取材の心構え「いろんな人と話す理由」
取材では、いろいろな人と話すように心掛けている。
「幅広く情報を集める」「さまざまな見方を知る」という攻めの理由ももちろんあるが、「自分の情報源を特定されないために」という守りの理由もある。
警察官に捜査の内容を聞く場合や政党幹部や議員に政党や議会の判断・対応に関することを内緒で教えてもらう場合などは、特にそうだ。
取材先が一部の人に偏っていると、情報源を特定されやすく、相手の組織内で「誰が記者にしゃべったのか」ということが問題になった時に、相手に迷惑がかかることもあるからだ。
だから、普段からいろんな人と雑談する関係になっておくということだ。
「あの記者は、いつも○○さんとばかり話している」という風にみられていると、情報源があっさり特定される。そのいつもよく話す人から聞いたのじゃなくても、その人が情報を漏らしたと疑われる。いろんな人と話していたら、そうはならない。
重要な情報を得る時には、いろんな人と話し、いろんな人の見方を聞いて多角的にとらえないといけない。
ただし、ある人から特定の重要な情報を得た時に、ほかの人にも聞いて裏付けを強化すべきかどうかは、ケース・バイ・ケースだ。相手にもよるので、一概には言えない。
複数の人に当たって裏付けを強化したほうがいい場合もある。一方で、下手に複数の人に当たると、記者がその件について取材しているということを、いろんな人に知られることにもなり、自分の取材行動を同業他社に察知されるリスクが高まる。
自分の場合、いろんな人と話す理由は、もうひとつある。
それは何かというと、「誰でも尊重し、誰とも平等に接する」というこだわりだ。
世の中、力のある人、上り調子の人、勢いのある人に人がすり寄っていき、逆に、力のない人、落ち目の人、勢いのない人から人が離れていくことは、当たり前の現象だ。
選挙や政党内の勢力争いの取材をしていて、そんな現象を何度も見てきた。
だけども、自分は、人情として、そういうドライな態度は取れないし、反骨精神みたいなのもあるので、有力者とも付き合うけど、落ち目の人や力のない人とも付き合っていた。むしろ、落ち目の人に肩入れしたくなる心理が働くこともあった。
特に、あるグループの取材をするのに、その中の一部の有力者とばかり話して、その他のメンバーは無視するような態度は、自分は嫌だ。これは自分の性格だ。
「誰でも尊重し、誰とも平等に接する」を心がけて、業務上、何かメリットがあるかというと、特にないだろう。例えば、落ち目の人が勢いを得た時に、よくしてくれるというようなことは、特にないだろう。
メリットはないと思うが、人間の心理は無視できない。
例えば、古代中国の「史記」(司馬遷)に、孟嘗君の逸話がある。
孟嘗君こと田文は、戦国時代の強国・斉の宰相で、大勢の食客を抱えた太っ腹な人物として知られる。
ところが、その人望を王に妬まれて宰相の職を解かれると、食客は、1人の知恵者を除いてみんな去った。その後、この知恵者の策略で、宰相に復帰。
知恵者が、以前いた食客たちを呼び戻すよう進言すると、孟嘗君は嫌がったが、「朝、市場がにぎわい、夕方には誰もいなくなるのは、朝の市場には求める品があるが、夕方はないからだ」(要するに、人間とはそういうものだ)と諭され、食客たちを呼び戻したという。
孟嘗君は、にこやかに食客たちを迎えただろうが、内心は不快に思っていたに違いない。
自分は、人の心も、場の空気も、読むのが苦手。意識して対処できることは、気をつけたい。
(Amazonの商品紹介として冒頭に掲示しているボールペン、サラサクリップは、私も業務で使っています。書き味がいいです。グリップの太さも好みです)