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「かがみの孤城」 不登校の主人公が周囲に励まされ、ゆっくりと一歩踏み出すところがリアル 「立ち止まる時間」が気軽に許容される世の中になるといい

かがみの孤城

「かがみの孤城」

(ネタバレあり。見ていない方はご注意を)

 

たとえば、夢見る時がある

転入生がやってくる

その子は何でもできる素敵な子

たくさんいるクラスメイトの中に私がいることに気づいて、おひさまみたいな、まぶしい微笑みを浮かべ、「こころちゃん、久しぶり」って、まっすぐ近寄ってくる

みんな、息を飲む

そんな奇跡が起きたらいいと、ずっと、願ってる

そんな奇跡が起きないことは知っている

(以上、物語冒頭の主人公の言葉を抜粋)

 

この願いも、ラストで回収される。

ストーリー構成が巧みで、素晴らしい。

鏡の中の世界で一緒に過ごしたあの人が、現実の世界のあの人だったという顛末が一番好きだ。

 

アニメ映画「かがみの孤城」(2022年)は同名の小説(著者・辻村深月)が原作。

主人公こころたち不登校の中学生ら7人が鏡の中の世界にある不思議な城に、日々出かけて一緒に過ごしながら、生き方を見つめ直す。

 


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こころは、意地悪女子グループのボス・真田にいじめられて不登校になった。

おとなしくて、気の弱い少女。

母親は当初、いじめに気づいておらず、「おなかが痛い」と言って学校を休むこころに冷たい態度を取っていた。

この物語では、いじめられっ子のこころが不思議な経験を通じて強くなるというような劇的な変化はない。

このへんのリアル感も秀逸だ。

 

鏡の城に来て仲間(不登校の中学生たち)と過ごすようになった当初、こころの心境は次のような感じ。

 

毎日のようにみんな来ていて、学校、行ってないのかなって思うけど、そんなこと、誰も聞かないし、言わない

それがとても心地良い

(以上、抜粋)

 

こころは鏡の城で仲間のアキやフウカとお茶会を楽しんだりして、まったりと過ごす。

ここで出てくる紅茶は、覚えておくと、いい。

 

殻に閉じこもっていたこころを、まず、勇気づけたのは、現実世界で優しく寄り添うフリースクールの先生・喜多嶋。

 

こころは、自宅を訪ねてきた喜多嶋に問う。

やり取りを抜粋してみる。

 

こころ あの。私が学校行けないの、私のせいじゃないって、お母さんに言ってくれたの、本当ですか?

喜多嶋 うん

こころ どうして?

喜多嶋 だって、こころちゃんは毎日戦ってるでしょ

こころ (黙ってうつむく)

(以上、抜粋)

 

こころは、喜多嶋に励まされて一歩踏み出し、鏡の城の仲間のアキとフウカに、胸の内の苦しみを打ち明ける。

真田にいじめられていること。

転入生の萌と仲良くなりかけたのに、仲を引き裂かれたこと。

引きこもっていたら、真田たちが大勢で自宅に押しかけてきて、怖い思いをしたこと。

アキは、こころを抱きしめて言う。「えらい、えらい。よく耐えたよ、こころ」。

フウカも「うん。えらい」と同調。

こころは、涙ぐむ。

そして、内心、つぶやく。

「私、話したかったんだ。誰かに聞いてもらいたかったんだ」。

 

その後、こころは母親にも打ち明ける。

母親は「気づいてあげられなくて、ごめんね」と反省。喜多嶋とともに、こころに寄り添うようになる。

喜多嶋と母親は、今後のことについて、いろいろと案を示す。

別の中学校に転校、あるいは、同じ学校で真田とは別のクラスにしてもらう。

「そもそも、中学に無理に行かなくてもいい」「1人じゃないよ。一緒に考えよう」とも言う。

これは、不登校の子どもにとって、プレッシャーがかなり和らぐ言葉だと思う。

親がここまで腹をくくったら、本人も気が楽になるはずだ。

 

