毎年、春と秋は褒章と叙勲の受章者が発表される。
受章者の名簿の処理も、記者の仕事だ。
事前に解禁付きで資料提供があるので、その資料の名簿を見て、ノートパソコンで、ひたすら打ち込んでいく。
知っている人がいないか、探すのも面白いのだけども、名簿処理をする時に、いつも感じるのは、まず、世の中にはいろんな名前があるな、ということ。
そして、名前の漢字で、旧字等の異体字は、常用漢字に置き換えて打ち込むので、「本人は、この漢字に思い入れがあるかもしれないのに、申し訳ないな」ということ。
人名に限らず、新聞では、常用漢字を使うのが原則。
例外は、有名人で旧字等での表記が定着している場合、あるいは、本人の強い希望があった場合だ。
取材で本人と接する時は、相手の名前に旧字等があれば、常用漢字に置き換えていいか、尋ねて了解を取る。
たとえば、、、
渡邊、渡邉→渡辺
濱田、濵田→浜田
齋藤→斎藤
澤田→沢田
、、、といった具合。
「いいですよ」と言われることが多いが、たまに「いや、この字で」と言われる。
その場合は、本人の強い希望ありということで、旧字等を使う。
資料提供を受けた名簿を処理する時のように、本人と接しない場合は、新聞社の判断で、常用漢字に置き換えさせてもらっている。
同じ名簿処理でも、官公庁の春の定期人事の名簿は、県庁とか教職員とかだと、膨大な量になるので、テキストとかエクセルとかのデジタルデータでもらって処理することが多い。
データでもらった名簿を、新聞掲載の体裁に整える手間は必要だが、全部打ち込むより、作業の負担は遥かに軽くなる。
問題は、この際に、旧字等を常用漢字に置き換えるかどうか、だ。
原則に従うと、常用漢字に置き換えないといけないが、膨大な量の名簿から、旧字等を探しだし、置き換える手間はかなりのものだ。
また、データに手を入れれば入れるほど、打ち間違いといったミスが生じるリスクが増える。
どうするかは、記者の判断になるが、私は、データでもらう名簿は、手間とリスクを考え、旧字等を置き換えずに処理している。
弊社の場合、今では、同様な処理をする記者は少なくないと思う。
以前は、表記の間違い等をチェックする校閲部門や編集局のデスクから「旧字が直してない」と指摘されることがあったが、最近は、そのような指摘もないので、校閲やデスクも受け入れるようになったのだと思う。
このような対応で、悩ましいケースが生じることもある。
官公庁の人事の名簿では、県庁の部長級など一定基準の役職の方は、顔写真付きで掲載する。
この方の名前に旧字等がある場合、データでもらった名簿を旧字等のままにするなら、顔写真に添える名前も旧字等にするのか、という問題が浮上する。
私が以前、担当した名簿処理で、このようなケースがあった。
私は、名簿は旧字等のまま、写真に添える名前は常用漢字で打ち込めばいいのではないかと考えたが、デスクと相談の結果、どちらも旧字等ということになった。
データで名簿をもらうというようなことが考えられなかった昔は、このような悩みもなかったのだろう。
ある意味、時代の流れとも言える。
新聞産業は、いろんな面で、お客さんのことをあまり考えていない殿様商売の産業だと思うが、名前の漢字については、時代につれ、少しずつ、お客さん目線になってきたと思う。
名簿に限らず、記事全般で「原則、常用漢字」を以前ほど厳しく言われなくなったのが、その一例。
そして、お悔やみ欄で、旧字等の表記を許容するようになったことだ。
名前は、本人にとって、とても大切なものだから、本人が望む字で書かれるというのは、良い流れだと思う。
お悔やみ欄は、人事等の名簿とともに、新聞の中で人気が高く、よく読まれる記事だ。
私ども記者が魂を込めて書いた記事より、おそらく、多くの方に読まれていると思う。
このお悔やみ欄について、「旧字等、本来の漢字で載せてほしい」という読者からの要望が以前から多かったようだ。
そもそも、私が弊社に入社した頃(30年くらい前)は、お悔やみ欄は、故人の名前が呼び捨てで載っていた(少しでも文字数を少なくするため)。
いつからかは忘れたが、だいぶん前から、「さん付け」に変わった。
これも、読者の要望だったのだろう。
ちなみに、お悔やみ欄は、市町村役場からの提供資料を基に作られている。
市町村役場が、ご遺族や葬祭業者の方から死亡届を受け付ける時に「新聞お悔やみ欄掲載申し込み書」的なものを書いてもらい、毎日、新聞各社にファクスで送ってくれる。
新聞各社はそれを見て、お悔やみ欄を作っている。
つまり、新聞のお悔やみ欄には、市町村役場を通じて掲載を希望した方の情報が載っている。
