私が勤める新聞社で、タイムカードに関する締めつけが強くなった。
私は、いわゆる支局の長で、管理職なので、もともと残業代は支給されない。
かつては、管理職でも午後10時以降、午前5時以前に業務が発生した場合は、特例的に残業代支給が認められていた。
しかし、初任給など若年層の賃金底上げ、中高年層の賃金抑制の流れの中、昨年春の賃金体系改定のタイミングで、管理職の残業代支給が廃止された。
私は管理職ではあるけども、現実には記者としての現場業務が大半を占める。
私のいる支局は50代の私と、それぞれ20代の部下2人という3人体制なので、そうしないと仕事が回らない。このため、選挙など、時に、深夜の取材も発生する。
でも、残業代を請求するわけではないから、いいだろうと思い、実際の退勤時間にタイムカードを押していた。
また、働き方改革等、今のご時世を考慮し、若い部下2人の休日消化を優先すると、私にしわ寄せが来て、私が月に3日くらいしか休めない。
以前は、土日曜に取材、出稿をした場合、出番の平日に2時間くらい残業をしたことにして残業代を申請し、土日曜は休んだことにしていた。
ところが、管理職の残業代支給が廃止されたので、土日曜に仕事をした場合は、出番扱いにしてタイムカードを押していた。
そうしたところ、特に、今年に入ってから「このようなタイムカードは対外的にまずい」として、上層部の方から直電でお叱りを受けることが増えた。
私なりに現場の実情を説明しても、ご理解いただけず、「そこを何とかするのが、管理職のお前の仕事だ」と言われる。
お叱りを無視して今まで通りにしていたら、何回も電話がかかってくるようになったので、仕方なしに、出番の日は午後8〜9時を目安にタイムカードを押すようになった。
さらに週に1日をめどに、タイムカードを押さない日(実際には仕事をしているが、休日扱い)をつくるようになった。
なぜ、そんな馬鹿馬鹿しい対処をするのか、と思われるかもしれない。
私も、馬鹿馬鹿しいと思う。
なぜかと言うと、昨年春くらいから、定年を待たずに退職しようと考えるようになったからだ。だから、もう少しの辛抱だと思っている。
以前は、定年を迎えてからも、再雇用してもらって、生涯、記者として現場に立ち続けたいという気持ちだった。
そのような先輩方もおられ、その姿が自分の将来像だと思っていた。
そんな気持ちが変わったのは、3点の理由がある。
理由①ここで記者として働く楽しみを感じられなくなった
最も大きな理由は、ここで記者として働く楽しみを感じられなくなったことだ。
記者は、私にとって天職だ。
タダ働きがあっても、休みが取れなくても、そして、少しくらい給料が下がっても、私はこの仕事が好きなので、続けたい。
しかし、記者としての楽しみ、やり甲斐を奪われるのなら、話は別だ。
具体的に言うと、近年、弊社の上層部の体制が変わって、トップダウン傾向が極端に高まり、個々の記者の裁量や自由が踏みにじられるようになってきた。
自分なりにテーマを見つけて自発的に取材し、書いた記事がなかなか載らなくなった。書いた記事が載らないというのは、記者にとって、一番つらいことだ。
以前も、たまにはそういうことがあった。ただ、近年はそれが顕著になり、しかも、理由が納得いかない。
載ったとしても、細かい内容にまで口を挟まれ、書き直される。
記者の主張の根拠が薄いので、そこを強化しろといった指摘なら、わかる。そうではなくて、ニュースの切り口の問題。
そこは本来、個々の記者の考えに任されるべきものだと思うが、上層部の方々の思いつきで、この切り口で書けということを無理強いしてくる。しかも、指摘が的はずれ。
例えば、昨年春、「この地域で近年、ある農作物の生産が活気づいている」という話を取材し、紙面1ページを使う特集コーナー向けに書いて、出した。
ところが、この記事は、上層部の方の鶴の一声で、掲載日直前になってから、ストップがかかり、載らなかった。
私は、この農作物の生産者団体が新規就農者の受け入れ体制を工夫した結果、移住者を含め若い担い手が増えていること、また、高収益の作物として注目され、異業種の企業が参入していることに着目して書いた。
そうしたら、品種開発や消費の動向が入っていないとか、全く違う視点でケチがつき、この記事はダメだと判断され、掲載見送りとなった。
あれやこれや盛り込んだら、何が言いたいか、わからない記事になるから、ある程度的を絞って書くわけで、この地域の現場で一番ホットな要素に絞ったわけだけど。
ご指摘の要素は、私に言わせれば、どうでもいい枝葉末節だ。
そのような反論をしたが、取り合ってもらえなかった。
このような口出しで記事の質が高まるわけはなく、上層部の方の自己満足にしか、なっていない。権力というものは刃物と同じで、握ると、振るいたくなるものなのだろう。