こころは、仲を引き裂かれた萌がこころを心配していることも、喜多嶋に聞いて知る。

真田のいじめを喜多嶋に教えてくれたのは、萌だという。

 

萌は、賢くて大人びた性格。出番は少ないが、こころの心境に影響を与える。

こころが学校に来なくなってから、真田たちのいじめのターゲットは萌に移っていた。

なんか、私たちを見下している、と。

萌は、仲間はずれにされても、全く動じていない。芯が強い子だ。

親の仕事の関係でまた転校することになった萌とこころのやり取りを抜粋してみる。

 

萌 だから、あいつらが今、一番嫌いで外したいのは私で、こころちゃんが学校来たら、きっと、仲良くするよ。私を孤立させるために。

こころ そんな。そんな。

萌 そんなもんなんだよ。馬鹿みたいだよね。たかが、学校のことなのにね。

こころ (たかが、学校?と内心つぶやく)

萌 負けないでね、こころちゃん。ああいう子たちって、どこにでもいるし、今度の学校でもいるかもしれないけど、私、今度こそ、嫌なものは嫌って言う。だから、こころちゃんも。

こころ うん。

(以上、抜粋)

 

萌みたいな強いタイプの子どもが出てくるのも、物語の良いアクセントだ。

萌が言う通り、「たかが、学校」だと思う。

 

鏡の城には、どこかに「願いの鍵」が隠されており、それを見つけて「願いの部屋」に入ると、願い事がひとつだけ叶う。

ただし、誰かが願い事をすると、7人とも、鏡の城や仲間のことは、記憶から失われるという設定。

今回の記事では省略するけども、この願いの鍵をめぐる冒険的な要素も、面白い。

 

こころは、真田がいなくなるように、と願うつもりでいた。

しかし、仲間7人の中で唯一、不登校者ではないリオン(快活なイケメン)の叶えたい願いが、幼い頃に病気で亡くなった姉を生き返らせることだと知り、こころは驚く。

「私の願い。なんて、ちっぽけ」と。

 

物語のクライマックスの出来事があり、ある願い事が叶えられて、こころたちは記憶を失い、現実世界での生活に戻る。

真田と別のクラスにしてもらって元の学校に戻ることになったのだろうか。

2年生に進級したこころの通学場面で、物語は結末に向かう。

 

こころの知らないイケメンが駆け寄ってくる。

「おーい、おはよう。(こころの名札を見て)同じクラスだね。おれ、リオン。行こう」と、声をかけられ、こころが「うん」と応じて、一緒に歩き始める。

事情により、リオンは記憶を失っていない。

そして、こころと同じ中学校に転校してきたのだ。

 

物語冒頭のこころの願いは、これで実現している。

喜多嶋、母親に加え、リオンにも見守られて、こころは平穏な生活を取り戻すのだろうなと、想像させる爽やかなラストだ。

 

<余談・不登校について思うこと>

不登校は、いろんなケースがあると思うので、この対応が正しいということは、なかなか言えないが、私が経験から感じたことを少し書いてみる。

 

私は高校中退を経験した。

以前、書いたので詳しくは繰り返さないけど、失恋が原因。

ショックで何もかもが嫌になり、高校は、入って3カ月くらいで行かなくなった。

もう戻る気はなく、中退を希望したが、クラス担任の先生は「気持ちが変わったら、いつでも帰ってきなさい」と温かい言葉をかけてくれた。

1年間は休学扱いになり、手続き上、中退したのは高校1年が終わった春になる。

学校に行かなくなって最初の1カ月くらいは自宅にいたが、自宅にいても仕方がないので、1カ月ほどの短期で、ごみ収集のアルバイトをし、その後、測量会社の求人を見つけて、そこで働くようになった。

 

(高校中退の経緯は以下の記事「大いなる完」の中で書いてある)

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高校に戻る気はなかったので、どうでもいいことだが、思い返せば、クラスメイトは良い方が多く、嫌な思い出はない。

