「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」
劇場版アニメか、原作の漫画か。
どちらを先に見るか、迷った。
結局、劇場版アニメを先に見て、後で原作漫画を読んだ。
正解だったと思う。
押井守が手がけた劇場版アニメ「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」(1995年)と、漫画「攻殻機動隊」(士郎正宗)。
人間の脳を電子ネットワークにつなぐ「電脳化」、身体を機械化する「義体化」が進んだ未来の社会を舞台にした物語。
政府の対テロ組織「公安9課」のメンバーの活躍を描く。
有名な作品だけど、なんとなく、食わず嫌いで、どちらも見たことがなかった。
「芸術新潮2026年2月号 大特集・攻殻機動隊」を読んで、興味がわいた。
劇場版アニメを先に見たのは、Amazonプライムで無料視聴できたから。
見て、面白かったら、原作漫画をAmazonで買って読もうという判断。
「芸術新潮」の特集を先に読んでいたおかげで、スムーズに物語に入り込めた。
そうでなかったら、よくわからなかったかもしれない。
そして、原作漫画は、さらにわかりにくかった。
もし、「芸術新潮」の特集も読まず、最初に原作漫画に触れていたら、劇場版アニメを見ようとは思わなかっただろう。
原作漫画が面白くないということではない。劇場版アニメとは違う魅力がある。
原作漫画は、主人公・草薙素子の可愛らしい顔立ちとお転婆なキャラクターが好き。
理解のない上司を殴りつけるとか、同僚のバトーが用意した銃器にケチをつけるとか、奔放なところがいい。


ところが、ストーリー展開が散漫で、わかりにくい。
妙におちゃらけた描写が入るのも、この物語のハードな世界観には合わないように、私は感じた。
劇場版アニメのクールでシリアスな素子も悪くはない。味がある。
何より、劇場版アニメは、素子たち公安9課のメンバーが、正体不明のハッカー「人形使い」を追うという、筋が一本通ったストーリー。
物語に入り込みやすかった。
ハッカーに脳に入り込まれ、実在しない妻子の記憶を作られた脇役も現れる世界。
原作漫画では、この脇役が「妻の浮気の悩みがなくなった」などと、あっけらかんとしていて、お笑いにしてしまうのだけども・・・
劇場版アニメでは、愛娘もいなかったのかとショックを受ける姿が悲壮な感じで描かれる。
だから、「そもそも私は本当にいるのだろうか」と、自己の存在を疑ってしまう素子のセリフは、原作漫画と同じでも、劇場版アニメのほうが、重みがある。
クールでシリアスな素子のキャラクター設定も、こんな空気感の漂う劇場版アニメなら、ピッタリだ。
物語の終盤、電子ネットワーク内で生まれた「生命体」だった「人形使い」と素子が融合する経緯も、原作漫画と劇場版アニメで展開が違う。
原作漫画では、義体を失って、保護ケース入りの脳と脊髄だけになっていた素子に「人形使い」が接触してきて融合を持ちかけ、素子は乗りで了承。
融合した素子&人形使いは、バトーが手に入れた義体に入って目覚めるけども、その義体は男性用だったという、おちゃらけが付く。
劇場版アニメでは、身動きできない状態になった素子に「人形使い」が接触してきて融合を持ちかける。どちらも狙撃されて死んだか?と思われる場面で、バトーが「素子ォーッ!」と絶叫するのが、せつない。
死んだかと思われた素子&人形使いの融合体は、バトーが用意した義体に収まっていて、目を覚ます(義体は、原作漫画みたいに男性用ではなく、子どもの女性用)。
「さて、どこへ行こうかしらね。ネットは広大だわ」と素子&人形使いがつぶやくラストは、同じセリフでも、原作漫画と劇場版アニメで、印象が違ってくる。

(以下の動画で「ネットは広大だわ」は2分55秒あたりから)
原作漫画では、奔放な素子そのまま。文字通り、「どこへ行こうか」だ。
劇場版アニメでは、新たな存在として生まれ変わり、再出発する素子の喜びがあふれている。
やっぱり、劇場版アニメのほうが、深みが感じられて、好きだ。

