「RUN/ラン」
(ネタバレあり。見ていない方はご注意を)
ハラハラ、ドキドキの連続。
そして、ハッピーエンドかと思わせて、最後にゾッとさせる苦い後味がいい。
虐待が子どもの心に残す傷を考えさせられる作品だ。
映画「RUN/ラン」(2020年、米国)は、娘を自立が難しい病身にして、手元に引き留めてきた異常な母親と、そこから逃げ出そうとする娘の姿を描く。
主人公クロエは脚の麻痺、不正脈、糖尿病などさまざまな病気があり、自宅で車いすでの生活を続けてきた。ハンデにめげずに勉強に励み、大学に進んで一人暮らしをしようと夢見ている。
ふとしたきっかけで、母ダイアンがいつも用意してくれる緑色のカプセルの薬に疑問を抱く。瓶のラベルを貼り替え、心臓病の治療薬のように装ってあるが、調べてみると、健康な人間が飲むと脚が麻痺する、いわば、毒薬だとわかる。クロエはダイアンに不信感を募らせ、逃げ出そうと不自由な身体で奮闘する───という物語。
この映画は、手術の場面で始まる。
未熟児とみられる小さな赤ちゃんが手術を受けていて、母親らしき女性(ダイアン)が「どうか、あの子を助けて」と祈っている。
ダイアンが、手術を終えた赤ちゃんと対面し「大丈夫なのね?」と言った後、場面が現在に切り替わるという導入だ。
冒頭の場面が曲者で、見る人は、クロエは生まれつき、さまざまな病気を持って生まれてきたんだなと思わされるのだけども、実は違う。
ダイアンの実の子は、さまざまな病気を持って生まれてきて、すぐに死んでしまった。
ダイアンは、病院で他人の赤ちゃんをさらって育てていて、それがクロエ。
亡くなった実の子の身代わりとして、毒薬で病身にさせられていたのだった。
赤ちゃんの誘拐と言えば、私はふたつの事件を思い出す。
ひとつは、三十数年前、私が学生の頃に故郷で起きた事件。
子どもができない夫婦が、「子どもができた」と周囲に嘘をついて、引っ込みがつかなくなったのが動機だった。
もうひとつは、二十数年前、私が記者として取材に携わった事件。
不倫相手をつなぎ止めるために「赤ちゃんができた」と嘘をついた女が、引っ込みがつかなくなったのが動機だった。
この映画「RUN/ラン」の場合は、もっと複雑だ。
さらってくるだけでなく、わざわざ、病身にしたというのが異常。
クロエに依存されることに自分の存在意義を見いだし、手放せないという設定。
物語が進むにつれ、クロエ宛に届いていた大学の合格通知を隠していたことも判明。
逃げ出そうとするクロエを助けようとした第三者の殺害まで犯す。
ダイアンが異常者だとわかったクロエは、「ママがしたことはあなたのため」と言われても、もはや、従わない。
「私のためなんて、嘘。自分のためでしょ」と言い放つ。
ダイアンは睡眠薬か鎮静剤か、何かを注射して、クロエを従わせようとする。
そして、本音を漏らす。
「あなたは私の赤ちゃんよ。永遠に」と。
危機一髪のところで、クロエは劇薬を飲んで、病院に運ばれる。
ダイアンが救急車を呼ぶだろうと考えたうえでの命がけの行動。
しかし、ダイアンは病院からクロエをさらって連れ出そうとする。
この場面のダイアンのセリフを抜粋してみる。
たくさん怖がらせ、傷つけてしまった
でも、誓うわ
今後は命の限り、尽くして、2度と苦しめたりしない
認めるわ
あなたが必要
そして、心の奥底では、あなたも私を求めてる
いなきゃ、ダメなの
ママだもの
(以上、抜粋)
2人は、階段に突き当たり、ダイアンは、車いすに乗せたクロエを連れて降りられないため、どう降りようか思案する。
その時、クロエは車いすから立ち上がる。
