「グレイテスト・ショーマン」
「The Greatest Showman」
見世物の興行を始めた主人公バーナムと、劇評担当?の新聞記者ベネットのやり取りが好きだ。
ベネット「君が売っているのは、すべてまがい物だな」
バーナム「お客の笑顔も?あの喜びは本物だ」
ベネット「慈善家きどりか」
バーナム「誇張したって、いいはずだ。想像力は豊かなほどいい」
ベネット「詐欺師の弁解だ」
バーナム「あなたが最後に笑ったのはいつですか?劇評家が劇場に感激しないなんて詐欺じゃないですか」
映画「グレイテスト・ショーマン」(2017年、米国)は、「近代サーカスの父」と呼ばれる19世紀の興行師フィニアス・テイラー・バーナムをモデルにした物語。
主人公バーナムは、娘の言葉をヒントに小人症の男性、あごヒゲが生えた女性といった珍しい身体的特徴を持つ人や曲芸を見せる興行(「サーカス」と銘打つ)を思い立つ。
小人症の男性には将軍のような軍服を着せて馬に乗せ「親指トム将軍」とPR。
体重230キロの男性が応募してくると「何?340キロだって?」と勝手に体重を水増しし、お腹に詰め物をして「世界一の巨漢」とPR。
ほかにも「世界一の空中ブランコ」「アイルランドの巨人」といった調子で、誇張した売り文句を付ける。
この点をベネットは「まがい物」と批判するわけだ。
バーナムに言わせれば、これは「お客さんを楽しませるための演出」。
この乗りは、かつてのプロレスと共通。私は楽しくなった。
私が子どもの頃にテレビで見ていたプロレスは、たとえば、アブドーラ・ザ・ブッチャーが「スーダン出身の『黒い呪術師』」(実際はカナダ出身)、ザ・シークが「ヨルダン出身の『アラビアの怪人』」(実際は米国出身)との触れ込みだった。
漫画「プロレススーパースター列伝」(原作・梶原一騎、作画・原田久仁信)によると、「ゼーラス・アマーラ」と名乗っていたブッチャーを改名させたのは、シーク。ターバンを着けさせ、空手の強さを強調するため空手用のズボンをはかせたのも、シーク。
シークには、バーナムと同様に、演出の才能があったようだ。
(「プロレススーパースター列伝」自体がプロレスの世界の書物なので、書いてあることがどこまで本当かは不明だが)。
ブッチャーが改名して迫力が出たように、リングネームは、けっこう重要。
ブルーザー・ブロディ(本名フランク・ゴーディッシュ)にしろ、フリッツ・フォン・エリック(本名ジャック・アドキッセン)にしろ、よく知られたリングネームのほうが絶対に強そうだ。
そして、あだ名でさらに迫力が増す。
「ブレーキの壊れたダンプカー」スタン・ハンセンとか、「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノとか。
こうしたプロレスの演出を、私は、子どもながらに少々うさんくさくは感じながらも、受け止めた。「まがい物」だとは思わなかった。
演出を含めて楽しむのが、プロレスだと思う。
たとえば、「狂犬」ディック・マードックがなぜ、「狂犬」なのかはわからないけど、もし、知人等に尋ねられたら、私は「え?あれは狂犬だろう。どう見ても」と当然のことのように答えると思う。
映画「グレイテスト・ショーマン」に話を戻す。
この物語の最大のメッセージは「想像力が人の心を豊かにする」ということだ。
物語序盤、貧乏暮らしのバーナムが幼い娘に贈る誕生日のお祝いの品は、穴をたくさん空けた筒をロウソクの明かりにかぶせたもの。
バーナムの口上で、これが素敵な品になる。
「この装置は400年前、レオナルド・ダ・ヴィンチが発明。設計図は失われた。だが先週、嵐の夜に島に打ち上げられた海賊船の中から骸骨や財宝と一緒に発見された。ほかならぬ、J・W・マーカンタイルによって。設計図をちらりと見たパパは作り方を暗記した。もし、その記憶が正しければ…」
暗がりで筒を回すと、筒の穴から漏れた明かりがまわりに干してあるシーツに映って星空みたいになる。
「…お願いマシーンだ。願い事を言うと、実現するまでここに残る。お前が忘れても願いは消えない」
娘は大喜び。
バーナムは、会社勤めをやめて、ナポレオンやマリー・アントワネットら歴史上の人物の蝋人形や珍しい動物の剝製を展示する博物館を開く。
「人は不思議なもので、風変わりでゾッとするものを見たがる」と自信はあった。
実際には、来場者はまばら。
ここで、娘の言葉がヒントになる。
