「ベートーヴェン捏造」
(ネタバレあり。見ていない方はご注意を)
シンドラーは、ベートーベンに憧れ、ベートーベンになろうとしたのだと思う。
映画「ベートーヴェン捏造」(2025年)をAmazonプライムで見た。
面白くて、原作の論考「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」(かげはら史帆)も、Amazonで買って読んだ。
あのベートーベンの秘書で、伝記を書いた男シンドラーの物語。
ベートーベンを英雄として崇拝し、理想的な姿で伝えようと、資料の捏造までして、伝記を書いたという。
たとえば、「運命」という通称で知られる交響曲第5番の、♪ジャジャジャジャーン…というメロディーについて、ベートーベンが「運命はこのようにドアを叩くのだ」と説明したという有名な逸話も、シンドラーによる捏造の疑いがあるという。
なぜ、シンドラーは捏造に手を染めたのか。
原作を読むと、よくわかるのだけども、映画を先に見て、ビジュアルから入ったほうが理解しやすいと思う。
映画を見たら、「小汚くて下品で癇癪持ちのおじさん」というベートーベンの実像に触れたシンドラーが、「偉大な英雄」として理想的なベートーベン像を作り上げていく過程が、とりあえず、わかる。
古田新太が演じるベートーベンは、ほんとに小汚くて下品で癇癪持ちのおじさん。
自作曲を弟子にピアノで弾かせてBGMとしながら、ファンの女性とイチャイチャしたり、料理が気に入らないと家政婦に皿ごと投げつけたりする。
このような描写は、原作より映画のほうがわかりやすいと思う。
話がそれるけど・・・
ベートーベンが女性とイチャイチャという姿を見て、漫画家・手塚治虫が描いたベートーベンの伝記的な作品「ルードウィヒ・B」を思い出した。
この作品では、ベートーベンが尊敬するモーツァルトがだらしない人間。
ベートーベンは、モーツァルトの妻コンスタンツェに誘惑されて、はねのける、くそ真面目な人間として描かれている。
映画では、最高傑作とも言われる通称「合唱付き」「第九」、交響曲第9番の初演で、耳の不自由なベートーベン本人にあえて楽団の指揮をさせて観客に強く印象づけるなど、シンドラーがプロデューサーとして優れた手腕を持っていたことも、わかる。
山田裕貴が演じるシンドラーは、陰気で人の気持ちや場の空気が読めない変な男。
たとえば、酒場で「おまえはベートーベンの悪口を言うヤツがいたら、ナイフで刺すだろう」と盲信ぶりをからかわれたのに、うれしそうにベートーベンに報告する。
私は本当にそうしますよ、と言わんばかりの様子で。
ベートーベンは「やめてくれよ!俺まで面倒なヤツだと思われるだろ!」と迷惑顔。
この調子で、シンドラーは、だんだん、ベートーベンに疎まれ、「第九」初演の大成功を祝う宴席で、あらぬ罪を着せられ、追放される。
ベートーベンの才能や見せ方を最も理解しているシンドラーが、ベートーベンの理解者だとするなら・・・
一番の理解者が一番の友ではない、それどころか、煙たがられているのが、面白い。
でも、ベートーベンの晩年には再び、シンドラーがそばで仕える。
この頃にはベートーベンがシンドラーに優しくなり、献身への感謝を口にしているのが、これまた、面白い。
「運命」とは、こうしたものなのだろう。
ベートーベンの死後。
ベートーベンが甥のカールに干渉しすぎて自殺未遂に追い込んだことなど負の側面を素直に記した伝記が関係者によって出されるのを見て、シンドラーは、理想のベートーベン像を書き残そうとする。
その過程で、耳の不自由なベートーベンが筆談のために使っていた「会話帳」に、理想的なベートーベン像に合う会話を書き加え、逆に、負の側面がわかる会話帳は燃やすなど、資料の捏造、隠蔽に手を染めていくのだ。
映画では、「ベートーベンは偉大な英雄でなければならない」との動機は、わかるのだけども、なぜ、シンドラーはそんなにベートーベンを英雄視したのか。
さらに深い背景は、原作「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」を読むと、よくわかる。
映画を見てから原作を読むと、なるほど、という感じで、発見がある。
面白くて手が止まらず、一気に読破した。
逆に、原作を読んでから、映画を見たら、物足りなく感じたかもしれない。
原作が説く背景を要約すると・・・
シンドラーは、ウィーンで過ごした大学時代に、愛国的な学生運動にはまった。
運動の中心メンバーだったという。
当時、ナポレオン戦争の影響で、それまで国家として統一されていなかったドイツ語圏の人たちに「国家としてのドイツ」、そして、「ドイツ人」という意識が芽生えた時代だったという。
しかし、学生運動が法律で禁止され、シンドラーの愛国心は行き場を失う。
