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「ザ・フライ」 もし、愛する人が醜い姿になったら・・・病気や老いを意識する年齢になった今、見ると「悲劇の恋愛」の要素に惹きつけられる

ザ・フライ (字幕版)

ザ・フライ (字幕版)

  • ジーナ・デイビス
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「ザ・フライ」

「The Fly」

 

ヴェロニカ「会いたかった。あなたが完全にいなくなる前に」

セス「帰ったほうがいい。もう来るな。人間でいたかったけど、希望は消えた」

ヴェロニカ「そんな・・・」

セス「君を傷つけたくない」

(以上、抜粋)

 

SFホラー映画「ザ・フライ」(1986年)を初めて見たのは、おそらく、テレビ放送で。高校年代の頃だったと思う。

物質転送装置を発明した天才科学者の主人公セスが、自分を転送する実験の際に、ハエが1匹まぎれ込んでいたのに気づかず、ハエと融合してしまう。そして、徐々にセスの肉体が崩壊し、人間の心も失っていくストーリー。

 


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出産の場面(セスの恋人・ヴェロニカが見る悪夢)が一番記憶に残っていた。

そして、セスの顔や体がただれ、何日もかけて崩壊していくグロテスクな描写。

記事「運営者の横顔(6)映画観賞ライフ」を書いたら、急に懐かしくなり、先日、Amazonプライムで見てみた。

 

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久しぶりに見ると、かつて強烈に記憶に残ったグロテスクな描写はそれほどでもなくて、「悲劇の恋愛」という要素に惹きつけられ、いろいろと考えさせられた。

 

もし、愛する人が醜い姿になったら・・・

この映画のような極端なことは起こらないとしても、病気や老いのために、愛おしい姿が変わってしまったら・・・

さらには、自分がその立場だったら・・・

 

こんなことを考えるようになったのは、50歳を過ぎ、病気や老いを意識する年齢になってきたからかもしれない。

実際に、ここ近年、妻の両親の介護や妻のがん闘病を見てきた。

心身が頑丈なことだけが取り柄の私自身、3年ほど前に肺炎を患った。

 

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あらためて「ザ・フライ」を見て、フランツ・カフカの「変身」、江戸川乱歩の「芋虫」といった短編小説を思い出した。

 

 

カフカの「変身」は、一家の大黒柱だった主人公グレゴール・ザムザがある日起きてみたら巨大な虫になっていたという話。

両親はもちろん、優しく世話をしてくれていた妹にも、だんだん、邪魔者扱いされるようになり、最後は、家族に見捨てられて、ひっそりと息を引き取る。

悲しいことに、グレゴールの存在価値は、家族のためにお金を稼いでくるということにしかなかったのかと考えさせられる。

グレゴールの悲しみは、虫になってしまったことではなく、家族にだんだん疎まれ、ついには見捨てられることにある。

 

ある日起きたら虫になっていたという「変身」のグレゴールと違い、「ザ・フライ」のセスの場合は変化がだんだん進んでいくから、「自分が自分でなくなっていく」というところに恐怖がある。

 

異常に気づいた当初、セスは「どうしたんだ?僕は死ぬのか?」と驚く。

変化が進むにつれ、自分が失われていくことが恐怖になる。

「鏡を見るたびに自分じゃなくなっていく」と。

容貌を変えてしまうような病気や、認知症のように精神活動を変えてしまう病気は、場合によっては、似たような恐怖をもたらすだろうと想像する。

 

「ザ・フライ」では、セスの子を身ごもったヴェロニカが「ハエ人間」の子を生んでしまう可能性を恐れて中絶しようとすると、セスが猛反対する。

「僕を殺さないでくれ」と。

セスにとって、ヴェロニカのおなかの子どもが「セス」として生きた証だからだ。

これは、せつない。

 

 

江戸川乱歩の「芋虫」は、戦争で両手両足を失い、聞くことも話すこともできない(口に鉛筆をくわえて筆談で意思を伝えることはできる)須永中尉と、その身の回りの世話をする妻・時子の物語。

当初は、須永中尉が変わり果てた姿になったことを悲しみ、献身的に世話をしていた時子は、年月が経つうちに須永中尉を虐待するようになり、ある時、衝動的に両目を潰してしまい、罪の意識にさいなまれる。

両手両足を失い、聞くことも話すこともできない須永中尉は、食欲と性欲を満たすことだけが楽しみになり、その姿を見るうちに、時子が、サディスティックな性欲を抱くようになるのも、興味深い。

食欲と性欲だけという姿が、時子に、須永中尉の人間らしさを感じさせにくくし、唯一、人間らしさを残していた両目を潰す伏線になるのだ。

 

「ザ・フライ」のセスも、ハエと融合した後、性欲が異常に強くなる。

ただし、行動に移してヴェロニカに求めるのは、人間らしい姿をとどめていた頃だけ。

人間らしい姿が薄れてからも、そうしようとしていたら、ヴェロニカの受け止め方は変わっていたかもしれない。

 

「芋虫」の須永中尉と時子の間に、もともと愛情があったのかどうかはわからない。

「ザ・フライ」のセスとヴェロニカの間には、愛情があった。

だから、この作品は、ヴェロニカを愛するがゆえに距離を置こうとするセスと、変わり果てたセスを愛し続けるヴェロニカの悲劇の物語になっている。

 

変化に気づいてから、しばらく、ヴェロニカと距離を置いていたセスは言う。

「この4週間、君に会うのが怖かった」と。

嫌われるのが怖かったということだと思う。

 

この記事の冒頭に抜粋したのは、物語終盤の2人のやり取り。

かなり状態が悪化したセスを訪ねたヴェロニカが「会いたかった。あなたが完全にいなくなる前に」と言うのに対し、セスは突き放す。

「帰ったほうがいい。もう来るな。人間でいたかったけど、希望は消えた。君を傷つけたくない」と。

やがて、身も心も人間でなくなってしまった時に、ヴェロニカの心身を傷つけてしまいたくない、との気持ちだろう。

 

個人的には、ここで2人の対面は終われば良かったと思う。

 

この物語は、完全に人間ではなくなったセスが暴走してヴェロニカを襲った後、我に返り、自分の頭に銃口を当てて、引き金を引くよう懇願し、ヴェロニカは一度はためらうけども、泣きながら撃って終わる。

話としては、わかりやすいかもしれないけど・・・

私は、安っぽく感じてしまい、あまり好きな結末ではない。

撃った後、いきなりエンドロールというのも、余韻がなさ過ぎる気がする。

全体的に面白い作品なのに、このラストが残念だ。

 

「会いたかった。あなたが完全にいなくなる前に」「もう来るな。君を傷つけたくない」というやり取りを最後に、2人は顔を合わせないほうが良かった。

セスが、誰にも最後の姿を見られないようにして、「変身」のグレゴールのようにひっそりと息を引き取るか、「芋虫」の須永中尉のように自ら命を絶つほうが、お互いにダメージが少なかったのではないだろうか。

 

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