私は失恋のショックで、高校を3カ月で中退して働き、その後、大検や定時制・通信制高校を経て、大学に進んだ。
高校年代の3年間に同世代の女子と接する機会が少なかったから、大学生活に一番期待したのは、そこだった。
楽しい恋愛ができたらいいなという思いは、とてもあった。
(私の初恋と失恋に関しては記事「大いなる完」の中で触れている)
ところが、大学時代に傾注した活動2本柱のうち、アルバイトは、経験のある測量を選択した(夏休み等、まとまった休みの時に従事)。
登山が仕事みたいな世界だから、同世代の女子との出会いは、なかなか望めないバイト先だった。
(まるっきり出会いゼロではない。内勤の社員で、1歳上の可愛いお姉さんを誘って何回か、ドライブや食事に行った。残念ながら恋愛対象とは思われていなかったので、それ以上は何もなし)。
そして、2本柱のもうひとつ、サークル活動も同様。
女子はまず、入ってこないであろうサークル「SF研究会」を選んだのだった。
なぜ、こんな選択をしたのだろうと思うこともあるけど・・・
楽しかったのも事実だ。
1990年の春。
入学から間もなく、各サークルが新入生歓迎ブースを設けていた時に、ふらりとSF研のブースを訪ね、そのまま入部してしまった。
たまたま、その時に待機していた方が部長(4年生)で、私ごときとは次元が違う、コアなSFマニア。
(後日訪ねた部室は、世界最長のSF小説シリーズとされる「ペリー・ローダン」シリーズの文庫本がずらりと並ぶなど、SFマニアの巣窟感たっぷりだった。4年生にコアなSFマニアが複数名おられたため)。
新歓ブースで、私は、部長に「君は何を読むの?」と尋ねられ、平井和正のアダルトウルフガイシリーズが好きである旨、答えたら、話が弾んでしまった。
(私とSF小説の出会いは記事「運営者の横顔2、3」に書いてある)
このタイミングで、もう1人、新入生がふらりとブースに来て、その人とウマが合ったのも大きかった(このサークルで一番親しい友人になった)。
この友人は、見るからに爽やかなスポーツマンで、男前(高校時代は軟式テニスに打ち込んだとか)。
誠に勝手ながら、このSF研のイメージには似つかわしくない人物だ。
ただ、テーブルトークRPGの元祖「ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)」を知っていて、私と話が合ってしまったのが、この友人の運の尽きだったと思う。

この年、私と同じ1年生部員は7人(うち女子1人)。
漫画やゲームが大好きという人が多かった。
2〜4年生の先輩方は、たしか、5〜6人くらい(女子ゼロ)だったから、翌年、コアなSFマニアを含む4年生が卒業すると、私たち世代がSF研を支配し、実質的に漫画&ゲーム同好会みたいになるのだった。
私が入部した年の部長は、SFが好きなだけでなく、パワフルな方で、地元でのSF大会開催を計画しておられた。
私たち1年生部員の最初の任務は、その手伝いだった。
SF大会は、地元の温泉街の旅館を借り切って開催。
SF作家をゲストに招き、豊田有恒、石飛卓美、飛浩隆の各先生方が来てくださった。
参加者は全国各地のSFファン。
SF作家の先生方の座談会のほか、出し物として、リアルRPG(?)をやったのが、記憶に残っている。
旅館をダンジョンに見立てて、参加者にプレイヤーとして探検してもらうという趣向。
基本的なルールはテーブルトークRPGと同じで、会話で進める。
(テーブルトークRPGは、プレイヤーが戦士や魔法使いになりきって、進行役と会話しながら、冒険するゲーム)。
私たち1年生は、旅館内の各部屋に、その部屋での進行役と兼務で、プレイヤーを助けたり邪魔したりするキャラクター、あるいはモンスターとして、配置されていた(戦闘の勝ち負けはじゃんけんで決める)。
まあ、お化け屋敷にゲームを加えたようなものだと思ってもらうといいかもしれない。
この出し物でわかる通り、SF研では、テーブルトークRPGは基礎知識。
部員の誰もがこれまでにやったことがあるという感じだった。
私は中学生の頃、D&Dに、はまっていた。
(中学時代の部活動は「科学部」。科学的な活動も少しはやったけど、実態は、D&D同好会だった。以下の記事「鳥取砂丘」で、科学部にも触れている)。
SF研に入り、テーブルトークRPGの話ができる仲間を久々に見つけた思いだった。
「エナジードレイン」「石化」等、D&Dのゲーム用語は、部員の間では日常会話でも普通に使われていた。
テーブルトークRPGにもなったH・P・ラブクラフトのホラー小説「クトゥルフ」シリーズに詳しい部員もいた。
テーブルトークRPGに限らず、「モノポリー」、エポック社の「ワールドウォーゲーム」シリーズ等、アナログゲーム全般に詳しい部員は、何人もいた。
私も、ワールドウォーゲームシリーズは「独ソ電撃戦」「装甲擲弾兵」「孫子」を持っていた。
みんなでよく遊んだのは、カードゲームの「モンスターメーカー」と「モンスターメーカー学園」。
私は知らなかったけど、はまった。
