(上記のAmazon商品は本文とは直接関係ありません)
美術や音楽、文学を味わえない人は、心のないロボットみたいなものだと思う。漫画やアニメ、映画、ドラマ等を含めて「芸術・物語」と考えてもいい。
人によって程度の差はあるが、そういうタイプの人は少なくない。
このタイプの人と雑談しても、仕事の話しか出てこない。会食や飲み会でも、仕事の話しか出てこない。
このタイプの人は、自分なりのものの見方がないことが多い。
世の中で正しいとされる見方、有識者の見方をそのまま身に付けているだけ。
だから、このタイプの人が書いた記事は、もっともらしいことが書いてはあるけど、書いた記者の顔が全く見えない。
私の感じ方で言うと、薄っぺらな記事だ。
「美術や音楽、文学は嫌いですか」と聞いたら、「好きだ」と答えるかもしれないけど、たぶん、知識、情報として摂取しているだけで、味わってはいないと思う。
世の中、いろんな人がいて当然だから、このタイプの人を否定するつもりはない。
問題なのは、このタイプの人は、美術や音楽、文学を味わうといった「寄り道」をしない世渡り力の高い人なので、組織の上位に位置してしまい、自分の価値観を下に無理強いしてくるケースが少なくないことだ。
たとえば、開館して間もない美術館に関するレポート記事を書いた時のこと。
私は、この美術館が開館した時に、こんな面白い作品があって、こんなことを考えさせられたというレビュー記事を書いた。
この記事については、特に何も言われなかった。
デジタル版のみの記事だったので、目に留まらなかったのかもしれない。
開館後のレポート記事では、どんなジャンルに力を入れ、どのような美術館を目指しているのか、美術鑑賞の良さとは何か、どう来館者に伝えようとしているかを書いた。
そうしたら、上の方から「年間入館者数の目標を達成するための集客策をもっと書き込め」というオーダーが来た。
記事には、出足は好調だということは盛り込んでいたが、まだ開館して間もないので、集客策はサラッと触れた程度だった。
私は、ご指摘の「施設運営」の視点も必要なことなので、おいおい、書いていこうとは思うが、今は、この美術館が何を目指しているのかと、地域に美術鑑賞の魅力が根付くかが大事だと思うので、「美術」の視点に絞った旨、説明した。
行数の制約があるし、何でもかんでも盛り込んだら、散漫になってしまうとも反論した。
私の意見は却下された。
指摘の要素を盛り込まないと載せないと言われた。
この記事の顛末がどうなったかは、以前のブログ記事「新聞社の『整理部』とは」の最後の余談のところに書いた通り。
「ツルの一声」に従ったように見せかけて逆らう豪胆なデスクがいたおかげで、この記事は、私の思惑通りの内容で載った。
私と豪胆デスクは後日お叱りを受けたが、載ってしまえば、こちらのものだ。
美術を例に、思うところを少し述べてみる。
美術は、作品を見て「きれいだな」と感じて終わりではない。
いや、「きれいだな」で終わっても悪くはないのだけど、作品を見て、いろいろなことを想像したり、考えたりすることが大事だと思う。
「何か想像、思索しないと」と肩肘張らなくてもいい。
ちゃんとした美術作品は、見る人に想像させ、考えさせる力を持っている。
もちろん、このように作品をじっくりと味わうには時間と心の余裕が必要だ。
ちょっと日常から離れて立ち止まるというところに意味がある。
そうして、心を解き放って美術作品を見ながら、いろいろと考えていると、仕事に役立つアイデアがふと、ひらめくことがある。生き方を考えさせられることもある。
「芸術が心を豊かにする」というのは、このことだと思う。
音楽とか、文学とかも同じだと思う。
そうして、自分なりのものの見方を育むことが、記事の深みにつながるというのが、私の考えだ。
ちょっとした展覧会や演奏会の記事でも、ものの見方を磨く訓練になるという話は、また、あらためてブログ記事で書きたい。
最後に、もうひとつ。
囲碁に関する研究の記事をデスクした時の経験を紹介したい。
詳しくは言えないが、歴史小説の題材にもなるような有名な対局の謎に迫る研究だった。
まあ、有名と言っても、囲碁ファンや歴史ファンしか知らない対局だと思う。
誰もが知る歴史上の人物と絡んだ対局なので、私は、多くの読者を楽しませられる記事だと思った。
奇しくも、前述の「豪胆デスク」が記者の時に書き、私がデスクを担当した。
同僚デスクの間では「囲碁のマニアックな記事だから、文化面にそっと載せればいいんじゃないか」との意見もあった。
私は、「これは、すごく面白い話だから、多くの読者の目に留まる社会面に載せたい」と主張。
デスク会で協議することになった。
デスク会では、上の方から「この研究は、何の役に立つのか」と聞かれた。
不穏な空気が漂った。
もし「役には立たないけど、面白いじゃないですか」と答えたら、「載せるな」と言われかねない空気だった。
たしかに、作物の収量を増やす栽培方法のように直接、世の中の活動に役立つ実用的な研究ではない。
だけども「人間の知的好奇心を満たす研究」である旨、私は力説した。
「宇宙や生命の起源の研究と同じ」とも付け加えた。
上の方は、あきれてしまったのか。
ふに落ちない様子だったが「まあ、いいわ」ということになった。
社会面ではなく、ローカル面に格下げされたが、目立つ扱いになり、ホッとした。
「知的好奇心を満たす」というのは、とっさに考えた説明だったけども、大事な視点だと思う。
宇宙の起源を解き明かす研究とか、生命の起源を解き明かす研究だって、それを知って、何か世の中の活動に影響があるかと言われたら、ないと思う。
でも、「本当はどうなのか知りたい」という知的好奇心に答えるだけで、十分に価値がある研究だと思う。
アニメにもなった漫画「チ。─地球の運動について─」(魚豊)では、登場人物たちが命を懸けてまで、真理を知ろう、みなに知らしめようと奮闘していて、そのドラマに胸が熱くなる。
