カマロン・デ・ラ・イスラ&パコ・デ・ルシア「アル・ベルテ・ラス・フローレス・ジョラン」
Camaron De La Isla & Paco De Lucia 「Al Verte Las Flores Lloran」
フラメンコ歌手カマロン・デ・ラ・イスラの変な叫び声を味わうのに最適。
それが1969年のアルバム「アル・ベルテ・ラス・フローレス・ジョラン」。
カマロンは気合十分だと「アイヤイヤイー」とか「レレレレレー」とか変な叫び声を発する。
私は、これが大好き。
当時18歳のカマロンと21歳のギター奏者パコ・デ・ルシアが出会って意気投合し、初めて共同制作したアルバム。
フラメンコ史上最高の歌手、ギター奏者とたたえられる盟友2人のコラボの原点だ。
歌とギターのほかは手拍子が入るくらいなので、カマロンの歌そのものがよくわかる作品でもある。
収録曲のうち4曲ほど、簡単に紹介するので、まずは聴いてもらいたい。
うんちくはその後に。
タイトル曲「アル・ベルテ・ラス・フローレス・ジョラン」は、私好みの速い曲。
カマロンの変な叫び声は序盤の27秒あたりから。
レレレレレレーイレイ
アイヤイヤイー、アーイー
エアーーイーー
、、、と叫ぶ。
終盤、2分30秒あたりからの早口の歌い回しもかっこいい。
「シ・アカソ・ムエロ」
変な叫び声は40秒あたりから。
ティリティリティリー
アーイー、アーイーウィー
アーイー、ジャジャーイーウィー
、、、と叫ぶ。
「アンダ・イ・ノ・プレスマス・マス」
冒頭、「フォルツァー(行けー)、オレー、パコー」との掛け声を発する。
変な叫び声は27秒あたりから。
レレレレレー、レーウィー
アアア、アーイーウ
アーイー、アーイー、ジャジャーウィー
、、、と叫ぶ。
「ウナ・エストレジャ・チキチータ」
変な叫び声は28秒あたりから。
エヤーエイー
レレレレレー、レレレレレー、レラーイー
、、、と叫ぶ。
ほぼ叫ぶように歌う終盤がいい。
カマロンもパコも幼い頃から、それぞれ歌とギターに打ち込んできた。
カマロンはロマ民族(ジプシー)。母が歌の名人だった影響もあって、街頭で歌うようになった。
パコは、酒場でギターを弾いていた父にしごかれ、天才少年として注目されていた。
カマロンとパコの2人は互いに刺激し合い、のちにフラメンコに革新をもたらすのだけども、初期の頃は、年下のカマロンがリードし、パコが学ぶ立場だったのではないか。
アルバム「アル・ベルテ・ラス・フローレス・ジョラン」を聴いても、そう感じる。
以前の記事で何度か書いたが、猛練習で超絶技巧を身に付けた努力型のパコは、感性のままに歌って人を惹きつける天才型のカマロンと出会って衝撃を受けたようだ。
パコの伝記映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」(2014年、スペイン)で、パコは語っている。
「普通のフラメンコ歌手は大声を張り上げるだけだ。カマロンの歌は心に響く」と。
2人は1969~77年にアルバム9枚を共同制作。それぞれの道を歩むようになってからも、たびたび共演した。
カマロンとの共同制作のかたわら、パコは1973年に傑作アルバム「二筋の川」を放ってヒットさせ、スターとなる。
「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」で、「私がカマロンより有名になるなんて」と当時の感激を語っているのが興味深い。
それほどカマロンを尊敬していて、肩を並べる喜びを、こう言い表したのだと思う。
2人は作品の権利をめぐって行き違いがあり、パコは周囲から「カマロンの作品を盗んだ」と批判を浴び、2人が疎遠になった時期もあるようだ。
このトラブルを差すのかどうかはわからないが、「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」で、パコは「私たちはお互いに内にこもる性格だったから、行き違いもあった」と語っている。
カマロンはヘビースモーカーで、1992年に肺がんのため41歳で亡くなる。
海外のサイトの記事によると、パコは「盗作」の件をずっと気に病んでいたらしく、カマロンが亡くなる前に連絡を取った。
パコが「私はカマロンから何かを盗んだか?」と問うと、カマロンは「私は何も盗られていない。パコはアミーゴだ」と答えたという。
パコは泣いたに違いない。
パコは、カマロン没後の1998年、「カマロン」という曲を作って捧げた(パコの1998年のアルバム「ルシア」に収録)。
パコの歌声が聴ける貴重な曲でもある。
パコの歌は、5分25秒あたりから最後の6分7秒まで。
「アーイー、アーイー、アーイー」という変な叫び声で始まり、「カマローン、カマローン」という呼びかけで終わる。
せつない曲だ。