理由②「役職定年」廃止で、職責を負わされたまま給料が下がることになった
2点目の理由は、「役職定年」制度が昨年春に廃止されたことだ。
弊社では、定年(60歳)の前に、役職定年(55歳)という節目がある(その年齢に達した直後の3月か、9月がその時期となる)。
以前の制度では、役職定年に達すると、管理職からは解放され、給料が7割に減る。
そして、定年に達すると、だいたい引き留められて再雇用され(もちろん、再雇用を断って退職する方もおられる)、補助的な職務を担い、給料はさらに7割に減る(つまり役職定年前と比べると、0.7×0.7で、5割の水準)という仕組みだった。
新たな制度では、役職定年は廃止されたが、給料が7割になるルールは残っている。
つまり、引き続き管理職の職責を負わされるのに、給料は減るということだ。
これは、さすがに嫌だ。
以前の制度では、役職定年を迎えたり、定年後に再雇用されたりした先輩方は、給料は下がるけども、職責が軽くなっていた。
もちろん、組織の一員なので、指示に従ってする仕事もあるのだけども、それぞれライフワークと言えるような取材テーマや得意分野を持っておられ、フリーライターに近い働き方をしておられ、それが許容されていた。
これが一番うらやましかった。私も、そうなりたいと思っていた。
新たな制度では、フリーライターのような働き方は、おそらく許されない。
弊社では、管理職は、最底辺の奴隷のような存在だからだ(私たちの世代が下っ端の時代は、管理職は、神のような絶対者だった。これは時代のあやだとしか、言いようがない)。
定年を迎えたら、ようやく管理職からは解放されるとしても、そこまで気持ちが持たないだろう。
ちなみに、私は来年秋に、いわゆる役職定年の節目を迎える。昨年から、この節目を強く意識するようになった。
理由③私が書いたコラムが私の財産にならない
3点目の理由は、私が新聞に書いたコラムが、私の財産にならないことだ。
私は、特ダネを連発するタイプの記者ではないし、大型の連載企画を展開するタイプの記者でもない。
ニュースの解説記事やコラムが得意なタイプで、そこに私の持ち味があると思う。
弊社では、新聞の1面コラムは、専任の論説委員のほか、兼務で論説委員が付いた管理職が書いている。
私も、2014年秋から21年秋まで兼務の論説委員として、1面コラムを月2回程度のペースで合計150本くらい書いてきた。
私の場合、取材に基づく行政ネタなど硬派なもののほかに、食文化や科学、芸術など趣味の内容の柔らかいものを好んで書いてきた。
先輩から「1面コラムらしくない」とお叱りを受けたこともあるが、取材相手や同業他社の方に「あなたのコラムは面白い」と言っていただいたこともある。
また、音楽好きの先輩が音楽に関するコラムの連載コーナーをつくったのに感動して参加し、書かせてもらっていたこともある。
私は、50本くらい書いただろうか。
昨年秋、私が書いてきた1面コラムや音楽コラムをそれぞれ電子書籍にまとめて出版したいなと、ふと思い立った。
会社に相談したところ、記事1本につき3千円の著作権使用料を会社に払わないといけないと知った。
「○○新聞の記者です」と会社の看板を使って取材したニュース記事の著作権が会社にあることに、異論はない。
ただ、私が考えて書いたコラムは、私にも少しは権利が認められてもいいのではないか。
第三者が2次利用する時に会社が著作権使用料を取るのに、異論はない。
ただ、執筆者である私が2次利用する時には、タダで使わせてくれてもいいのではないかというのが、私の考えだ。
1面コラムは取材で得た情報で書いたものが含まれるとしても、少なくとも、音楽コラムは取材して得た情報は含まれておらず、私が考えて書いたものだ。
そのように言うと、「社員が業務として書いたものだから、会社に著作権があり、著作権使用料が必要」との答え。
この点、会社はちょっと、ずるい。
音楽コラムは、その日の業務がすんでから夜中に書いていた。
当初、その分を残業代として申請したら、「これは趣味でやっていることだろう。業務ではないから残業は認められない」と言われ、残業代は付かなかった。
その経緯を説明すると、「会社が書く場を与えてやった。だから、会社に著作権があり、著作権使用料が必要」との答え。
これには、本当にがっかりした。
親しい同僚には、「裁判に持ち込んだら、勝つんじゃないか」と言われたが、そんな面倒なことまでしたくない。
結局、電子書籍の出版は諦めた。
この新聞にコラムを書いても、会社の財産になるだけで、私には何も残らないので、だったら、私個人のメディアでコラムを書いて、私の財産として残したほうがいい、と考えたのが、このブログを開設した一番の動機だ。
新聞社の発信力には到底及ばないとしても。