かつて、私が新聞記者になりたいと言うと、母に「他人を追い回して嫌われる仕事をするのか」と言われたことを思い出す。
政治家や芸能人への出待ち、ぶら下がり、囲みといった取材手法、相手が車に乗り込むまで追い回す記者の姿をテレビのワイドショーで見て、それが新聞記者のイメージになっているようだ。
「他人を追い回す仕事」というのは、あながち間違いではない。
不祥事や水面下の話など相手が話したくないことを聞き出そうとすることもあった。
煙たがられているとは思うが、こちらは広く知らせるべき事柄だと思っているから、悪いとは思わなかった。
くたびれて帰宅した捜査幹部の自宅を訪ねる「夜回り」もした。
だいたい、「家に来るなと言っとるだろうが!」と怒鳴られるか、居留守を使われる。
お疲れのところ、申し訳ないという気持ちが少しはあったし、こっちも、へこんだ。
事件事故で家族が亡くなり悲しむ遺族のところに行って、故人の顔写真を複写させてもらい、故人の人となりを聞かせてもらおうとすることもあった。
だいたい、叱られて、追い払われる。
これは本当に心苦しかった。
個々の具体的な仕事を見ると、嫌われても仕方ないものはあるが、トータルで考えると、私たち新聞記者の仕事は、世の中の役に立っている、と思って、やってきた。
「役に立っている」と今でも、思いたいが、それがだんだん、怪しくなってきた。
嫌われているというより、新聞そのものが世の中に必要とされなくなってきたからだ。
<個人の情報発信が容易で、働き方改革が求められる時代>
おそらく弊社に限らないと思うが、、、
新聞の販売部数は人口減少につれて、じわじわと減っている。
広告売り上げは私が入社した30年くらい前と比べると激減した。
新聞を読まない若い世代が増えており、熱心な読者は、だいたい、ご高齢の方。
私の長女は、社会人になり自活しているが、新聞を購読していない。
世の中の動きはネットニュースを見て知る程度で十分で、新聞はなくても困らないという。
新聞記者の子どもからして、これだ。
ご高齢の方も、目が衰えて、読めなくなり、購読を断念する例がある。
数年前の赴任地では、弊社の支局に、わざわざ訪ねてきてくださり、「年を取ってもう読めないので、やめたい。本当は読みたいので、申し訳ない」と言ってくださった方がおられた。
そんな状態になるまで弊紙を読んでくださり、本当にありがたいことだ。
義母(妻の母)は、目が衰えて新聞の字が読めなくなっても「頑張って読む」と言って、購読してくれていた。
さすがに、それは申し訳ないので、こちらから何度もお願いして、やめてもらった。
新聞産業の将来性のなさは、新入社員を募集しても、応募がなかなかないという実態に表れている。
弊社の場合、入社しても数年で辞める例が増えてきたので、昔と比べて新規採用者数は増えているが、応募者数は減っている。
新規採用者数に対する応募者の割合、いわば、倍率は、近年だと、5~6倍くらい。私たち団塊ジュニア世代の頃は25~30倍くらいだった。
時代の流れで、新聞記者という職の魅力が薄れたとしか、言いようがない。
昔と比べて個人で情報発信することが容易になり、ブロガーとか、ユーチューバーといった選択肢も生まれたことは、無縁ではないだろう。
労働実態が、私生活を重視する現在の若者のニーズに合わないことも新聞社の不人気に拍車をかける。
新聞社、少なくとも、私がよく知る編集部門は「働き方改革」とは相性が悪い。
総務部門が慌てて「休みは、ちゃんと取れるし、残業はあまりない」と言って、応募者を集めようとするが、現実が伴わないから、若い社員がどんどん辞める。
「新聞記者の業務内容を考えたら、休みがちゃんと取れて、残業があまりないなんて、あるわけないだろう」と私は思うが、そもそも、応募動機や仕事への意識が昔と今では違う。
これも、時代の流れだとしか言いようがない。
若い後輩に「なぜ、この会社に?」と聞くと、「名前をよく知られた企業だから」という答えが返ってくることが多い。
私たちの世代だと「記者になりたいから」というのが圧倒的多数だった。
ぜひとも記者がやりたいわけではない若手でも、記者になることはある。
そうすると、事件事故が発生して夜にデスクや中堅クラスの記者から呼び出しを受けたりする。
そうすると、人によっては、その電話がストレスで、心の病になったり、辞めたりする。