ごくまれに、新聞社に直接、ご遺族等の関係者が「お悔やみ欄に載せてほしい」と電話してこられることがある。
申し訳ないけども、「市町村役場を通じて申し込んでください」と説明している。
直接申し込みを受け付けると、収拾がつかなくなるからだ(受け付け担当者を置かないと訳が分からなくなる)。
(なお、お悔やみ欄でなく、死亡広告の申し込みだったら、話は別。即刻、担当の広告部門につなぐ。死亡広告は有料サービスで、弊社の売り上げになるからだ)。
市町村役場から送られてくる申し込み書的なものは書式もバラバラで、手書きが多い。
この手書きに、悩まされる。
申し込み書的なものには、「このまま新聞各社に送るので、楷書で丁寧に書いてください」というお願いが書いてあるけども、実際には雑な字で書いてあることが多い。
雑な字でも、何という漢字かくらいは読み取れるので、以前のように、原則の常用漢字でお悔やみ欄を処理していた時代は、あんまり悩まなくても済んだ。
ところが弊社では今、お悔やみ欄は、旧字等があれば、そのまま表記というルール。
このため、「ここに横棒があるようにも見えるが、そうなのかどうか」とか、「この線は真っ直ぐなのか、曲がっているのか」とか、より正確に読み取らないといけなくなった。
たとえば、、、
「高」という漢字は、上のほうの「口」の部分がはしご状になった、異体字、いわゆる「はしご高」がある。
「西」という漢字は、真ん中の「ル」のような部分が、縦棒2本になった異体字がある。
「隆」という漢字は、「生」の上に横棒が1本入った異体字がある。
、、、といった具合。
申し込み書的なものには、記入したご遺族や葬祭業者の方の連絡先が書いてあるので、ファクスを見ても、どうしても、わからない時は、問い合わせる。
これは手間だが、仕方がない。
デジタル版として、ネットでの記事掲載もするようになった現在では、デジタル版限定で、お悔やみについて、さらに詳しい情報を載せるようになった。
具体的には、従来だと、死亡広告を出してもらった時に書いていた簡易版の死亡記事のような内容。肩書きや喪主の名前、通夜や葬儀の日程が書いてある。
人事異動の名簿でも、紙面に載せるのは今まで通り、管理職以上の方だけだが、デジタル版では、その下の方々の名簿も載せるようになった。
名前の漢字の問題とは別次元の話だが、お悔やみ欄や名簿類へのニーズの高さを表す事例だと思う。
新聞離れが進んでいるから、新聞社としても、サービスの充実で読者をつなぎ止めようと必死なわけだ。
名前の漢字の問題は現在、まだ、過渡期だ。
紙面では、名前の漢字を常用漢字に置き換えさせてもらった場合でも、その相手に掲載紙を送る時に封筒に書く宛名や、お礼メールを送る時の宛名は、相手が使っている旧字等で書いている。
ささやかではあるけど、せめて、そうして、相手の名前の漢字への敬意を表させてもらっている。
<余談1・私の名前について>
私は、旧字等でも、相手が使っている漢字をどんどん受け入れたらいいという考え方。
なぜなら、私自身が自分の名前に思い入れがあるからだ。
私は、自分の名字の漢字に、こだわりがある。
また、私の下の名前は、初対面の方には、まず、正しく読まれない。
もう少し詳しく書いてみる。
・名字について
私の名字は、漢字2文字。
このうち、1文字目に、私はこだわりがある。
画数はそんなに多くないし、難しい漢字ではないと思う。
ただ、常用漢字ではなく、普段の生活では、なじみが薄いと思う。
書いて見せたら、わかってもらえるけど、電話で話す時など、言葉では説明しにくい。
私の故郷・鳥取県のある行楽スポットの地名に使われる漢字なので、相手が鳥取県民なら、その地名を出すと、「ああ、あの漢字?」と、わかってもらえるけど、これは鳥取県民にしか通じない。
しかも、ややこしいことに、読みが同じで、形がよく似ていて画数が少ない別の漢字があり、こちらが常用漢字だ。
だから、この漢字で書かれることが時々ある。
じゃあ、私が普段使っている漢字は、その常用漢字の異体字(旧字等)かというと、そうでもない。
このふたつは、もともと、成り立ちの違う漢字だが、形が似ているせいか、ほぼ同じ意味で使われている。
まあ、この説明をしだすと、マニアックな話になるので、これまで。
そして、私にとっては、もっと、ややこしいことに、私の戸籍では、そのよく似た常用漢字が使われている。
そのことは、運転免許を取るために、自分の住民票を見るまで、知らなかった。
私は、子どもの頃から、両親や祖父母が普段使う漢字を使ってきたが、戸籍の漢字は違う漢字だったのだ。
