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これは1999年に記者になった、おじさん世代の私の体験談だ。
だから、今から新聞記者になろうという若者の参考にはならないと思う。
私は1994年に新聞社に入り、5年間、整理部勤務を経て、念願の記者になった。
まだ、新聞社に体育会系というか、軍隊みたいなノリがあった時代。
下っ端の記者は「兵隊」と呼ばれ、先輩、上司に絶対服従を求められる雰囲気だった。
無茶な指令を授かり「何とかしろ」と言われることが常。
「無理です」「できません」は許されないから、「何とかする力」は磨かれたと思う。
毎月200時間くらい時間外労働をしていたけど、基本的に残業代は付かない。
これくらいはいいだろうと思って15時間くらい申請しても、7時間とかに削られる。
さすがにひどいと思い、上司に抗議すると、「嫌なら辞めろ」と言われる始末だった。
それでも、記者の仕事の楽しさが大きかったから、続けられたのだと思う。
なお、「ワーク・ライフ・バランス」「働き方改革」という考え方が世の中に広まった今では、下っ端の記者は、このような扱いを受けていない。
私は、本社よりも出先のほうが性格に合っている。
読者との距離が近いからだ。
特に、数年前に経験した「1人支局」は最高。
地域の皆さんに可愛がってもらった。
住み込みなので、仕事と私生活の境目があいまいだけども、そんなに嫌ではなかった。
何より、職場に私しかいないので、誰にも気兼ねがないのも良かった。
私が入社当初5年間いた「整理部」についても紹介しておこう。
整理部は、記者が書いた記事に見出しを付けたり、紙面のレイアウトをしたりする内勤の部署。
弊社では、私がいた当時、整理部は編集局と同じくらい力があり、報道のバランスを保っていたと思う。
編集局の先輩記者が書き、デスクが通した原稿を、整理部にいる私のような下っ端が書き直したり、短く削ったりしていた。
それが許容される時代だった。
現在、整理部の力はめっきりと弱くなり、編集局幹部が暴走しても止められない状態になっている。
私は、後輩や部下にでも学べるところは頭を下げて学ぶし、先輩や上司にでもおかしいと思うことは口答えする性格。
だから、私は記者になって10年くらいは、先輩や上司に「生意気だ」と嫌われて、ダメ記者扱いされ、チャンスを与えられないなど、冷遇された。
そのような私に目をかけてくれる希有な先輩がおられたから、今の私がある。
私は、上の方々にもズバズバ物を言う性格だから、労働組合の活動も向いていたと思う。
十数年前の本社勤務時は、遊軍キャップで、仕事の融通が利きやすいこともあって、組合の教育宣伝担当の副委員長を2年間務めた。
任務は、組合員に配る「組合ニュース」を書くこと。
組合の執行部と社の経営者側が話し合う「労協」のやり取りを詳しく書いて、組合員には喜ばれた。
経営者の失言もそのまま書くので、経営者側には嫌がられた。
私は、デスクは性に合わないから、ずっと避けてきたけども、40代半ばの頃、ついに、デスクをやらされた。
これまでに通算4年ほど務めた。
そのころも、今も、全社的に見て、管理職、その中でもデスクが一番しんどい仕事だと思う。
昔と比べ、会議や書類の作成が異常に増えた。
ストレスも大きい。
昔は、若手記者が「奴隷」、中堅記者(キャップ級の記者)や管理職は「王様」という感じだったけど・・・
今は、若手記者や中堅記者が「お客さん」(「働き方改革」が求められる世相を反映)、管理職が「奴隷」という感じだ。
今の経営者は、中堅記者・管理職の頃に「何とかしろ」でやってきた人たちだから、私たち今の管理職にはその感覚で圧力をかけてくる。
デスクの仕事の楽しみは、後輩、部下の成長。これしかない。
新聞がだんだんと世の中に必要とされなくなり、新聞産業は不人気な斜陽産業となっている。新入社員を募集しても応募が少なく、入ってきても辞める人が多い。
若者に新聞社に魅力を感じてもらえるよう、経営者は何度も初任給を引き上げてきた。初任給引き上げの原資は、管理職世代の賃金を圧迫して生み出されている。
何より、記者の仕事に楽しさを感じられなくなってきた。
昔と違って、上の方々が細かい内容にまで頻繁に口を挟んでくるからだ。
デスクがOKした原稿に、経営者がいちいち口を出すというのは、異常だと思う。
同業他社の方に聞くと、どこもそうだというわけではないようだ。
<以下は、「記者の仕事」シリーズのハブ記事>
