか」という「変人枠」で、私は入社できたんだろうと思う。
ちなみに、弊社の場合だと、私の世代を中心に入社年次が5年上〜5年下の11年間を見ると、私の世代〜2年下の世代の採用数が少ない。
<余談・入社後も損した世代>
私たち団塊ジュニア世代は、大学に入る前に、リゲインのテレビCMで「24時間戦えますか?」と社畜の精神を植えつけられて育った。
私たち団塊ジュニア世代など、現在40代半ば~50代半ばくらいの世代(「就職氷河期世代」と、だいたい重なる世代)は、弊社に入社後、馬車馬のように黙々と働いてきたが、賃金面では割を食った。
以下は弊社のケースであるけども、一例として書いてみる。
私が入社した頃、弊社の賃金体系は、若い頃は低空飛行で抑えられ、35歳くらいからググッと急上昇し、管理職になる45歳くらいから、上がり方がまた緩やかになる───という賃金上昇カーブだった。
私は、このカーブに従い、若い頃は低賃金。
急上昇するはずの35歳が近づいた頃、人件費抑制のために賃金体系が変更され、そんなに急上昇しないカーブになった。
つまり、既に35歳を超えて急上昇の恩恵を受けていた先輩たちと同じ年齢になっても同じ賃金には達しないということだ。
当時、弊社の労働組合への経営者の説明は「申し訳ないけど、原資がないから、払えない」の一点張り。開き直りだった。
私が管理職になった頃には、「新入社員を募集してもあまり来なくなったし、来てもすぐに辞めるから若年層の賃金を引き上げる」ということになり、それ以降、何度か、初任給の引き上げが行われた。
初任給を引き上げるための原資は、45歳以上の賃金を削って、賄われた。
さらに、ひどいのが、「役職定年」の問題。この仕組みが昨年春に変更されたのだ。
それまで、弊社では、55歳で役職定年を迎えると、管理職を解かれる。
賃金がそれまでの7割に減るが、管理職ではなくなるから、職責が軽くなるし、残業代が出るようになる(弊社では、管理職には残業代が出ない)。
このため、これまで役職定年に達した先輩方は、賃金は減るけど、伸び伸びと仕事しておられた。
昨年春の規定変更では、役職定年制度が廃止された。
一方で、55歳に達したら賃金が7割に減るという仕組みは残った。
つまり、55歳になっても、管理職からは解放されずに職責は重いまま。
なのに、賃金は7割に減る。
管理職なので、残業代もつかない。
とんでもない制度変更だ。
新規採用がはかどらず人手不足の状態だし、特に35~45歳くらいの中堅層がどんどん辞めていくので(私たち管理職の姿を見ていて「あんな風になりたくない」と思っているようだ)、経営者が「今、管理職をしている世代を徹底的にこき使おう」と考えたわけだ。
さらに、管理職でも、午後10時以降、午前5時までの時間帯に発生した業務は、例外的に残業代が出るという仕組みがあったのが、昨年春の制度変更で廃止された。
つまり、管理職は深夜や未明に出動しても、完全にタダ働き。
まだある。
弊社では、定年は60歳だが、55歳に達した時点で、退職金に特別慰労金が加算される仕組みが以前はあった。
この特別慰労金が加算される年齢が、昨年春の制度変更で、60歳に先送りになった。
つまり、役職定年廃止等に失望して55歳で退職する者がなるべく出ないように、ご褒美を先送りしたわけだ。
私は、近年、勤続30年に達して永年勤続表彰式に出たけども、その式のあいさつで、社長が「君たちは辞めたくても辞められないのかもしれないが」と言うのを聞いて、耳を疑った。
社長の性格を考えると、ジョークのつもりで言ったのだろうけども、笑えない。
私自身は結婚や住宅購入が比較的、若い時だったから、長女(一人娘)はもう社会人だし、住宅ローンの返済は来年で完了するけども、同世代でお子さんがまだ学生というような同僚は珍しくない。
だから、「辞めたくても辞められない」は、その通りなのかもしれない。
だが、それにしても、このような席で出す言葉ではないと思う。
このように、私たちの世代は、若い頃から今に至るまで、奴隷か家畜くらいにしか思われていない。
だから、昨年春のような制度変更が行われるのだろう。
