映画「国宝」(2025年)
公開中の映画「国宝」を鑑賞した。
ネタバレを含むので、まだ見ていない方はご注意を。
また、私は、原作の小説「国宝」(吉田修一)を読んでいない。
妻が読みたがったので、Amazonで注文した。
映画「国宝」は、歌舞伎の世界を描く。長崎の暴力団組長の息子、喜久雄は父を亡くし、上方歌舞伎の看板俳優・2代目半二郎に引き取られ、2代目半二郎の息子で同世代の俊介と励まし合いながら芸道を進む。ある時、事故でしばらく舞台に立てなくなった2代目半二郎が代役に俊介ではなく、喜久雄を抜擢したことが、2人の人生に影を落とす───というストーリー。
喜久雄と俊介の変わらない友情が爽やかだ。
2代目半二郎が代役に喜久雄を選んだのは、あくまで当面の代役。
「半二郎」を襲名させようとまでは、この時点で考えていなかったはず。
この時点で芸が優れていた喜久雄を抜擢し、たるんでいた俊介の奮起を促したかったに違いない。
喜久雄の抜擢と優れた芸にショックを受けた俊介の失踪は、誤算だっただろう。
その後、2代目半二郎が喜久雄を3代目半二郎としたのは、その時点で、俊介が行方不明のままだったから。
ほかに選択肢がなかった。
本音では、親として、俊介に継がせたかったと思う。
2代目半二郎は、その後、死に際に俊介の名前を呼ぶ。
そばで聞いた喜久雄は「やっぱり」と思い、ショックを受けただろう。
その後に俊介が復帰すると、いろいろと経緯があって、今度は喜久雄が転落の憂き目に遭った。
失踪していた時の俊介と同様に、喜久雄はドサ回りをしながら芸を磨き、舞台に復帰。
2人は再び、コンビで人気を博した。
糖尿病を患って足を失いながらも、悲恋物語「曾根崎心中」の主役・お初を演じたいという俊介の思いに応え、喜久雄が徳兵衛(お初の恋人)を演じて支える舞台が、クライマックス。
喜久雄が「最後まで、やれるわな」と声をかけ、俊介が「当たり前やろ。誰にもの言うてんねん」と返すシーンが、グッとくる。
当初は、「名門歌舞伎俳優の血」がないという劣等感があった喜久雄と、喜久雄に芸でかなわないという引け目があった俊介。
それぞれ挫折・転落を味わい、それでも芸を磨き続けて復活するという経験を経て、絆がより強まった感じだ。
この映画、ここまでは、とてもよかった。
そんな2人の生き様には、違いもある。
喜久雄は、歌舞伎一筋に打ち込み、ほかのすべては犠牲にした。
恋人さえも二の次だった。
この点が私は興味深かった。
まず、喜久雄の恋人・春江は、2代目半二郎の代役を奪われた俊介と一緒に失踪した。
これは、なぜなのか。
たぶん、春江は、喜久雄に自分が必要とされていないと気づいたからだと思う。
物語の序盤で、喜久雄が春江にプロポーズする場面がある。
春江は「結婚はいいのよ。私は、もっと、お金を稼いで喜久雄を支援したい」という旨、答える。
これに対して、喜久雄は「ダメだよ、そんなの。結婚しよう」などと言わず、黙っていた。
春江は、歌舞伎の修業に打ち込んで自分を構ってくれなくなった喜久雄に、不満や不安があったのだろう。
「結婚は望んでいない。支援者でいい」などと言って、喜久雄を試したのではないか。
本心では、私と一緒に夢を叶えようよ、できれば、私のことも見てほしい、私の女心も満たしてほしい、という気持ちがあったのだと思う。
こいつには歌舞伎しか頭にないと察した知った春江は、諦めたのだ。恋人としては。
代役が喜久雄に決まった後、俊介が春江の家を訪ねる場面もある。
たぶん、悩みを聞いてほしかったのだろう。
春江が入るように声をかけると、俊介は「やっぱり、いい」旨、答えて帰るのだけども、おそらく、2人は、この後、深い仲になったのだと思う。
春江は「俊介は私を必要としている」と考えたわけだ。
のちに俊介が糖尿病で亡くなった後、春江は、舞台に立つ喜久雄を見守り続けた。
ただし、これは「一緒に夢を叶える」という立場ではなく、ただ一方的に見守る支援者の立場だったと思う。
女心は、俊介との生活で満たされたから、そのような心境になれたのだと思う。
俊介は、失踪して歌舞伎の修業をやり直すにあたり、支えとなる女性(春江)を必要とした。
復帰する時には、春江や2人の間の子どもと一緒に帰ってきた。
喜久雄は、違った。
俊介が復帰すると、「血」のない喜久雄は仕事を失い、ついには、役を得るために別の俳優の娘・彰子に手を出すというゲスぶりも見せる。それで歌舞伎界を追われる。
行きがかり上、付いてきた彰子は、利用されただけだったと気づいただろう。
彰子は、ドサ回りをする喜久雄に「もう、やめようよ」と申し出るが、喜久雄が無視すると、姿を消してしまう。
また、序盤で喜久雄と出会った芸妓の藤駒は、喜久雄の才能を見込み「奥さんでなくていい。愛人にして」と言う。
俊介と春江の失踪後、実際に、藤駒は喜久雄の愛人になり、娘・綾乃も生まれた。
喜久雄がなぜ、藤駒を愛人にしたのかは、わからない。
でも、愛情はあまりなかったと思う。
その後、喜久雄は転落を経て復帰するが、もう、藤駒は出てこない。
喜久雄にとって、その程度の存在だったということだ。
喜久雄のこのような生き様には、私は、あまり共感できない。
ボクシング漫画の名作「あしたのジョー」(原作・高森朝雄、作画・ちばてつや)の主人公・矢吹丈が思い浮かぶ。
ジョーは、ボクシング一筋に打ち込んだ。
ジョーに惚れていた近所の娘・紀子は、ついに我慢できなくなり「ボクシングなんか、やめて、私と青春を楽しもうよ」的なことを言い出す。
ジョーには「おれにとっては、ボクシングが青春」的なことを言われる。
紀子は「私、ついて行けそうにない」と言って、ジョーへの恋を諦め、2人の共通の友人・マンモス西と結ばれる。