「だって、みんな死んでるもん。生きてるものを置かなきゃ。何か珍しいものを。人魚とか、ユニコーンとか」
娘の絵本「親指トム」も目に入る。
そして、先日、出会った小人症の男性チャールズを思い出してスカウトしたのを皮切りに、「求む ユニークな人」と求人をして、見世物&曲芸の興行に乗り出すのだ。
バーナムは、人をその気にさせるのも、うまい。
チャールズのスカウトを例に、やり取りを抜粋すると───
バーナム「私のショーに出てくれ。スターとして」
チャールズ「笑われるだけだ」
バーナム「それでも金になる。(チャールズ宅に軍人のおもちゃがあるのを見て)君は将軍に扮して馬に乗り、剣と銃を携えて舞台を行く。立派な軍服も着て。お客は世界中から来る。笑いやいない。君に敬礼する」
チャールズ、笑顔を見せる
───といった調子だ。
そして、興行は大当たり。
バーナムは、上流階級に認められたいと考えてから、おかしくなる。
プロレスが筋書きを否定して、「真剣勝負」を目指すようになってから、色あせたのと似ていると思う。
バーナムは裕福になったが、「成り上がり者」だとして娘が上流階級の子どもにいじめられる姿を見て心を痛める。
そして、「娘が馬鹿にされないように、上流社会の仲間入りをしたい」と考える。
人気オペラ歌手ジェニーを「僕のショーは楽しく、だます。一度は本物を見せたい」と口説いて、その公演にのめり込み、サーカス団員たちとの間には溝ができる。
ジェニーに惚れられ、やんわりと拒絶すると、ジェニーは怒って、その後の公演をキャンセルし、バーナムは借金を抱える。
ジェニーとの関係を誤解したバーナムの妻チャリティは怒って、実家に帰る。
さらには、サーカスの劇場が、放火されて焼失。
バーナムは、失意のどん底に陥る。
再起を促したのは、まず、新聞記者のベネット。
「私は嫌いだったが、ショーは人気だった。芸術じゃない。でも、いろいろな人間を一緒に舞台へ連れて行った。肌の色も体形も大きさも違う者たちを。ほかの評論家なら名付けただろう。『珠玉の人間讃歌』と。再開してくれ」と。
次にサーカスの団員たち。
「私たちは親にも疎まれてきた。存在も隠されてきた。救ったのはあなた。見捨てないで。ペテン師で、目的は金儲けだったかもしれない。でも、本当の家族をくれた。サーカスは家だった。取り戻したい」と。
妻のチャリティとも仲直りする。
「君と娘たちに苦労をかけた。僕は成功を求めすぎた」と謝ると、チャリティは「私は出会った時のままのあなたでよかった」と受け入れる。
そして、「建物なんか、いらない。テントだ」とテントを設置して興行を再開し、ハッピーエンド。
「誇張したって、いいはずだ」と言うのがバーナムの持論だけど、この映画のストーリーも、誇張があると思って見たほうがいい。
実話にヒントを得たエンターテインメントだと思って見たほうがいい。
ウィキペディアによると、実話とは、いろいろと違うようだ。
バーナムとチャリティの夫婦の関係は、映画のようにドラマチックではないらしい。
バーナムとジェニーの関係も、映画のようにドラマチックではないらしい。
バーナムの行動は金儲けが一番の動機で、団員たちを文字通り、見世物として扱っていたらしい(映画の中でも少しだけ、そんなニュアンスは出ている)。
少なくとも実際に観客を喜ばせはしたのだろうけども、実際の団員たちが映画のように、「光の当たる場に出してくれた」「家族ができた」と思っていたかどうかは、わからない。
漫画「エリア88」(新谷かおる)の登場人物のセリフを思い出す。
主人公・風間真たちの傭兵部隊が護衛することになった小国の大統領一家の息子ローデが、傭兵の1人、ニップルに問いかける。
「父は、本当に良い政治を行っているのでしょうか」と。
ニップルの答えは、詭弁みたいだけども、面白い。
「私は政治に関しては、よくわからないが、基本的にはふたつしかない。自分のためにする政治と他人のためにする政治だ。他人に喜んでもらうのが生き甲斐の政治家がいるなら、たとえ、他人がその政治を喜んでも、それは自分のためにする政治だね」と。
これは、意図と結果のことを言っているのだと思う。
つまり、自分のためにしたことが他人のためになることもある。逆に、他人のためにしたことが、そうならないこともあるという。
その難しさを説いたのだと思う。

バーナムの動機が自分の金儲けだったとしても、多くの観客が喜び、そして、団員の喜びにもつながっていたらいいと願う。


