人は1人ではなく、まわりの人に支えられて生きている───
自信家でメンタルが強靱な私も、これは、認めざるを得ない。
先日の記事「新聞社のデスクの仕事」で、デスクのやりがいは、才能を秘めた若い記者と出会い、成長を手助けすることだと書いた。
「成長を手助け」とは、なんか偉そうな感じだけど、こんなことを意識するのは、私自身が若い頃、先輩記者Aさんのおかげで救われたからだ。
私は、自分なりの考え方を大事にしていて、思ったことをはっきりと言う性分。
相手が目上だろうが、目下だろうが、同じ目線で接するという性分でもある。
上司や先輩が言うことでも、おかしいと思ったら口答えするので、若い頃から、目上の方々には「生意気だ」と言われ、好かれないほうだ。
逆に、部下や後輩が言うことでも、なるほどと思えば取り入れる。頭を下げて教えを請うことにも抵抗はない。だから、目下の方々には「腰が低い」と思われているようだ。
私は、整理部勤務を経て、編集部門の記者になってから、少なくとも5年くらいは、やたら「ダメ記者」扱いされ、冷遇された。
私が記者になったのと同じタイミングで入社してきた後輩記者Bは、どんどんチャンスを与えられ、重要な仕事を任されるのに、私は新人がやるような雑用をやらされた。
例えば、私もBも警察担当だったけど、事件事故が起きていないか時々、警察や消防等に電話して聞く「警電」とか、火事現場の取材、裁判の日程チェックといった地味な仕事は全部私。
Bは、先輩記者とともに大きな事件の取材とか、目立つ仕事を任されていた。
上司に「なぜですか」と聞くと、「お前には無理だ」と言われて、終わりだった。
その後、私もBも同じタイミングで異動になり、同じ支局に赴いたため、そこでも同様な状況が続いた。通算5年くらい、そうだった。
Bは職場の上司や先輩はもちろん、社長ら上層部にも気に入られ、可愛がられていた。私は、そうではなかった。その違いだと思う。
詳しくは書けないが、私が「〇〇〇出身者」ではないことも冷遇の理由。
私は、弊社で花形とされる分野を一度も担当したことがない。
若い頃、上司や先輩に「なぜですか」と何度か聞いた。「〇〇〇出身者じゃないから、ダメだ」と言われた。
これは不当な差別だと思うし、私のキャリア形成に大きく響いた。
さすがに今のご時世では、この差別意識はなくなったようだが、私にとっては今さら、取り戻しようもない損失だ。
私にとっては幸いなことに、記者になって6年目に赴いた支局が、弊社的には重要度の低い拠点で、上層部の方々が気に留めておらず、失礼ながら、あまり積極的ではない上司、先輩方が配置されている支局だった。
このため、下っ端に近い私が重要な分野を担当することになった。断りをした上で先輩の担当分野にも入り込み、普通の記者の2倍くらいは働いたと思う。
自分でも、どんどん力が付いていくのがわかり、楽しかった。そうして2年、3年と経つうちに、社内で「使える記者だ」と見てもらえるようになった。
私が年齢や社歴を重ねるにつれ、私より目上の方々が減ったということも、影響しているだろう。
私は、怒りや悔しさをバネにできる性格なので、冷遇のおかげで成長できたとも思う。
だけども、実は、それだけではない。
いかにメンタルが強い私でも、嫌になることは多々あった。
同業他社に移ろうかと考えたこともあった。
心の支えになったのが、記者になった当初から、ずっと、私を気にかけてくださった先輩Aさんの励ましだった。
私は、記者になって最初の2年くらい、通年の大型連載企画のスタッフを兼務しており、そこで、ご一緒させてもらったのが中堅記者のAさん。
Aさんは、じっくりと読ませる記事、とりわけ、人間ドラマを得意としておられた。
大げさな表現や難しい表現は避けて、抑え気味のシンプルな言葉を選び、短い文章を重ねて原稿を組み立てておられ、絡みついてくるような味わい深さがあった。
根掘り葉掘り取材したうえで、細かく情景描写を書き込むかと思えば、サラッと簡単に流すところもあり、メリハリの付け方がうまかった。
印象深いのは、コメントの使い方。
関係者の心情を掘り下げて聞いたうえで、象徴的な短い一言を選んで、かぎかっこの中に入れ、そのコメントが生きるように地の文を組み立てておられた。
私の取材の仕方や原稿の書き方は、Aさんの影響が大きい。
仕事の手本を見せてくださるだけでなく、「君は面白い記者だな」と私なりの着眼点やこだわりをたびたび、褒めてくださった。
駆け出しの頃の私に、そのような声をかけてくれる先輩は、Aさんくらいだった。
おかげで、私は「私には私なりの良いところがある」と考えて過ごすことができた。
私が異動で出先を渡り歩き、中堅記者になって本社に戻った時、デスクの1人になっておられたAさんとまた、ご一緒させてもらった。
私は、直属の上司(デスク)とウマが合わず、毎日ケンカしていた。
この上司は、えこひいきが激しい方だったので、私が精魂込めた力作の原稿が使ってもらえずに「残稿フォルダ」に放置されることがしばしばあった。そのままボツにされたこともあった。
Aさんが「この原稿は面白い。自分がデスクしてもいいか」と、私の上司(Aさんより先輩)に断りをして、私の原稿を救済してくださったこともあった。
Aさんは、温厚で、誰にも優しく、Aさんを慕っていた同僚は少なくない。
私にとっては、最も恩義を感じる先輩だ。
(Aさんは、私の記者人生の前半を支えてくださった方。以前の記事「記事を書く速さ」で書いた「最も敬愛する先輩」は、私の記者人生の後半を導いてくださった方)。
Aさんが定年退職される時に、「Aさんのおかげで、今の私がある」という感謝の気持ちをメールに書いて送った。
Aさんは、「わしは、たいしたことはしてないのに、こんなに後輩に影響を与えたかと思って、涙が出た」という返信をくださった。
私も涙が出そうになった。
Aさんにしてもらったことを、後輩に返すことが、Aさんへの恩返しだと考えている。
