「グッバイ・ヒーロー」
「Grand Prix Requiem」
ジル・ヴィルヌーヴ。
F1参戦は1977年の途中から1982年の序盤まで、正味5年足らず。
通算6勝という戦績は、特に際立ったものではなく、ワールドチャンピオンにもなっていない。
多くのファンを惹きつけたのは、これぞレーサーという走りっぷり。
常に最速を目指して全開走行。危険を冒してでも限界に挑んだ。
性能の劣るマシンに乗っても、トラブルに見舞われても、レースを諦めなかった。
記録より記憶に残るF1ドライバーとして、人気は今も衰えない。
(1990年頃のF1中継オープニング前の往年のドライバー紹介風。城達也のナレーションだと思って読んで)
書いてみて、懐かしくなった。
この後のオープニングで流れるTスクエアの「トゥルース」が脳内再生された。
日本人初のフル参戦F1ドライバー中嶋悟が誕生した1987年から、人気ドライバーのアイルトン・セナが事故死した1994年までのF1ブームに、はまった。
F1関連書籍をあさり、当時、手にした伝記「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」(ジェラルド・ドナルドソン)は、今も座右の書(当初持っていたものが薄汚れて、買い替えたくらい)。
ヴィルヌーヴの走っている姿が見たいと思い、まずはレンタルビデオで借りてダビング、のちに中古ビデオテープを入手したのが、映画「グッバイ・ヒーロー」(1987年、日米伊合作)だ。
1970〜80年代の記録映像を中心に構成し、往年の名ドライバーのニキ・ラウダのインタビュー、中嶋の紹介などを交えてある。
「今は亡きF1レーサーに捧げる」というコンセプトだけど、実際のところは、事故の映像集に近い。
始まって6分ほどで、ラウダの事故映像が出てくる(1976年ドイツGP。瀕死の火傷を負うけど命は取りとめた)。
特に中盤以降は事故映像が次々と流れる。
その一方で、原因や背景のドラマは深掘りされない。
見世物的なドキュメンタリー「モンド映画」のひとつだと見做されることがあるのは、そのためだろう。
(全編の3分の1近い32分余りの動画があった。ラウダの事故映像は6分すぎから。本文で後述するヨッヘン・リントは29分すぎから登場)
貴重な記録映像があるのは間違いない。
たとえば、F1ではないけど、レース史上最悪の惨事とされる1955年のル・マン24時間での大事故。
メルセデス・ベンツのマシンが観客席に飛び込み、86人が死亡、100人近くが負傷したという。
1980年のドイツでのF2レースで、マンフレッド・ウィンケルホックのマシンが宙に浮き、縦回転する事故の映像もインパクトがあった(ウィンケルホックは無事)。
この記事では、説明を補って、フランソワ・セベールとヴィルヌーヴの事故死を掘り下げてみたい
なぜ、この2人か。
この映画で取り上げられる事故は、マシントラブルが原因だと考えられているものが多い。
しかし、セベールやヴィルヌーヴの事故は、ドライバー本人の焦りによる判断ミスだと考えられている。
名手の2人がなぜ、焦ったのか。
その背景に、悲劇的なドラマがある。
<フランソワ・セベールの事故死>
前振りとして、ヨッヘン・リントの事故死が取り上げられる(事故の映像あり)。
1970年イタリアGP。
そして、セベールの証言映像が出る。
「土曜の公式予選で私もタイムを上げようと走っていたら、200メートルほど前でリントが死んだ。160キロの猛スピードでコーナーに突っ込み、ガードレールに激突し、即死だ。私はレース前夜、寝れなかった。あそこで私が死んでいたかもしれない」と。
そして、ナレーション。
「セベールも1973年のアメリカGPで死亡。ワトキンスグレン・サーキットで壁に激突したのだ」と。
(この事故の映像はない)。
続いて、セベールのチームメイトでエース格のジャッキー・スチュワートに関するナレーション。
「セベールの死にショックを受け、彼は輝かしいキャリアに終止符を打った」と。
この説明は、スチュワートがセベールの事故死がきっかけで引退したように読めるので、誤解を招く。
スチュワートはその時点で既に、ワールドチャンピオン獲得を決めていて、キャリア100戦目となるアメリカGPを最後に引退する意向だったようだ。
