
二十数年前の夏に弊社の主催事業で木下サーカスの公演を招いた時、駆け出し記者だった私が担当になり、開幕前の準備期間を含めて2カ月くらい取材に携わった。
子どもの頃、私の故郷・鳥取市にも巡業で来たようだけど、連れて行ってもらっていないので、サーカスを見るのは初めてだった。
記者生活の中でも思い出深い取材のひとつだ。
来年秋の引っ越しに向け、自宅の片付けを進めていると、当時もらった記念誌「木下サーカスの90年」(1992年)やパンフレットが出てきて、懐かしくなった。
主催事業だから、どんどん記事を書いて宣伝し、集客しないといけない。
毎日通い、舞台の演技はもちろん、舞台裏まで、いろいろと見せてもらい、連日のようにサーカスの記事を書いた。
猛獣ショーや空中ショーといった演目の紹介、練習に励む団員や現役を退いた動物といった舞台裏の紹介の連載記事は、計15本書いた。

連載の中で、一番印象に残っているのは、年老いて引退したラクダの「洋子」。
17歳の雌で、人間にたとえれば、おばあちゃん。
かつては子どもの客を背中に乗せて歩き、人気を集めたが、ゾウやキリンの登場で出番がなくなったという。
それでも、サーカス団の一員として、大切に飼われているのに、好感を抱いた。
年老いたせいなのか、ふたつのコブが元気なく、だらんと垂れ下がっていた。
一緒に行った写真専門の先輩記者が「おばあさんのオッパイだ」と言うから、オッパイに見えてきて、仕方なかった。
ライオン、トラ、ヒョウが可愛いポーズを決めたり、輪をくぐったりする猛獣ショーでは、調教師の話が印象に残った。
「1頭ごとに割り当てた台の上は、それぞれのテリトリー。いったん、台から降りると野生に戻る」という。
台から降りたライオンとトラを並べて伏せさせる芸は、一見地味だが、難度は最高。
「何かアクシデントが起きるかもしれないと、いつも緊張する」という。
猛獣には近寄らせてもらえなかった。危ないからだろう。

主催事業のお決まりの「あす開幕」「開幕」「入場者〇万人突破」「会期あとわずか」「感動のフィナーレ」といった記事はもちろんのこと。
「動物たちが到着」「ゾウが市街地を歩き、交通安全啓発に一役」「テント設営完了」といった開幕前の盛り上げ記事、「空中ブランコ体験とか、ゾウの飼育係体験の希望者募集」と「それぞれ選ばれた体験者の当日の様子」も書いた。
空中ブランコ体験は希望者の中から若い主婦が選ばれた。
高さ10メートルの足場からブランコをつかんで飛び出すまではできたけども、勢いが足らず、向こうからブランコで来る団員のほうにジャンプして、手を取ってもらう距離まで近づけなかった。
難しいから、素人には、できなくて当然。
主婦は「貴重な体験」と喜んでいた。
演目の合間に、ピエロが自信満々の様子で空中ブランコに挑戦し、失敗して落下防止ネットの上に落ちる余興もあるのだけど、もちろん、わざと失敗して笑いを取っている。
わざと失敗して落ちるという演技も、素人にはできないと思う。
私も公演の合間の時間帯に取材に行った時、空中ブランコの体験を勧められた。
高所恐怖症の私には無理なので、断った。
今思えば、どこまでできるか、体験してみれば、良かった。足場に上るだけでも。
ちなみに、私の妻は空中ブランコ体験に応募して落選していたから、「えーっ!いいな~。やれば良かったのに」と言っていた。
体験と言えば・・・
「アルゼンチン・ダンシングドラム」という演目では、ゴルフボールくらいの大きさの球がついた長いひもを振り回して床をたたき、リズミカルに音を鳴らす。
取材に行った時、「タバコをくわえて、そこに立っていて」と言われた。
球を振り回してタバコを弾き飛ばすというわけだ。
私はじっとしていればいいし、相手はプロだから大丈夫だろうと思い、これは体験した。
もちろん、タバコだけ弾き飛ばしてくれたけど、球がものすごい勢いで顔に迫ってくるので、かなり怖かった。
書くネタが見つからない日は「テント内は冷房完備で快適」「ポニーの蹄の手入れ」「福祉施設の入所者が招待され鑑賞」といった小ネタでしのいだものだ。
冷房完備は時代の流れだと思うけども、テント内の熱気だけでなく、動物の臭いも外に出されるから、「サーカスの臭いがしない」と惜しがる客もいた。
私も、熱気や臭いを感じてみたいと思ったものだ。
記念誌「木下サーカスの90年」の座談会で、木下唯志社長がこう語っている。
「カナダのシルク・ドゥ・ソレイユを見たのですが、何か、がっかりしたのです。内容はいいんですよ。音響照明、衣装、その他演出のどれをとっても素晴らしいのですが、グッとくるものがないんですよ。会場が広いせいかもしれませんが。サーカスというのは、やはり2000人から2500人程度のレベルで、ある程度臨場感のある、迫力が伝わってくるような近さでやらないと、よくないと思います。遠すぎると、どうも駄目ですね」と。
なんとなく、わかる。
そして、熱気や臭いもサーカスの魅力なのだと想像する。
そもそも、サーカスは見世物的なものから生まれたと言われる。
小人症の男性やあごヒゲのある女性といったフリークスが登場する映画「グレイテスト・ショーマン」(2017年、米国)を見ると、よくわかる。
記念誌「木下サーカスの90年」の解説記事「メディアとしてのサーカス」(津金澤聡廣関西学院大教授)から抜粋すると・・・
曲馬を軸に大衆芸術・娯楽として構成された近代サーカスは18世紀後半から19世紀にかけて、ロンドンで生まれ、パリで花開いたと言われる。
産業化の進展、人口の都市集中に伴う新しい娯楽メディアとして歓迎された。
他方では、サーカスなど遊戯・見世物は、あくまで反俗的でいかがわしい部分として、盛り場などいわば社会の片隅に追いやられてきた。
その反俗性、自由さ、エキゾチシズム、単純さは、それゆえに同時代の芸術・文化に新たな息吹を与え、それらの活性化の原動力となってきた。
たとえば、サーカスに魅せられた画家たちも、ゴヤ、ドガ、スーラ、ロートレックから、ピカソ、シャガール、ビュッフェに至るまで枚挙にいとまがない。
(以上、抜粋)
これを読んで、私の頭に浮かんだのは、ドガが描くバレエの踊り子。
当時のバレエは、金持ちが踊り子の中から愛人を物色する場だったといい、ドガの絵には踊り子のほかに、黒服の男がチラッと描かれていることがある。
愛人を物色しているところなのか、愛人の踊りを見ているところなのか。
そういう、いかがわしさを含めて、踊り子を描いているのが面白い。

