(上記のAmazon商品は本文と直接関係ありません)
2026年2月の衆院選で、高市早苗氏が率いる自民党が圧勝したことは、多くの方の記憶に新しいと思う。
高市氏は、「高市を支持するか、しないか」が争点だと選挙構図を単純化。前任の石破茂氏と比べて際立つリーダーシップをてこに、個人人気で支持を集めた。
面白かったのは、高市氏と対立する石破氏の地元・鳥取1区の選挙結果。選挙区で石破氏が圧勝する一方、比例の投票先が最大野党の中道改革連合に集中した。
「石破をいじめる高市は許さん」という、鳥取の自民党支持層の心意気が表れたものだと考えられている。
2005年の衆院選では、当時の首相・小泉純一郎氏が、「郵政民営化をやるか、やらないか」が争点だと選挙構図を単純化し、圧勝した。
与野党問わず、民営化反対論者に「守旧派」のレッテルを貼る徹底ぶり。
民営化に反対した自民党前職には党公認を与えず、民営化賛成の新人に党公認を与えて「刺客」として送り込むという、まさに、劇場型の選挙だった。
複雑な物事を、対照的なふたつの対比に単純化すると、何だか、スッキリして、わかりやすくなる。
それぞれの特徴も際立つ。
「二項対比」という手法。
私は、このブログのレビュー記事で、この二項対比を時々使う。
歌手マイケル・ジャクソンの歌の考察では、「アォッ!」「ダッ」等の気合い(叫び声やセルフ合いの手)に着目して、2種類に分類した。
「スムース・クリミナル」「スリラー」のように気合いが存分に放たれる「暴れマイケル」モードの歌と、「バッド」「ビート・イット」のように気合いの発出を控える「我慢マイケル」モードの歌がある、と。
「暴れマイケル」「我慢マイケル」は、私が勝手に作った言葉。
感覚的で、イメージしやすい表現を選んだつもりだ。
マイケルの歌を、もっと細分化して1曲1曲説明するほうが、より正確だとは思うけど、たぶん、わかりにくい。
半ば強引なところもあるけど、「暴れ」「我慢」のふたつに分類したら、名曲の数々が整理されて、わかりやすくなる。
聴き比べもやりやすくなるはずだ。
マイケルの歌を味わうのには、いろんな切り口があると思う。
気合いという切り口は、あくまで一例でしかない。
でも、マイケルの肝を外してはいないと思う。
なぜ、マイケルが「アォッ」「ダッ」「ホゥーッ」といった気合いを発するのか───というところに、興味を持ってもらう糸口にもなると思う。
ファンク、ソウルといったブラックミュージックが、マイケルの根っこにあるんだな〜とか、想像が膨らむと楽しい。
「スムース・クリミナル」「スリラー」のようにファンキーなダンスナンバーでは、ファンク魂を存分に発し、「バッド」「ビート・イット」のようにロック、ポップスに寄せたい曲の時には控えているんじゃないか、とか。
6月12日に日本でも公開された伝記映画「Michael/マイケル」で、「ビート・イット」のレコーディング場面が描かれていたけども・・・
この曲に入れたエディ・ヴァン・ヘイレンのギターソロを聴きながら、マイケル(役の俳優)が「ロックだね」と言っていたと思う。
この曲はファンクだとか、ロックだとか、考えて、歌い分けていたのだろう。
残念ながら、「暴れマイケル」「我慢マイケル」は私の造語だから、誰もこんなワードで検索しない。
つまり、SEO(検索エンジン最適化)対策としての効果は、ないだろう。
試しに、Googleで「暴れマイケルとは何か」と打って、検索をかけたら、「AIによる概要」が面白かった。
以下に、一部抜粋してみる。
「暴れマイケル」とは、主にマイケル・ジャクソンの楽曲パフォーマンス中において、随所に飛び出す「気合いが入った激しいモード」を指す、ファンの間で親しまれている愛称・スラングです。
楽曲の中で「アォーッ!」という激しい叫び声や、リズムを整える「セルフ合いの手」が存分に放たれる状態を指します。
気合い発出を控える「我慢マイケル」と呼ばれるモードと対比させて楽しむファンも多いです。
(以上、抜粋)
情報源は、このブログの記事になっている。
たぶん、「暴れマイケル」などという幼稚な言葉は、ほかに誰も使っていない。
なのに、「ファンの間で親しまれている愛称・スラングです」「『我慢マイケル』と呼ばれるモードと対比させて楽しむファンも多いです」と適当に書いてあるから、ほおが緩んだ。
親しんでいるのも、楽しんでいるのも、私だけだよ。
Googleさん、励ましてくれて、ありがとう。
嘘でも、元気が出た。
<余談「躍動ベック」「しみじみベック」>
ギター奏者ジェフ・ベックの演奏は、「躍動ベック」と「しみじみベック」という風に、2種類に単純化して、書いた。
たとえば、「レッド・ブーツ」「スキャッター・ブレイン」といった曲では変幻自在に躍動し、「グッバイ・ポーク・パイ・ハット」「デクラン」といった曲では、しみじみとギターを泣かせる。
「躍動ベック」「しみじみベック」も、私の造語だ。
ベックは、ブルース、ソウル/ファンク、ジャス/フュージョン、テクノ、ムード音楽、民謡と、どんなジャンルの音楽でも挑戦する貪欲な人物。
「どんな音楽だろうと、俺の色に染めてやるぜ」という圧倒的な好奇心と腕前がないと、こうはいかない。
多彩なベックの楽曲を、まともに細分化して説明したら、たぶん、訳がわからなくなる。
「躍動ベックがいいな」とか、「しみじみベックが好みだな」というところからが、とっつきやすいと思う。
「躍動ベック」「しみじみベック」は、かなり、大雑把な分類だ。
躍動的な演奏も、しみじみとした演奏もあるアーティストは、特に珍しくない。
それでも、こう分類したのは、ベックの魅力は、この両極にあると思うからだ。
躍動も、しみじみも、情感たっぷりで惹きつけられる。
ほかに、そう感じさせるアーティストは、サックス奏者デビッド・サンボーン。
(サンボーンの楽曲のレビュー記事では、「しみじみサンボーン」と対比する言葉が、「ファンク路線のサンボーン」「ファンキーサンボーン」「躍動サンボーン」という風に定まっていなくて、まずかったな、ということに今さら気づいた)。
ベックやサンボーンは、なぜ、躍動でも、しみじみでも、心を打つのか。
歌心があるということだろうと思っていて、私は、「ベックは歌うようにギターを弾く」、「サンボーンはサックスで歌う」といった表現を使っている。
