てっちレビュー

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「岸辺露伴は動かない 懺悔室」(映画) 「幸福の絶頂の時に絶望を味わう」という呪いにとらわれすぎ 「人間のたくましさ、したたかさ」を説く原作漫画のほうが好き

「岸辺露伴は動かない 懺悔室」(映画)

(ネタバレあり。見ていない方は、ご注意を)

 

この映画は「幸福の絶頂の時に絶望を味わう」という呪いに、とらわれすぎだ。

原作の漫画では、この呪いは物語の演出にすぎない。

目を向けるべきは、そこではない。

「人間のたくましさ、したたかさ」という原作のメッセージだろう。

そこが私は好きなのに・・・

珠玉の人間讃歌が、映画では、薄っぺらなホラーになってしまった。

 

映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」(2025年)を見た。

漫画家・荒木飛呂彦の短編シリーズ「岸辺露伴は動かない」の1編「懺悔室」が原作。

(なお、このシリーズで露伴は語り部的な位置づけ。コナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」シリーズのワトソンみたいな役柄だ)。

キレのよい短編「懺悔室」を2時間近い映画にどう膨らませたのかと、興味がわいて、見た。

 

 

ある男が、腹ペコの浮浪者に冷たい仕打ちをして事故死させてしまい、「幸福の絶頂の時に絶望を味わわせてやる」と呪いをかけられる。

その後、男には次々と幸運が舞い込み、可愛い娘にも恵まれる。

「なんて、幸せなんだ」と思った時に、あの浮浪者が現れ、生死の賭けを持ちかける───というストーリー。

 


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さらにネタバレすると・・・

男は、ポップコーンを高く投げ上げて、口で受け止める芸当を3回連続で成功させるという賭けに敗れる。

そして、浮浪者に殺されてしまう。

・・・かと思いきや、実は、男は、召使いを自分そっくりの顔に整形させていて、殺されたのは、召使いだというトリックがあった。

主人公は、身代わりに殺された召使いにも恨まれ、「だんな様の娘が幸せの絶頂の時、必ず、あんたを迎えに来ます」と、またも呪いをかけられながら、静かに去っていく───というのが原作の結末。

 

映画は、娘の成長後の物語を創作して、膨らませている。

男は、娘が幸福の絶頂に至らないように育てる。

娘が一番ほしがっているものを与えないとか。

つまり、映画では、わが子を犠牲にしてでも、わが身を守ろうとする身勝手で姑息な男に成り下がっているのだ。

召使いをだまして身代わりに仕立てるのとは、訳が違う。

いかに死ぬのが怖くても、そんな親がいるか?(まあ、中には、いるのだろうけど)と言いたくなる。

本当に、自分を守るために子どもを犠牲にするような人間なら、こんな回りくどいことをしなくても、別のやり方を取るのではないか。

それぞれ、子どもに殺されるとの予言を恐れたラーイオス王(息子オイディプスを捨てる)とか、漫画「ブッダ」(手塚治虫)のビンビサーラ王(息子アジャセを冷遇し、しまいには幽閉)みたいに。

娘への愛情はあるけど、自分も死にたくないという複雑な心理を描きたかったとでも言うのだろうか。

この時点で、展開に無理を感じてくる。

 

 

映画のクライマックスでは、娘が結婚式を控えて幸福の絶頂に至ろうとしているのに対し、男は結婚式を妨害しようと画策。

この策が裏目に出て、娘が死んでしまう(実は、露伴がトリックを仕掛けていて、娘は死んでいない)。

そして、男は、娘の死を少し悲しみつつも「これで助かった」と、つぶやいて去る。

原作のような、人間のたくましさ、したたかさは、微塵も感じられない。

後味が悪すぎだ。

 

ここで、原作に私がどう感動したかを書いておく。

 

原作のクライマックスは、ポップコーン受け止めを2回成功させたものの、ポップコーンを狙う鳩が集まってきて、ピンチに陥った男が取る行動(実は、整形された召使いなのだけど、読者にとって、この時点では、主役の男)。

 

ポップコーンに火を付けて、投げ上げるのだ。

「どうだッ! 燃えてるポップコーンを鳩が食えるかッ!」と。

 

「岸辺露伴は動かない」の1編「懺悔室」より。炎のポップコーン

たしかに鳩は寄ってこないだろうけど、火の付いたポップコーンを口で受け止めるという、捨て身の行動だ。

 

これは、同じ作者の代表作「ジョジョの奇妙な冒険」の第1部の主人公ジョナサンを思い出させる。

得意技の「波紋」を込めたパンチを放とうにも、腕を凍らせて波紋を封じる技を持つ敵役ディオに対し、ジョナサンは、拳を凍らされないよう、はめた手袋に火を付けて波紋パンチを繰り出すのだ。

 

 

映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」では、炎ポップコーンで見せた男の勇気が、軽く流されているように見える。

 

原作を初めて読んだ時に私は、「実は召使いに整形させて身代わりに仕立てていた」というトリックにも、男のしたたかさを感じて、面白いと思った。

 

原作の露伴も、そうだったに違いない。

だから、最後に去っていく男を見送りながら、敬意を表すのだ。

「怨霊に取り憑かれても、あきらめず、孤独に人生を前向きに生きる男・・・彼は悪人だと思うが、そこのところは尊敬できる・・・そう思うのは、ぼくだけかもしれないが・・・」と。

 

「岸辺露伴は動かない」の1編「懺悔室」より。男に敬意を表す露伴

私も同感だ。

この味わい深さが、映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」では、失われている。

そうじゃなくて、男が召使いからも受けた呪いをどう切り抜けるかを描いてほしかった。

 

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