私は食文化や美術、音楽、文学、歴史といったジャンルに関心が高いから、文化専門の記者になりたかった。
憧れの記者は、「偏食アカデミー」など、食文化に関するコラムで知られる、日経新聞の野瀬泰申さん。
お目にかかる機会もなく、コラムを読ませてもらうだけなのだけど・・・
私がやりたい仕事はこういうのだと思って、憧れた。
語り口も大好き。
そして、漫画「美味しんぼ」(原作・雁屋哲、作画・花咲アキラ)の山岡士郎さん。
この漫画の冒頭、山岡さんは職場に寝泊まりしている姿が描かれる。
そのイメージが強くて、新聞社には、日付が変わるまで働いて、そのまま職場に寝泊まりする記者がそこら中にいて、机の上には取材資料が山積みで、カップラーメンの容器や空き缶が転がっているのだろうなと想像していた。
実際に新聞社に入ってみると、そんな記者はほとんどいなくて、拍子抜けした。
私が想像した通りの先輩記者は、1人おられた。
私も似たタイプだから、ウマが合った。
この記事では「Sさん」と呼ぼう。
社内で、私を理解してくださり、さまざまな場面で力になってくださった先輩は2人。
その1人「Kさん」は、以前の記事「冷遇された若手の頃」で、「記者になった当初から、ずっと、私を気にかけてくださった先輩Aさん」として書いた方。
もう1人がSさんで、以前の記事「記事を書く速さ」で、「レポート記事を組日の夕方に無茶ぶりしてきたデスク」として書いた方。先日の記事「取材資料の保存」で、「机上の書類が雪崩現象を起こす先輩」としても紹介した。
Sさんに初めてお会いしたのは、私が入社して「整理部」にいた頃(整理部は、記者が書いた記事に見出しを付けたり、紙面レイアウトを考えたりする内勤の部署)。
山に写真を撮りに行くという写真部の先輩に誘われて出かけた先の登山口に、当時、そのエリアの支局勤務のSさんが待っておられた。
見るからに、山男というワイルドな風貌と出で立ち。
私は最初、写真部の先輩が頼んだ歩荷の方かと思ったので、同じ会社の先輩だと知って驚いた。こんな記者がいるのか、と。
のちに知るのだけども・・・Sさんは登山が趣味。
私は若い頃、高校を中退して測量の仕事をしていた(測量は、だいたい、山の中が現場なので、登山が仕事みたいなもの)。
そして、子どもの頃から山歩きが好き(戦国時代の山城の探訪も好き)。
だから、Sさんとは、山の話が弾んだ。
私にとって、Sさんは「ザ・新聞記者」。
机の上に取材資料が山積みとか、職場に寝泊まりとかいうだけではない。
すごく博識で、自分なりの物の見方がはっきりとある。
取材力が高くて、記事もうまい。
政治、経済、社会、スポーツと、どの分野でも優れた力を発揮され、とりわけ、得意分野の文化、特に文化財は、専門家と議論できるレベル。
文化は、私も好きな分野だから、Sさんに勉強させてもらった。
正義感が強くて、俠気のある方だった。
権力者にでもズバズバと切り込んでいく半面、普段は、威張ったところが全くなく、おおらかで、気さくで、腰が低い。
「美味しんぼ」の山岡さんが、丸くなった感じだ。
後輩の面倒見が良い、頼もしい先輩だった。
私より6歳上で、「兄貴」のような存在。
身近な記者では、一番の目標だったけど・・・ついに足元にも及ばなかった。
同じ職場で勤務させてもらった頃は、深夜にふと、気がついたら、私とSさんしかいないということが、しばしばあった。
「そろそろ、帰りましょうよ」と声をかけると、そこから雑談が弾んで止まらなくなる。
私も、Sさんも、おしゃべりが好きで、どんどん、思考が拡散して、とりとめがなくなるタイプだから、立ち話が30分、1時間と長くなる。
長年、文化担当のデスクを務められ、書評を書いたり、寄稿を頼まれたりする時には、その作家や研究者の作品、論文を読み込むという丁寧な仕事ぶりだった。
だから、Sさんの席の背後の本棚にはさまざまな本が並んでいた。
30分、1時間と立ち話をする中で「これ、読んでみろ」と言われて、お借りした本が今も私の自宅にある。
私と同じく、カップラーメンが主食で、職場に寝泊まりすることも珍しくない不摂生な生活だった。
だから、Sさんは糖尿病を患われた。
遅くに、結婚なさってからは、マクロビオティックだったか、健康を考えた奥様手作りの弁当を持ってきておられた。
健康には良くても、薄味で、物足りなく感じておられたのだろう。
深夜に「ラーメン食べに行こうや」と誘われ、2人でよく行った。
Sさんは、インスリン注射を打ちながら、濃厚なラーメンをすすっておられた。
数年前、Sさんは、がんを患っていることがわかった。
「余命1年」と聞いた時は、嘘だろう、と思った。
当時、勤務地が離れていて、なかなか、お会いできなかったのが残念だ。
悲しいことに、本当に、1年ほどして、お亡くなりになった。
闘病中、私に、先進医療特約のある「がん保険」を強く勧めてこられた。
Sさんの言われることならと思い、すぐにそのような保険に入った。
「家族を第一に考えろ」と、繰り返しておられたのも、印象深い。
遅くに結婚なさって、できたお嬢様を溺愛しておられた。
お嬢様が幼い頃、職場から「もう少ししたら帰るからね」と電話をかけておられた姿も覚えている。
お亡くなりになった時、お嬢様は、まだ高校生。
Sさんは最後まで、お嬢様のことを案じておられた。
どれほど、心残りだったことか。
葬儀で見かけた奥様やお嬢様は、気丈に振る舞っておられたけども、心中を察すると、本当にお気の毒だった。
葬儀の会場には、遺品の書籍がたくさん並べてあった。
そばには「ご自由に、お持ち帰りください。故人が喜ぶと思います」との張り紙。
本がぎっしりと詰まった棚を背に、笑っておられた姿を思い出し、せつなくなった。