10年くらい前には、そういう状況になってきていたと思う。
まずいと思った上の方々から「若い記者に休日、夜間は電話するな」という通達が発せられ、デスクだった私が警察に電話取材して記事を書くというような事態も起きた。
若い記者を休ませろ、残業をさせるなと、管理職(デスクとか、支局長とか)への締め付けがどんどん強くなり、その結果、しわ寄せが管理職にきている。
新規採用への応募者数の少なさを何とかしようと、近年は、初任給の引き上げが何度か行われた。
初任給を引き上げる原資は、私たち管理職の世代の給料を圧迫する形で生み出されている。
これらの結果、管理職が悲惨なことになってきており、それを見た中堅記者の世代が「あんな風になりたくない」と将来を悲観して、辞めていくようになった。
<新聞記者の仕事を面白いと思えるかどうか>
私は、休日、夜間の呼び出しを嫌がる若手記者を「責任感がない」などと言うつもりはない。
「責任感」などという言葉で片付けたら、会社経営者の思うつぼだ。
実際、上の方々は、管理職に過度な負担を押しつけておいて「お前たちの世代は、責任感があるからなあ」と変な持ち上げ方をする。
だまされてはいけない。
こんな言葉に喜ぶようでは、いいように飼い慣らされ、無自覚のまま奴隷化、家畜化されてしまう。
たしかに、私たち、バブル期に青春時代を送った世代は、「24時間、戦~えますか。ビジネスマ~ン、ビジネスマ~ン」というドリンク剤のテレビCMのメッセージ等を刷り込まれて育ってきた。
もともと、体罰が当たり前の時代に、人口が多い世代だということもあって、学校で家畜のように扱われて育ってきたので、「働くとはそういうことか」と愚直に受け止めてしまっている面もある。
私は(入社後、内勤職場「整理部」で数年間過ごしたので)記者の経験がまだ浅かった30代前半の頃に、ある出先(支局)に異動になった。
私の感覚からすると、やる気のない上司や先輩が多い、吹きだまりみたいな支局で、よどんだ空気が嫌だった。そのせいか、比較的下っ端の私が、メインの業務を担当することになり、これは、うれしかった。
結果としては、ここで過ごした数年間で、私は大きく成長できたと思う。
例えば、自民党県連の選対会議だとか、取材・出稿が必要と思われる案件が休日や夜間にある時、私が「僕が行きます」と言うと、上司は「いらない。行かなくていい」と言う。「これはいると思いますよ」と反論すると、「お前が休みを使って趣味で行くならいい。出番にもしないし、残業扱いにもしない」と言う。
だから、この支局で過ごした間は、表向きはともかく実際には、ほぼ休めなかったし、ただ働きがやたら多かった。
ほかの先輩の領域にも(本人に断ったうえで)どんどん踏み込んで何でもやったので、結果としては、自分の力が付いたと思う。
これは「責任感」ではなく、「積極性」だと、私は思う。
会社のためにやったわけではなく、自分が成長したいから、やった。
たしかに、私たちの愚直世代の感覚からすると、若手記者の言動に違和感を覚えることもある。
例えば、後輩の若手記者が、土日曜に出番の私(支局長)に、「土日にこんなのがあります」と言って、この若手記者の担当領域に属する取材案件のペーパーを渡してくる。
内容を考えると、取材が必要な案件だ。
「お前の担当領域なんだから、休みを返上して、お前がやれよ」とは、私は思わない。
どうぞ、休んでもらって結構。
ただ、「これ、取材しないといけない案件だと思うんですけど、僕は用事があって休みたいので、お願いしていいですか。すいません」みたいな一言があると(内心は、すいませんという気持ちがないとしても)、こっちの気持ちも違うのになとは思う。
こういう若手記者に対し「無責任だ」とは、私は思わない。
ただ、「行ってみたい」とか「面白そう」といった気持ちにならないのかなとは思う。
新聞記者は、いろんなところに行けて、いろんな人と話せて、時には自分の感想や意見を織り交ぜて記事を書き、落ちぶれたとはいえ今も一定の影響力は持つ新聞というメディアで発表できる。
私は、こんなに楽しい仕事はほかにないと思う。私にとって天職だと思う。
だから、不眠不休でも、あまり苦にならない。
もちろん、気が進まない取材もある。
けれども、「もしかしたら、面白いことがあるかもしれない」と気を取り直して行くと、意外に面白かったりもする。
そうすると、新聞記者の仕事の面白さを若い世代にどう伝えるかが、管理職の役目なのだろう。