戸籍の漢字が難しい旧字等で、普段は簡単な常用漢字を使うというケースは、珍しくないと思うが、私の場合は、その逆。
戸籍では常用漢字が使われていて、普段使う漢字は、成り立ちの違う、よく似た漢字。
私の先祖がなぜ、そんなややこしいことをしたのか、わからない。
だから、私の運転免許証は、戸籍の漢字が使われていて、私は気に食わない。
運転免許を初めて取る時に、窓口で、「子どもの頃から、この漢字を使っているんです」と力説したが、「戸籍の漢字と違うからダメです」と、あっさり、却下された。
だから、契約書とか、公式の文書を書く時は、戸籍の漢字を使って書くけども、印鑑は普段使う漢字のものだから、相手にいちいち事情を説明しないといけない。
これが面倒くさい。
妻は、結婚して仕方なしに使っている私の名字の漢字には全く思い入れがないので、戸籍の漢字を使っている。
長女にも、子どもの頃から、戸籍の漢字を使わせていた。
戸籍と違う漢字を普段使うと、私が経験したような面倒が起きるからだという。
たしかに、それは、一理ある。
同じ理由で、弟も、子どもができてから、戸籍の漢字を使うようになった。
ここまでは、まだ、いい。
弟に影響を受けたのか、私の両親が送ってくる年賀状に、戸籍の漢字で書いているのを見た時は、はあ?今さらですか?と驚いた。
いやいや、あんたたちが戸籍と違う漢字を使っていたから、私は面倒くさい思いをしたのだぞ、と突っ込みたくなったが、まあ、このお気楽さが私の両親の良いところだ。
現在、同じ名字の身内(私の家族、両親、弟の家族)で、戸籍と違う漢字を使っているのは、私だけ。
なんだか、私が変わり者みたいだ。
・下の名前について
私の下の名前は、読みだけ言えば、私の世代(団塊ジュニア世代)とか、それより上の世代では珍しくない、割と一般的な名前。
漢字は2文字とも、一般名詞にも人名にも使われ、珍しくない漢字。
どちらも、小学校で習う漢字だと思う。
ただ、漢字と読みの組み合わせが珍しい。
子どもの頃、初対面の方に名前を正しく読んでもらったことが一度もない。
この読みの名前は、別の漢字を使うのが一般的だ(しかも、その選択肢は多い)。
また、この漢字2文字を素直に音読みすると、人名としてあり得る読みになる。
このため、初対面の方には音読みされることが多かった。
社会人になってからは、名刺に振り仮名を付けているので、「この漢字で、こう読むんですか?」と、よく言われる。
私が考えたわけではないので、「らしいですよ」と答えるしかない。
漢字2文字のうち1文字目の漢字を、こう読むのは、そんなに珍しくない。
2文字目の漢字は、本当にこう読めるのか、疑問だ。
辞書で調べても、載っていない。
この漢字を私と同じように読む名前の方には出会ったことがない。
私は、このような名前なので、子どもの頃は、正しく読まれないのが嫌だった。
素直にこの漢字を音読みした名前でよかったのに、とも思っていた。
大人になってからは、この名前が気に入っている。
この漢字をこう読ませるのは珍しいので、まず、人に、興味を持ってもらいやすい。
そして、おそらく、この世に、同じ漢字で同じ読みの人は、ほかにいないから、独自性が高いという点も、誇らしいと思うようになった。
私の名前は、漢字も読みも父が考えた。
いろいろと調べて一生懸命考えたそうだ。
今では、良い名前を付けてもらった、と感謝している。
<余談2・長女の名前について>
長女の名前は、読みを妻が考え、それに当てはまる漢字を私が考えた。
世話になった産婦人科医は、生まれる前に男の子か、女の子かを教えない主義だった。
このため、私たち夫婦は、生まれるまで、わが子が男か女か、わからなかった。
妻は、妊娠中もおなかの中の赤ちゃんに名前で語りかけたいと言い、生まれる前に名前を決めることになった。
男か女か、わからないので、名前の読みは、男でも女でもいけるものを妻が考えた。
たとえばで言うと、「ひかる」とか「かおる」みたいな。
私は、字の形の良さ(私の好み)を重視して、読みに合う漢字を考えた。
正しく読んでもらえるということも重視した。
長女の名前は、誰でも読める。
私たち夫婦としては、上出来の名前を付けたと思うけど、実際に使った長女によると、「だいたい、男と間違われるのが、嫌だった」という。
読みは悪くないと思う。男にも女にもある。
漢字も、男でも女でも違和感のない漢字を選んだと思うが、、、
生まれて、女だと判明した時点で、女らしい漢字に変更したほうが良かったのだろうか。女偏のある漢字に変更するとか。
長女よ、ごめんなさい。