「ママがいなくても、生きていける」と。
その後、警備員が駆けつけ、発砲するダイアンに撃ち返し、ダイアンは階段の下に転落。クロエは病院のスタッフに保護される───
ダイアンが死んだか、逮捕されたかして、クロエが解放されて終わりかと思いきや、物語はもう少し続く。
舞台は、あれから7年後。
クロエは、ダイアンに面会するため刑務所を訪れる。
スタッフとの会話から、時々、来ていることがうかがえる。
車いすに乗ってきたクロエが、金属探知機のゲートを通過する際、松葉杖をついて歩く場面もあり、病状の改善をうかがわせる。
クロエの左手の薬指には指輪。結婚したことをうかがわせる。
ベッドに横たわったダイアンに、クロエが語りかけ続ける。
「歩行が上達したわ。完治するかはわからないけど、歩けるのは幸せ。アニー(おそらくクロエの子ども)も歩き始めたの。私の母(おそらくクロエの実母)に懐いてる」等々。
この間、ダイアンは、じっと、クロエを見つめ、ひと言もしゃべらない。
「そろそろ帰るわ」と言って、クロエは口の中に隠して持ち込んだ物を取り出す。
それは、緑色のカプセルの薬。
そして、語りかける。
「愛してるわ、ママ。口を開けて」と。
このラストは怖い。
復讐だろうか。ゆがんだ愛情だろうか。
病状が改善に向かい、幸せに暮らしていること、子どもが実母に懐いていることを語るのは、ダイアンへの当てつけとも取れるし、悪意のない単純な現状報告とも取れる。
緑色のカプセルの薬は、おそらくクロエが飲まされていたのと同じようなものだろう。
やられたことをやり返しているのだけど、それは、ダイアンを苦しめるためだろうか。
それとも、2人の間では、それが愛情表現の象徴なのだろうか。
そもそも、なぜ、クロエは時々、ダイアンに会っているのか。
いかに育ての親とはいえ、長年、虐待されてきたわけで、もう関わりたくないと思わないのだろうか。
あの時、ダイアンが言ったように「あなた(クロエ)も私を求めてる」ということなのか。
異常な育て方がクロエの心をゆがめたのだろうか。
このラストは怖いけども、いろいろと想像させられ、味わい深い。
まず、手塚治虫の名作漫画「ブラック・ジャック」のエピソードのひとつ「灰色の館」を思い出す。
暴力を振るう兄に虐げられてきた妹が、ある時、カッとなって兄の頭を壺で殴り、死んだと思って火葬しようとしたら、兄は生きていて、妹は大やけどを負った兄をひそかに館に隠していたという話。
兄を治療したブラック・ジャックは、兄への愛情と憎しみが入り交じった妹の心を察して、妹に、兄に復讐される恐れがあると忠告するが、妹は逃げない。
兄は、復讐のため、妹を焼き殺し、自らもその炎に巻き込まれて死ぬ。
ブラック・ジャックのセリフが印象的だ。
「医者は、人の体は治せても、ゆがんだ心の底までは治せん」という。
これは、兄のことだけを言っているのではないと思う。
(あと、過去記事で紹介した高橋留美子の人魚シリーズの「人魚の森」に登場する姉妹の愛憎劇も同じようなテイストがある)。
ラストのクロエの姿からは、有名な連続殺人者エド・ゲインも思い浮かぶ。
「異常快楽殺人」(平山夢明)によると、エドは子どもの頃、母親に虐待されて育った。
虐待されているのに、母親を神格化し、母親が病気で亡くなると、似たような体格の女性を次々と殺害して、その遺体で「衣類」を作り、身に着けるようになった。
母親と「一体化」しようとしたらしい。
虐待が、いかに人間の心に大きな傷を残すか。
そして、人間の心に、いかに深い闇があるか。
映画「RUN/ラン」は、そんなことを考えさせられる。