私と同じように「記者になりたくて入った」というような若手は、ほっといても、そうなる。
「名前をよく知られた企業だから」という動機で入ってきた若手への対処は、工夫がいる。
まずは、ほめること。これは実際に、心がけている。
それと、私は、解説やコラムのような記者個人の考えを打ち出す記事を積極的に書くよう、若手記者に推奨している。
「君の考えを世に問うてくれ」とか、「君ならではの視点を打ち出してくれ」と言って。
これができたら、満足度が高いはずだ。
ただ、例示したような土日曜のやり取りが発生するということは、私の導きが、まだまだ至らないということなのだろう。
<ついでに、「情報」に関する私の考えも述べてみる>
情報を得ることが容易ではなかった昔は、情報そのものの価値が高かったと思う。
今のように、ネットで何でも調べられ、官公庁や企業も情報開示に熱心になると、情報を得て終わりではなく、いかに付加価値を高められるかが問われる。
得た情報から、何を考えるか、何を生み出すかが大事だと思う。
これは、NIE(教育に新聞を)事業で、中学校や高校に派遣されて出前授業をする時にも、生徒たちに伝えることだ。
後輩の若手記者に話す時は、例え話をする。
普通のニュースが100円の商品、スクープが1000円の商品だとする。
スクープを仕入れて売ったほうがもうかるけども、スクープは簡単には仕入れられない。
だったら、普通のニュースに付加価値を付けるという方法もある。
普通のニュースに付加価値を付けて200円で売る能力が身に付くと、能力はずっと使えるから、もし500円の商品を仕入れられたら、1000円で売れる。
それって、スクープと同じ値段だよね───というような話をする。
私は、スクープよりも付加価値が得意なタイプ。
同業他社の方にも「ニュースを膨らませるのがうまいね」と言われるし、自分でもそう思う。
例え話のような計算通りになるかどうかはともかく、考え方としては、悪くないはず。
解説やコラムの充実は、新聞社の生き残り策のひとつでもあると思うけど、、、楽観しすぎだろうか。
<余談・高校の進路相談会でも新聞社は不人気だった>
弊社くらいかもしれないが、新聞社は、組織として、かなり末期的な状態になってきていると思う。
そのことを指摘しても、上の方々は従業員の言うことに聞く耳を持たないので、社外の目を使わないといけないかなとも思う。
数年前、当時の赴任先の支局に、地元の高校から生徒の進路相談会に出てほしいとの要請があり、一応、社内的な了解を得た上で出かけた。
弊社を含め、15社・団体がそれぞれブースを設けて待機し、生徒250人程度が、第1部から第3部まで、各30分間で、希望のブースを訪ねて、仕事の内容など話を聞くという方式だった(つまり、生徒1人が3カ所まで話を聞きに行ける)。
資料の準備の都合があるので、学校が事前に生徒の希望を聞いて、その結果を各企業・団体に教えてくれたのだが、その一覧を見て、笑った。
弊社は希望者数が最少。
第1部の希望者はゼロ、第2部、第3部はともに4人ずつで、計8人の来場だった。
いかに、新聞社の人気がないか、よくわかった。
その次に少ない第14位が地元の県警で計17人、第13位が地元の消防で計21人だったから、弊社の少なさは圧倒的だ。
ちなみに、第1位は都会地の警備会社で計90人、第2位は都会地の石油販売会社で計80人、第3位は地元の医療福祉系専門学校で計66人だった。
弊社のブースは少人数なので、車座みたいな感じで、ざっくばらんに話ができた。
「なぜ、興味を持ってくれたの?」と生徒に尋ねると、「名前をよく知られた企業だから」が多かった。
「新聞というより、出版に興味がある」との答えもあった。
「新聞記者に興味がある」という生徒はいなかった。
これが現実。
新聞社は、先人が長い歴史の間に築いたブランド力にすがって生き延びているだけなんだなと、あらためて感じた。
この進路相談会の結果は、弊社の総務部門に報告した。
弊社のブースの来場者が最少だったことはもちろん、伝えた。
どれだけ、上の方々に響いたかは、わからない。
今にして思えば、この進路相談会のことを記事にしておけば、よかった。
短い記事ででも。
弊社のブースの来場者が最少だったことに、さりげなく触れて。
そうして、読者にさらせば、上の方々は本気で受け止めたかもしれない。