そんな時に、以前から尊敬していたベートーベンと出会ったという。
つまり、「ドイツの偉大な英雄」としてベートーベンをプロデュースすることが新たな生きがいとなったというわけだ。
シンドラーが書いた伝記の信憑性を疑う人は当初からいたようだ。
研究で、捏造が発覚したのは、シンドラーの死後100年あまり経った1977年。
シンドラーは非難の的となった。
一方で、原作によると、シンドラーを再評価する声もあるという。
原作から、以下に一部抜粋してみる。
ヨーロッパ文化史研究者の小宮正安は「音楽史 影の仕掛人」(2013年刊)で音楽史を動かした「仕掛人」のひとりとして、シンドラーを取り上げて、こう言った。
「シンドラーは、ベートーヴェン伝説の形成にあたって欠かすことのできない名コピーライターだった。ベートーヴェンの作品に関する特別な逸話がなければ、あるいは、それを基にした呼称が生まれなければ・・・それらが現在のような超有名作品になりえていたかどうかは、誰にもわからないのである」
(以上、抜粋)
たとえば、交響曲第5番は、「運命はこのようにドアを叩くのだ」とベートーベンが説明したという逸話があったから、「運命」という通称が付いた。
「運命」という通称で、この曲は何だか、ドラマチックに見えてくる。
ベートーベンは実際に偉大な音楽家だったのだろうけど、偉大さを際立たせたのは、シンドラーの功績なのだ。
「運命」の逸話は、シンドラーによる捏造の疑いがあるとわかっても、なお、交響曲第5番は、「運命」という通称を使われ続けている。
これは、ただ単に嘘が広まって真実になったということではなく、偉大なベートーベンの曲にふさわしい通称だと、多くの人たちが考えている証拠ではないか。
そして、原作者の最後の考察が、とても興味深い。
原作によると、もともと音楽の素養があったシンドラーは自作曲を残している。
そして、その自作曲に、自ら手厳しく、ダメ出しをしているという。
原作から抜粋すると、こうだ。
このソナタ、特に第1楽章はベートーヴェンのスタイルをなぞって書こうとしたものだ。なんという思い上がりだろう!ほんとうに罰に値する高慢さというべきか!俺は今ではこの作品に対して、そういう考えだ。
(以上、抜粋)
そして、原作者は、シンドラーについて「ベートーヴェンのことは大いに尊敬している。でも、できることなら、自分もベートーヴェンのような作曲家になりたい。ひょっとしたら、そんな夢を抱いていたのだろうか」と分析する。
これは面白い。
原作者は、分析をさらに深める。
これも面白いので、抜粋してみる。
音楽を志した男にとって、一生かかってもかなわない天才に出会ってしまったことは、人生における最大の幸福であると同時に、最大の悲劇だった。
ベートーヴェンとの出会いは、シンドラーにとって、夢の始まりであると同時に、夢の潰えるきざしだったのかもしれない、と。
その人の音楽に身も心も支配されてしまうとは。自分で何かを作り出そうとしても、すべてその人の剽窃のようになってしまうとは。その絶望に耐えきれず筆を折ってしまうとは。そして抱いた夢さえも「罰」と自ら呼ばざるを得なくなるとは。
こう思わずにはいられない。
(以上、抜粋)
シンドラーがベートーベンに対して複雑な思いを抱いていたのではないかという分析。
手塚治虫の「ブッダ」に登場するダイバダッタが思い浮かんだ。
不幸な生い立ちから、弱肉強食の精神を身に付け「誰にも負けない男になってやる」と誓う、まるで、ディオ(by荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」)みたいな人物。
「ブッダ」の中で私が一番好きな登場人物だ。
ダイバダッタは、慈愛を説くブッダと出会って、生き方を改め、ブッダの教えを広めることに生きがいを見いだし、教団の運営で、プロデューサー的な手腕を発揮していく。
ブッダの後継者と自負していたけど、ブッダにその気がないとわかると、教団を乗っ取ろうとし、ついにはブッダを殺そうとする。
殺害が失敗して死に際に、ブッダに心中を明かす。
「私ァ、あんたになりたくて、なれなかった。だから、あんたが憎かった」と。


こう、想像する。
シンドラーは、理想のベートーベン像をプロデュースし続けるうちに、自分とベートーベンを同一視していったのかもしれない。
だって、現実のベートーベンは、小汚くて下品で癇癪持ちの男。
「偉大な英雄ベートーベン」は、シンドラーが作り出したもの。
いわば、シンドラーの魂の結晶だ。
会話帳を捏造し、伝記を書くシンドラーは、ベートーベンになった気持ちだったに違いない。
しかし、悲しいことに、実際の音楽の才能は、ベートーベンには及ばない。
ここにシンドラーの悲劇がある。