サーカスが家族で楽しむ娯楽になり、熱気や臭いが失われていったのも、時代の移り変わりと言えるのだろう。
<余談・サーカスから連想したもの>
木下サーカスの記念誌やパンフレットを見るうちに思いだしたものをいくつか。
まずは、鳥取県立博物館(鳥取市)にあるゾウの骨格標本。
2022年3月の「鳥取県立博物館ニュースNo.33」の記事によると、1958年11月に世界動物博覧会が鳥取市で開かれた時、アジアゾウが死亡。
これを譲り受け、鳥取大の獣医学生や学芸員らが解剖して骨格を組み立てた。
当時、ゾウの全身骨格標本は全国でも希少だった、という。
私は子どもの頃から鳥取県立博物館に親しんできたけど、ゾウの骨格標本は、巨大なオオサンショウウオの標本とともに、インパクトがあり、子ども心に焼きついた。
生きたオオサンショウウオも飼われていて、館のアイドル的な存在だったと思う。
鳥取市出身の漫画家・谷口ジローのファンタジー作品「魔法の山」(単行本「いざなうもの」に収録)には、前身の鳥取県立科学博物館やオオサンショウウオ、近くにある久松山(鳥取城跡がある山)が出てくる。
次に思い浮かんだのが、鳥取市の消防出初め式のはしご登り。
高さ6メートルのはしごの上で、両手両足を広げて反り返る「肝返り」、つま先を引っ掛けて逆さまになる「つま留め」など7種類の離れ業を見せる。
同じく城下町の金沢市の加賀とびはしご登りにならったという。
木下サーカスのパンフレットに出ている演目「足芸はしごの曲乗り」の右上の写真のような演技が、鳥取のはしご登りの「肝返り」。
もちろん、鳥取のはしご登りのはしごは、何人もの人たちがガッチリと支えている。
木下サーカスのように寝転んだ人の両足で支えているわけではない。

最後に、伊勢大神楽の加藤菊太夫組。
鳥取県に本拠地を置き、全国各地を巡って、獅子舞と曲芸を見せていた。
伊勢大神楽講社がYouTubeにアップしている動画によると、2022年に廃業。社団法人・伊勢大神楽講社直営の社中として再興に取り組んでいるという。
何度か見たことがある。
花魁姿の獅子が仲間の肩に乗って練り歩く芸「魁曲」が一番好き。
リンクを張った動画の9分56秒あたりが「魁曲」。



