(上記のAmazon商品は本文と直接関係ありません)
二十数年前に赴任した地方都市X市が思い出深い。
土地柄というか、情に厚くて、おおらかで、気さくな市民性が好きだ。
よそ者の私でも受け入れられるという経験は、他の赴任地でもあった。
しかし、それは、いてもいいよ、くらいの感じ。
X市の場合は、地域の一員として溶け込めるというか、組み込まれていく。
たとえば、取材で親しくなった地域の夏祭りの計画を立てる会合の場にいると、「〇〇君(私のこと)、かき氷の係、頼むわ」と任務を授かるという具合。
私はその場に記者として居合わせたと思うし、その地域の住民でもなかったが、いる時点でメンバーとして扱われる感じだ。
別の夏祭りの取材に出かけた時は、以前に取材でお世話になった方が食べ物の屋台を出しておられ、「おーい! 〇〇くーん!」と声をかけられた。
売り物をくれるのかなと思って、行ってみたら、「買って!」。
当然、個人差はあるわけだけども、総じて、X市民は、割とはっきりと物を言う。
お愛想やお世辞はない。
記者の立場を離れて、ささやかな地域イベントの企画運営も体験できた。
同業他社の記者仲間と2人で企画運営し、地域のみなさんがバックアップしてくださった。
集客の工夫が足らなくて、ほぼ参加者はおらず、それは残念だけど、良い思い出だ。
情に厚いというのは、たとえば、中国のある貧しい田舎に小学校を作ろうという市民運動が一例。
その田舎の実態を知った市民有志の方々が「力になりたい」と義侠心に駆られ、建設費を集める市民募金が始まった。
ここまでは、そんなに珍しい話ではないかもしれない。
私が驚いたのは、募金が目標額に達するかどうか、見通せていない段階で、工事を発注したこと。
結果的には募金が目標額に全然届かず、運動の中心メンバーの方々が自腹を切ったと聞いた。
「義を見てせざるは勇なきなり」とは、まさに、このようなことだと思う。
漫画にたとえれば、「熱笑!花沢高校」「暴力大将」(どおくまん)、「魁!男塾」(宮下あきら)のような熱い漢(おとこ)たちがひしめくまちという感じだ。
私にとっては、とても居心地が良いまちだった。
これまでに住んだまちの中で、一番好きだ。
2年間で転勤になったけど、もっと、いたかった。
まちを好きになるかどうかは、そこの人を好きになるかどうかだと、あらためて思う。
可愛がってくださった取材相手は多いけども、そのうち、お二方の思い出を少し書いてみたい。
地方議員のAさんは、すごくエネルギッシュな方。
議員の仕事と別に本業があり、さらに、まちづくりの市民活動も熱心にしておられた。
Aさんのお宅には週一くらいの感じで、お邪魔した。
お忙しい方なので、お宅に伺うのは深夜(23時とか24時)。
しかも、直前に電話して、今から行っていいですか?という感じ。
私は単身赴任で、夜の1食しか食べない生活だったので、私が行くと、Aさんの奥様が食事を用意してくださる。
(ちなみに、X市は、自宅で客をもてなす習慣が根強くあり、外食産業が発達していないのは、そのためだと聞く。親しい市職員の方のお宅に招かれた時は、近くの海で自ら捕ってこられたという海鮮の料理をいただいた)。
この食事をいただきながら、行政や政界のこと、まちづくりのこと等、話し込む。
3時、4時くらいまで。
Aさんは本業の勤めがあり、朝は普通の時間に起きないといけないのに。
しかも、そんな時間に、私ごときの見送りに、Aさんと奥様が玄関まで出てくださる。
本当にすごい方で、いろんなことを教わった。
文化系のまちづくり活動をしておられるBさんも、エネルギッシュな方。
本業は学校の先生だった。
歯に衣着せぬ物言いが痛快で、お会いすると、何時間も話し込んでしまう。
私がX市を去ってからも時々(数年に1回くらい)、連絡をくださるのがありがたい。
その時の私の赴任地の近くに用事でおいでになる時には声をかけてくださり、一緒に飲みに行く。
私は、薄情な性格で、転勤したら、だいたい、前任地の方との縁は切れていく。
先方が「元気か? あんたのことを思い出してな」的な連絡をくださることはあるが、こちらからは業務上の用件がない限り、連絡しないので、だんだん疎遠になっていく。
だけども、Bさんは、ずっと、連絡をくださる。
私は、その都度、ご無沙汰を詫びるのだけども、Bさんは、そのようなことは気にしておられない様子。
あの頃のような感じで、情熱的に語り始められる。
ついでに言うと、前述のAさんからは、今も毎年、年賀状をいただく。
私は一度も送ったことがない。
最初にもらった時に返事を出しそびれて、まあ、いいか、と思って、そのまま。
X市を去ってから数年後に、X市で大きな事件があり、本社の遊軍記者だった私は、土地勘があるだろうということで、応援でしばらくX市に出張。
情報を求めてAさんにも会いに行った。
ご無沙汰を詫びると、「おまえ、自分の用事がある時しか連絡してこんなあ」と笑いながら、取材に応じてくださった。
その後も年賀状は届いているので、縁は切られていないと思う。
過去記事「子どもの頃の同級生」の中で書いた通り、私は、親友や弟とも数年に1回くらいしか顔を合わせない人間。
Aさんにしろ、Bさんにしろ、そのような緩やかな付き合いを許容してくださる。
「いんだよ、細けえことは」という松田鏡二(平松伸二の漫画「ブラック・エンジェルズ」)の名セリフが聞こえてきそう。
X市の懐の深さが懐かしくなった。
