
「道長ものがたり」山本淳子
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
平安時代半ばの最高権力者・藤原道長が詠んだ歌は「この世はまるで私のもののようだ。何でも思い通りになる」という傲慢さを表すとの理解が一般的ではないだろうか。
学校の授業でどう教わったかは忘れたけど、子どもの頃に愛読した小学館の学習漫画「少年少女日本の歴史」では、その解釈だったので、私はそう思っていた。
平安文学研究者・山本淳子の「道長ものがたり」によると、道長の傲慢との解釈は正しくないという。
学校で習って、誰もが知っていると思うけど、おさらいすると、、、
道長は娘たちを天皇の后(正妻)として皇室との関係を深め、権力を振るった。
娘のうち、彰子が一条天皇の后、姸子が三条天皇の后になったのに続き、威子が後一条天皇の后になった日の夜、宴会の席で、この歌は詠まれた。
本書によると、この夜は満月ではなく、少し欠けた十六夜だった。
この歌を、著者は「今夜のこの時は、私は最高の時だと思う。空の月は欠けているが、私の望月は欠けていることもないと思うと」という意味だと読み解く。
「世」は「夜」とかけてあり、「わが世」は「わが世の春」のような人生最高の時を表すという。
歌の満月が表すのは、ひとつには、この宴席にも顔を並べた政界の重鎮たちが、道長の息子・頼通を盛り立ててくれていることの円満。
もうひとつは当然、后のこと(文学では、后はしばしば、月にたとえられるのだとか)。娘が3人も后となり、これは、もう、満月だ、と。
つまり、この円満や満足を満月にたとえ「今夜は最高の気分だ」と喜ぶ歌だという。
道長は、名門貴族の生まれながら、一家の末子で、最初から権力の座を約束されていたわけではなかった。
長兄の道隆、次兄の兼家が病死▽その後に政敵となった甥の伊周(道隆の息子)が問題行動で自滅▽一条天皇に寵愛されていた后の定子(道隆の娘)が難産で亡くなり、彰子が浮上──という風に、強運に恵まれて、権力の座に上り詰めた。

その強運は他人の不幸の裏返し。
権力の座に就くと、後ろめたさから気弱になり、道隆らの怨霊を恐れた。
特に、定子の怨霊が自分はもとより、彰子に祟るのではないかと恐れた。
定子に仕えた清少納言の「枕草子」によって、定子の死後、同情論が高まると、道長の危機感はさらに強まった。
彰子に仕えた紫式部の「源氏物語」は、この状況を背景に道長の支援を受けて、定子の魂を鎮め、一条天皇を慰める作品として書かれ、一条天皇の目を彰子に向けさせる糸口にもなった。
そして、望月の歌の時に絶頂を迎えた道長の生きざまを、本書「道長ものがたり」は、「幸ひ(強運)」と「恐怖」をキーワードに読み解く。
読んでみると、道長は、ただ単に強運を棚ぼた的に受け取っていたわけではなく、強運を生かし、引き寄せる計算高さや行動力の持ち主だったのだと感じた。
道長は、おそらく、攻めのタイプの人間で、守りに入ると弱かったのだろう。
権力の座に就くと弱気になる姿は、人間くさく思えて、道長に親しみがわいた。
もともとは、そこまで野心がなかった、という本書の分析が興味深い。
道長は、円融天皇の妃(側室)となった姉・詮子(一条天皇の母)に可愛がられたのが、強運の始まりだ。
詮子は同じきょうだいでも道隆、兼家とは距離を置いたが、道長には信頼を寄せ、可愛いがったという。
道長は、皇族の血を引く源氏の娘を妻にして、源氏の力もバックにするのだけども、そのきっかけをつくったのが詮子。
詮子は、源氏のうち当時没落していた家の娘・明子を引き取る。
落ちぶれたとはいえ、家柄の良い明子には道隆ら何人もの男が結婚を申し込んだが、後見役の詮子は、これを許さなかった。
ところが、道長と明子が良い仲になると、詮子は結婚を許したという。
道長は最初、結婚まで考えていたわけでなく、遊びで明子に手を出したのに、詮子に認められて明子と結婚することになり、これで、「もしかして、おれは強運があるのか」と、道長に野心が芽生えたと、本書は分析する。
道長の計算高さや行動力が見て取れるのは、次の行動。
同じ源氏でも、まだ有力な家の娘・倫子を正妻としたことだ。明子ではなく。
よく知られた話だと思うけど、、、
倫子の父は、倫子を天皇の妻にしたいと考えていて、たかが藤原氏の家の末子にやれるかと反対したが、倫子の母は、道長の将来性を見抜き、後押しした。
倫子自身も、当時の天皇候補に、ちょうど釣り合う相手がいなかったので、道長の将来性に賭けた。
このあたりも、道長の強運だと思う。
倫子との力関係を表す逸話が、本書で紹介されている。
一条天皇と彰子の間に男子(のちの後一条天皇)が生まれて五十日の祝いの時、上機嫌の道長が言った。
「中宮(彰子)の父として、わしはなかなかのものだ。その母(倫子)もまた、運が良かった、と笑っている様子。いい夫を持ったことよ、と思っていると見える」と。
この言葉を聞いて、倫子は腹を立て、席を立った。
逆だろう、運が良かったのは、私と結婚したあなただろう、との思いがあった。
道長もわかっているから、倫子の機嫌を取るために、慌てて後を追ったという。
この逸話も、道長の好人物ぶりが感じられ、私は好きだ。
本書で紹介する紫式部の歌も面白い。
「人は災いに遭うと、死者の怨霊を原因と考え、困り果てる。だが、それも、本当の原因は自分自身の『心の鬼』ではないのか」という意味の歌。
本人の罪悪感が原因ではないか、ということだ。
人間に対する、この理解。やはり、紫式部は、すごい人物だと思う。
こんな人生観を持つ紫式部だから、「源氏物語」は、大胆にも、一条天皇と定子の悲恋になぞらえて、主人公・光源氏の父母、桐壺帝と桐壺更衣の悲恋を物語の導入に置いたのだ。
天皇でさえ、愛ゆえに冷静さを失い、苦しむのだ、と。
「源氏物語」の分析は、著者のほかの著作が詳しいので、ここでは、省く。
クールに思える紫式部自身も、道長の前では、急に可愛らしくなる。
道長と紫式部の関係に迫る章も、本書の読みどころだ。
著者は、2人に男女の関係があったとしても、道長にとっては、つまみ食い程度の関係だっただろうと推測する。
一方で、少なくとも、紫式部は道長に思いを寄せていた、とみる。
道長が誘いをかけ、紫式部がはねつける内容の歌のやり取りがあったことは、「紫式部日記」などで、よく知られる。
本書によると、公的な記録でもあった「紫式部日記」と違い、晩年に私的に記した「紫式部集」では、歌のやり取りの場面は、道長の情熱を感じさせ、恋愛ムードが漂う表現になっているという。
「紫式部日記」には、道長が、彰子になかなか子どもができなかった頃はハラハラし、不安に思っていたという心境を紫式部に漏らす逸話もあるという。
これは、道長との親密な関係をそれとなく吹聴したい思いがうかがえるという。
人生を達観した紫式部をも熱くさせる。
道長は、運気だけでなく、人を惹きつける魅力的な人物だったのだ。
姉の詮子も、妻の倫子も、道長の人間的な魅力に惹かれ、支える気になったのだろう。