ルールがシンプルな割に盛り上がり、短時間で終わる。
これはおすすめのゲーム。
(十数年前に、急に懐かしくなり、復刻版「モンスターメーカー・リバイズド」と、「モンスターメーカー学園」を買い、妻や長女と遊んだ。長女は私以上に、はまっていた)。
(「モンスターメーカー・リバイズド」「モンスターメーカー学園」は、Amazonで見つけられなかった。ご参考までに以下の商品を紹介)
SF研の部員は漫画、ゲーム等、私以上に詳しい人が多かった。
私が大好きな漫画家・新谷かおるの代表作「エリア88」は、SF研では共通の話題。
諸星大二郎の「マッドメン」「海神記」、かきざき和美の「闘奴ルーザ」「タルナ」といった作品は、SF研の部室に先輩たちが置いていて、知った。
山田玲司の「Bバージン」は同級生部員の友人に勧められ、はまった。
私は読まなかったけど、「機動警察パトレイバー」(ゆうきまさみ)「ぼくの地球を守って」(日渡早紀)が好きな同級生部員の友人たちもいた。
この友人たちは「ふしぎの海のナディア」(NHK)「トップをねらえ!」(ガイナックス)といったアニメ作品も好きだったと思う。
SF研は、業務用ゲームマニアの後輩部員が増えてくるにつれ、業務用ゲームで格闘物の「ストリートファイター2」が活動の柱として急成長していった。
後輩部員の1人が熱烈な愛好家で、スト2の基盤や専用コントローラーを買い、テレビにつないで、部室に設置した。
私は、アクションゲームが苦手なので、あまり、やらなかったけども、多くの部員が対戦を楽しんでいた。
ゲームセンターと同じスト2がタダで遊べるというので、大学の付属小学校の児童たちが部室に訪ねて来るほどだった。
私は、RPG、シミュレーションゲーム等が好きなので、そっちには、はまった。
同級生部員の友人の1人が、当時はまだ珍しいパソコンを持っていた。
NECのPC-9801シリーズ。ぺらぺらの5インチフロッピーディスクの時代だった。
「三國志」「アトラス」「プリンセスメーカー」等のゲームを楽しませてもらった。
この友人宅(大学近くの下宿の1室)に夜遅くまで居座って遊び、友人宅のフロッピーディスクにデータを保存していたので、たぶん、迷惑だったと思う。
申し訳ない気持ちもあったので、「貢ぎ物」と称して食料品(飲むヨーグルト、ポテトチップス等)を持参していたものだ。
ところで、なぜ、急にSF研のことを書こうと思ったかというと・・・
先日、母校のSF研のホームページをたまたま見つけて、懐かしくなったから。
そこに記されていたSF研の歴史によると、1984年に発足し、1995年から会誌を作るようになったという。
発足の経緯は当時のOBのホームページで確認したという。
そして、会誌を作るようになって以降は、ある程度活動の様子がわかるという。
逆に言うと、この間のおよそ10年間が空白期。
「『ストリートファイター2研究会』と自称する時代もあったらしく、今に至る歴史には謎も多いです」と書いてあった。
まさに、この空白期に私たち世代がいた。
今の部員たちに、私たちがいた頃の様子を伝えようかとも思ったけど、その前に、まずは、私自身が思い出を整理しておこうと思い、この記事を書いたというわけだ。
書いてみると、わざわざ後輩に知らせるまでもないなと思ったのだけども・・・
当時の同級生と話したら、もっと、いろいろと思い出すかもしれない。
<文芸部の思い出>
SF研の部室の隣には「文芸部」の部室があった。
文芸部は当時、部員がおらず活動休止中で、その部室は空き部屋状態。
名目だけ文芸部を復活させて、SF研の第2部室として使おうというアイデアが、SF研の同級生部員の間で浮上した。
1年生の終わり頃だっただろうか。
私が部長となり、大学に届け出て、文芸部が復活した。
当初は思惑通り、第2部室として使っていた。
ところが、新年度になると、新歓活動など全くしていなかったのに、純粋な文芸ファンの後輩が3人も入ってきた(男子1人、女子2人)。
翌年はさらに2人(男子2人)。
文芸部らしい活動をやろうという雰囲気が醸し出され、私たちSF研と掛け持ちのメンバーも乗り気になり、会誌を作ることになった。
小説、エッセイ、詩、文芸評論など、1人が少なくとも1点ずつ作品を持ち寄って。
創刊号には、私は、ごく短い小説を書いた。
横田順彌のハチャハチャSF「謎の宇宙人UFO」の作風をそのまま真似した作品。
純粋な文芸ファンの後輩たちは、さすがと思うような格調高い作品を寄せていた。
SF研と掛け持ちの同級生たちも、それぞれ個性的な作品を寄せていた。
なんだ、みんな、けっこう書けるんだ、と思ったのを覚えている。
会誌作りは思っていた以上に面白かった。
もっと早くやればよかった、SF研でもやればよかった、と感じたものだ。
文芸部については、十数年前にホームページを見つけて懐かしくなり、メールを送って連絡を取り、会誌の創刊号を郵送してもらった。
このたび、あらためて探してみたらホームページはなくなっていた。
今も活動が続いているのかどうかは、わからない。