チームのオーナーには伝えていたという。
その事情を知らなかったセベールが、来季、チームにジョディ・シェクターが入ると聞き、自分がクビになると思い込んで、焦り、無理をしたらしい。
(オーナーは、引退するスチュワートに代わって来季はセベールをエースに昇格させ、シェクターを補佐役とするつもりだったという)。
事故は予選中の出来事。
セベールは背後にシェクター(この時点では他チーム所属)が迫るのを見て、負けまいと焦ったとみられている。
さらに、このアメリカGPの直前のカナダGPで、シェクターが事故を起こし、セベールが巻き添えになってリタイアする騒動があり、2人の間には確執が生じていた。
このことも、セベールの冷静さを失わせたとみられている。
ここに、悲劇がある。
ちなみに、この映画では、ロニー・ピーターソンの事故死(1978年イタリアGP。モンツァ・サーキットにて。事故の映像あり)についても、のちに事故死するエリオ・デ・アンジェリスの証言映像が出る。
「モンツァの事故はショックだった。死はいつも待ち構えている。すぐ背中に。一瞬でやってくる。頭から離れない」と。
そして、アンジェリスも1985年にフランスでテスト走行中に事故死したとのナレーション(事故の映像はない)。
リントの事故死をセベールが語る構成といい、この映画は「レースは死と隣り合わせ」という視点ばかり強調しているのが、残念だ。
映画冒頭のナレーションは「ドライバーは名声と栄光に自らの命を賭ける」だし。
事故の背景のドラマに光を当てたほうが面白いのに。
<ジル・ヴィルヌーヴの事故死>
ヴィルヌーヴの映像が、私にとっては最大の見どころ。
1979年フランスGPでのルネ・アルヌーとの伝説的なバトルの映像がないのは残念だけど、1979年オランダGPでの「3輪走行」の映像があるのが、うれしい。
ヴィルヌーヴは、レース中に左後輪のタイヤがパンクしたにもかかわらず、3輪状態でレースを続けようとした(ホイールも壊れて結局はリタイア)。
マシンが動き続ける限り、勝負を諦めない不屈の精神を示す逸話となっている。
(3輪走行の動画があったので、紹介。映画ではここまで長くは出てこない)
ヴィルヌーヴの事故死は、1982年ベルギーGPの予選中の出来事。
この映画でも流れる記録映像は、ヴィルヌーヴのマシンが他の車と接触して宙を舞い、その途中でヴィルヌーヴがマシンから投げ出され、フェンスに衝突する様子を生々しくとらえている。
この映画は、事故原因や背景には触れていない。
かつてのチームメイトで親友のシェクターが葬式で述べた弔辞で、映画を締めくくっている。
「ヴィルヌーヴは、誰よりも純粋な男でした。そして、誰よりも速いドライバーでした。彼は自分の好きなことをして逝きました。でも、私たちは彼を忘れません。彼が残した功績を」という弔辞で。
この弔辞は、背景を知って聞くと、より深く心に染みるのに、もったいない。
「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」によると・・・
シェクターは駆け出しの頃、ヴィルヌーヴのような豪胆な走りを見せるドライバーで、事故が多かった。
セベールが命を落とした事故の時、すぐ後ろを走っていたシェクターは、いち早く現場に駆けつけ、惨状に激しいショックを受けた(マシンが宙を舞い、ガードレールの上に落下。セベールは体を真っ二つに裂かれて惨死)。
セベールの事故死以来、シェクターは安全志向のドライバーになり、その後、チームメイトになったヴィルヌーヴには「無茶な走りはやめろ」と忠告していたという。
一方で、ヴィルヌーヴの事故死の背景には、当時のチームメイトのディディエ・ピローニとの確執が背景にあった。
ベルギーGPの直前のサンマリノGPで、ヴィルヌーヴとピローニが1、2位の位置で他のドライバーを引き離す展開となったため、チームが「無理をせず、ペースを落とせ」と2人に指示。
ヴィルヌーヴが素直にペースを落としたら、ゴール直前でピローニがいきなり容赦なく抜いて行って、優勝をさらったという確執。
そして迎えたベルギーGPの予選で、ピローニより良いタイムを出そうと焦ったヴィルヌーヴは、他のドライバーを追い越す時に無理をして接触したという。
これらの背景を踏まえて弔辞を聞くと、シェクターの悲しみの深さがわかる。


