「ガタカ」
「Gattaca」
(ネタバレあり。見ていない方は、ご注意を)
差別にめげず、夢を追う主人公ヴィンセントに勇気づけられる。
そして、協力者ジェロームの友情が熱い。
ラストは涙が出そうになる。
SF映画「ガタカ」(1997年、米国)は、5年くらい前にAmazonプライムで見た。
遺伝子解析で、生まれる子どもの能力を予測できる近未来が舞台。
人間は、人工授精と遺伝子操作で生まれた「適正者」と、自然妊娠で生まれた「不適正者」に分けられる。
職業や結婚相手の選択も適正者か、不適正者かに左右され、至るところで、血液検査などを受け、生体IDをチェックされる。
ヴィンセントは不適正者。
幼い頃から宇宙飛行士を夢見て猛勉強し、身体を鍛えてきたが、不適正者だという理由で阻まれる。
そこで、血液、毛髪といった生体IDの検査サンプルを提供してくれる適正者ジェロームと、闇業者を通じて出会う。
2人は、ジェロームが血液や毛髪を提供し、代わりにヴィンセントがジェロームの生活を支える関係を結ぶ。
ヴィンセントは、検査をすり抜けてNASA的な機関「ガタカ」に入り、いつバレるかと冷や冷やしながら、宇宙飛行士に選ばれるための訓練を重ねる。
この物語は不適正者の苦悩だけでなく、適正者の苦悩も描かれる点が秀逸だ。
ジェロームは元水泳選手。
五輪の金メダルを期待されながら、銀メダルしか取れなかった。
絶望して自殺を図ったところ、失敗して半身不随となり、人生を諦めていた。
たぶん、五輪の水泳選手は、持って生まれた運動能力の高い適正者ばかりだったのだろうから、銀メダルは全然恥ずかしくないように思える。
それでも、ジェロームが絶望したのは、この世界で、適正者にかかる期待、プレッシャーがいかに大きいかの表れだ。
エリートとなるべく生まれた適正者にとって、2位は挫折なのだ。
このあたりの対比は、先日見た映画「国宝」にも通じる。
歌舞伎の名門俳優の血を引く俊介が、門外出身の喜久雄に大役を奪われたショックで一時失踪する姿と。
「国宝」は、対照的な生まれの2人が互いに芸を高め合う姿が描かれる。
「ガタカ」は、対照的な生まれの2人が「2人で1人」の関係となる。
適正者でありながら夢が破れたジェロームは、生体ID上「ジェローム」になりすましたヴィンセントと、一緒に夢を追う。
ジェロームは、単なる検査サンプル提供者にとどまらない。
ヴィンセントは、適正者ばかりのガタカで優秀な成績を収め、タイタン(土星の衛星)探査ミッションの宇宙飛行士に選ばれる。
ところが、ここに来て、ある事件をきっかけに不適正者だとバレそうになり、弱音を吐く。
「もうダメだ。逃げよう」と。
ジェロームは叱咤する。
「ここまでの努力が無駄になる。一緒に乗り越えよう」と。
いろいろと危機を乗り越え、ヴィンセントは宇宙に旅立つ。
その頃、ジェロームは、人生に満足して焼身自殺する。
ヴィンセントが地球に帰ってきた時のために大量の血液、毛髪等の検査サンプルを保存して。
そして、銀メダルを手にして。
ジェロームはなぜ、自殺したのか。
跡形もなく消え去る焼身自殺を選んだのは、ヴィンセントの留守中に万が一、本物ジェロームの存在から偽ジェローム(ヴィンセント)の正体がバレるリスクを軽減するためかもしれない。
ただ、一番大きな理由は、文字通り「2人で1人」になるためだと思う。
ジェロームは、まず、努力の尊さに思いをはせ、自分自身の人生を素直に受け入れられるようになったのだと思う。
銀メダルではあったけども、精いっぱい頑張ったよ、と。
そして、いわば「裏ヴィンセント」として生き、叶えた宇宙の旅に、魂となってついて行こうと考えたのだと思う。
ずっと、一緒だよ、と。
ヴィンセントは、ジェロームに渡された包みを宇宙船内で開く。
入っていたのはジェロームの毛髪。
すべてを悟ったヴィンセントは、友を思い、涙を流す。
このラストが素晴らしい。
この物語は、ほかにも、ヴィンセントの生きざまに心を打たれる人たちが出てくる。
やはり、努力は、尊いのだ。
たとえば、ガタカの同僚で美女のアイリーン。もちろん、適正者だ。
ヴィンセントに惹かれるうちに不適正者だと気づくが、慕い続ける。
気づかれたと察したヴィンセントは「好きに調べてくれ」と自分の毛髪を渡す。
アイリーンは「風で飛ばされたわ」と言って、毛髪を捨てる。
いよいよ宇宙船に乗り込む直前にも、ハラハラがある。
まさかの抜き打ち検査。
ヴィンセントは備えがなく、「不適正者」と結果が出て、あーっ、ダメか、となる。
検査担当の医師は、検査結果を「適正者」に書き換え、ヴィンセントを激励する。
「息子が君のファンだよ」みたいなセリフだったと思う。
<余談・努力について>
人間、置かれた環境で目標を持って、どれだけ頑張れるかが大事だと思う。
うまく言えないけど、自分の中に物差しを持てるかどうかだと思う。
私は、自分が有利な状況で守る戦いをするより、不利な状況で攻める戦いをするほうが、性に合っている。
逆境をバネにできる性格だし、不利な状況で競争して勝つほうがうれしい。
たまたま成果が出ただけで、たいして努力していないことを褒められてもうれしくない。
十数年前のこと。
先輩が関係者への取材で情報をつかみ、私が当事者の裏取り取材を担当して書いた記事が、社内の編集局長賞の対象になった。
私の感覚だと、人脈を生かして情報を得た先輩が賞をもらうのなら、わかる。
私は、もらった情報を当事者に当てただけで、努力など、していない。
なので、受賞の辞退を申し出たら、編集局長に、こんこんと説教された。
私に手柄を立てさせてやろうと思った先輩の顔を潰すことにもなり、叱られた。
結局、賞はもらったけど、全然うれしくなかった。
私は、ちょっと、おかしいのかもしれないけど、同じような感覚の人はいる。
私が大好きなF1ドライバー、ジル・ヴィルヌーヴがそうだ。
伝記「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」(ジェラルド・ドナルドソン)によると、楽なレースで優勝しても、あまり、うれしくないという。
マシントラブルに見舞われて順位を落とし、そこから追い上げて優勝するといったパターンが理想だという。
1979年のフランスGPでは、ルネ・アルヌーと激しい2位争いを演じた。
この2位争いはF1の歴史に残る名勝負。
結果は優勝ではなく2位だけども、とても満足だったという。
(以下の記事「金子博写真集」に、YouTube動画のリンクを張ってある)