ごみ収集のアルバイトをする前、自宅にいた頃、クラスメイトが何人か訪ねてきた。

私の友人は別のクラスにおり、同じクラスのメンバーは、特に親しかったわけでもないけど、私を気にかけて訪ねてきたのだろう。

たわいもない雑談をしただけだったけども、気遣いがありがたかった。

個人的には、クラスのマドンナ的な女子が来たのが、うれしかった。

(彼女は、のちに私が大学に進んだ時にも同じクラスになり、受講生4人と少人数のゼミでも一緒だった。親しくなったわけではないけど。失恋の相手にこだわらずに、こっちにアプローチしてみれば、よかったと今では思う)。

担任の先生やクラスメイトからの誘いもあり、夏休み前の臨海学校には参加した。

バスに乗り込んだ時、車内のクラスメイトから拍手が起きたのは、恥ずかしかった。

 

測量は、登山が仕事と言えるくらい重労働だったので、毎日、へとへとで、くよくよと悩む余力はなかった。

これがよかったと思う。

デール・カーネギーが著書「道は開ける」で書いている通り、悩みに打ち勝つ方法は、くよくよと悩む暇がないほど、忙しくすることなのだ。

そうするうちに、これからの生き方を考える気持ちの余裕が出てきて、新聞記者になりたいと目標を見定め、大検&定時制・通信制高校→大学を目指して、今に至った。

 

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私は、不登校の子どもの親の立場も経験した。

長女が小学校に入って、すぐ、不登校になったからだ。

クラスメイトに髪形をからかわれたのが、きっかけだった。

え?そんなことで?とも思うが、私自身、失恋のショックで高校を中退しているので、人のことは言えない。

ただ、長女の場合、学校生活の入り口でいきなり、つまずいた格好なので、このまま、ずっと学校に行かなかったら、どうなるんだろう?と想像し、心配した。

私は単身赴任中だったので、妻には多大な心労をかけたと思う。

たまに、平日に休んで自宅に帰り、長女の相手をするくらいしか、役に立たなかった(この間、妻には休憩してもらう)。自宅にいるばかりでは気が滅入るだろうと思い、博物館とかショッピングセンターに連れて行った。

平日に若い男が仕事もせずに子どもを連れ歩いている姿は、いかにも不審だっただろうと思う。

あと、私にできるのは、ただ、受け止めるだけだ。

そして、開き直り。なるようになる、と。

 

これも、カーネギーの教えにある。

悩みに打ち勝つ方法は、最悪の事態を想定し、それを受け入れる覚悟を決めることだ、と。

長女は結局、保健室登校を経て、2年生になる頃には、普通に教室に通うようになった(例のクラスメイトとは別のクラスにしてもらった)。

クラス担任の先生にもご心配をかけ、ご配慮をしていただいたと感謝する。

以降も、長女は中学、高校、大学と普通に過ごし、今では社会人。

あんまり触れられたくないだろうから、不登校のことは話題にしないけど、長女にとって、私たちの対応は、よかったんだろうか。

 

長女の不登校があって、私は、自分が高校を中退した時に、いかに両親に心配をかけたかも、あらためて想像した。受け止めてくれた両親には、感謝しかない。

 

誰しも長い人生の中で逃げ出したくなるような、つらい思いをすることはあるだろう。

それでも、多くの方々は、乗り越えたり、気を紛らわせたりして、過ごしているのだと思う。

すごいことだ。

ただ、世の中には、私や長女のように、「ちょっと、立ち止まらせてくれ。ほっといてくれたら、また元気になるから」というタイプの人間もいると思う。

これは、大人でも、そうだと思うが、「しばらく、ほっといてください」という理由で、無期限で休ませてくれる会社など、ないだろう。

たぶん、「心の病」で診断書でも書いてもらわないと、無理だと思う。

そうなると、ちょっと、大げさだ。

もっと、気軽に「立ち止まる時間」が許容される世の中になるといいな、と夢想する。

甘えすぎ?