ボクシングジム経営のお嬢様・葉子は、当初は嫌っていたジョーをだんだん好きになるけども、その恋心を隠して、ジョーの活躍を支援し続ける。
物語のクライマックス、世界チャンピオンのホセ・メンドーサとの試合を前に、葉子は、ついに一歩踏み出す。
とんでもなく強いメンドーサと戦うと、ジョーが廃人になるかもと心配して、試合に出るなと頼み、「好きなのよ、矢吹君。あなたが」と打ち明ける。
ジョーは、葉子を振り切って、リングに上がる。


ジョーが、映画「国宝」の喜久雄と違うのは、この後だ。
メンドーサ戦を終え、真っ白に燃え尽きたジョーは、両手につけていた血だらけのグローブを葉子に、渡す。
「あんたに、もらってほしいんだ」と。


ジョーは試合直前、葉子に告白され、驚いただろう。
悪い気はしなかったと思う。
葉子の恋心に応えることは、やはり、できない。
でも、そこまでの恋心を秘めて、ボクシング人生を支えてくれた葉子の気持ちには、感謝の意を示したいと考えたに違いない。
それがグローブ。
「一緒に、夢を叶えたよ」と。
葉子は、ジョーに失恋はしたけども、ボクシング人生の支援者としては、ジョーと心が通じ合い、わずかばかりでも、報われた気持ちになったと思う。
喜久雄には、ジョーのような情けがない。
映画「国宝」の終盤、歌舞伎の人間国宝になった喜久雄の前に、かつて捨てた娘・綾乃が現れる。
綾乃は言う。
「あんたを父親だと思ったことはない。あんたがここまで来るのに、どれだけの人を犠牲にしたと思っているのか」と。
ここまでは、リアルに感じて、とてもよかった。
続けて、綾乃は言う。
「でも、芸は最高。お父ちゃん、日本一の歌舞伎役者になったね」と。
これは、いただけない。
というか、私には理解できない。
本当に、そんな気持ちになるものなのだろうか、と。
人間国宝になった喜久雄がインタビューに答えて言う。
「みなさんのおかげです」と。
この一言にすべてが込められているということなのだろうけども、この一言で済ませていいのかと、私は思う。
人の心を踏みにじっておいて、「芸術のため」で許されるのか。
芸術に限らず、世の中の現実はそういうものなのだろうけども、それでいいのかと、私は思う。
<余談・食品サンプル展>
映画「国宝」は、17日に鑑賞。16日は、広島県立みよし風土記の丘ミュージアム(広島県三次市)で、8月31日まで開催中の企画展「食品サンプル展」を見てきた。
思っていた以上に、面白かった。
今にも倒れそうな「タワーバーガー」とか、記念撮影向けのコーナーも充実していた。
食品サンプルの昔と今の技術を比べた紹介コーナーもよかった。
例えば、みそ汁のサンプルは、昔と比べて今は、微妙な濁り具合まで再現できるようになったとか。サンドイッチを例に「食品サンプルの規格部品」が展示されていたのも、目を引いた。



このミュージアムは、初めて訪問したけど、常設展示もなかなか、いい。
弥生時代の集落とか、古墳時代の各種古墳とか、模型の展示が充実していた。
「帆立貝形古墳」は、この地域独特のものだとか。


