「ザ・ウォーク」
「The Walk」
(ネタバレあり。見ていない方は、ご注意を)
ぼくは、片方の足をビルに、もう片方の足をワイヤーに
まわりの世界が消え始める
もうジェフも消えた
南棟はまるで孤島だ
(ツインタワーの周囲に霧が立ち込めてきて、眼下の景色が隠れる。これは実際にフィリップの目に映る光景を映像で表したのだろう。そういう集中力を持っているのだ。これは興味深い)
街のざわめきも聞こえない
ただ静寂の世界
見えるのはワイヤーだけだ
まっすぐに無限へと向かうワイヤー
体の重心を移しさえすれば、ぼくは綱渡り師になる
(そして、ビルにかけていた片足をワイヤーに移して綱渡りを始めたところで、霧が晴れ、下の景色が見える。たぶん、フィリップには見えていない)
全体重をワイヤーにかけた瞬間
体に染み込んだあの感覚が戻った
ワイヤーがぼくを支えている
タワーもワイヤーを支えている
以上、ヤマ場の綱渡りシーンでの主人公フィリップの心の言葉の抜粋。
かっこ内は、補足説明と私の感想だ。
映画「ザ・ウォーク」(2015年、米国)は、ニューヨークの世界貿易センターのツインタワーの間での綱渡りを計画し、成功させるまでのドラマを描く。
1974年にツインタワーの間で綱渡りをしたフランスの大道芸人フィリップ・プティの実話を基にしたという。
ツインタワーの最上階は110階、高さ411メートル。
間に張ったワイヤーは長さ42メートルに上り、太さはわずか2センチ。
なお、命綱は付けていない。
いかに超人的な綱渡りか、この数字からも想像させられる。
フィリップは1971年、パリのノートルダム大聖堂のふたつの塔の間で綱渡りに成功。無許可で行ったため違法行為として、警察に逮捕された。
そのニュースを報じる新聞で、世界貿易センターの建設を知り、挑戦意欲をかき立てられたという。
工事がまだ残っていた世界貿易センターに、業者になりすまして侵入。
弓矢で釣り糸を飛ばして、ロープ、そして、ワイヤーを渡して張ったという。
計画から実行までの間に協力する仲間が増えていく過程も面白い。
もちろん、無許可のチャレンジなので、いつバレるかと冷や冷やする場面がある。
ヤマ場の綱渡りシーンは、コンピューターグラフィックスを駆使している。
この映像が上出来で、高所恐怖症の私は本当にクラクラするくらい、迫力があった。
渡るだけでなく、何往復もして、ひざまづいたり、寝転んだりする。
見ていて、「もうやめろ、落ちるから、渡ったんだからもういいじゃないか」と何度も何度も思った。
でも、これがいい。
運良く、1回できたというんじゃない。
これでこそ、本当のツインタワー制覇だという気概がうかがえる。
そもそも、なぜ、このような離れ業ができるのか。
綱渡りシーンの描写からわかるように、下の景色が見えなくなり、ワイヤーだけが見えるという集中力もさることながら、胆力がものすごいと思う。
これは性格なのだろうかとも想像した。
思い出すのは、限界に挑むような走りでファンを魅了した伝説のF1ドライバー、ジル・ヴィルヌーヴだ。

伝記「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」(ジェラルド・ドナルドソン)によると、研究者が1981年のモナコGPで、練習走行・予選走行中のヴィルヌーヴの心拍数を調べたところ、ほかのドライバーと比べて、変動が少なかった。
これは、物事に動じにくい精神構造を裏付けるという。
この調査で興味深い結果はまだある。
練習走行中、コースを外れてフェンスに衝突し、ヘルメットにひびが入って軽いケガをした時の心拍数が1分間に168回。
これに対し、予選計測に挑んだ時の心拍数のほうが182回と多く、最高値だった。
つまり、クラッシュした時より、タイムアタックの時のほうが心拍数が多い。
これは、危険の回避より、速く走ることを重視したヴィルヌーヴの競技姿勢に合致するという。
ちなみに、当時のフェラーリのチームメイト、ディディエ・ピローニの心拍数が最高値の212回を記録したのは、他チームのドライバーに進路を阻まれた時だったとか。
つまり、カッとして頭に血が上った状態になったわけで、こちらのほうが、普通の人の反応に近いようだ。
たぶん、フィリップも、ヴィルヌーヴと似た精神構造だったのではないかと想像する。
フィリップは、仲間に対して、わがままに振る舞う場面がある。
そもそも、無許可で危険な綱渡りを試みる行動からもわかるように、ルールに従うという規範意識が高くはない。
ヴィルヌーヴも、伝記を読むと、そのような側面があったことがわかる(そういう側面も含めて、私はヴィルヌーヴが大好きだけども)。
おそらく、フィリップも、ヴィルヌーヴも、「サイコパス気質」が入っていたのかなと思う。
(サイコパス気質の人は、恐怖心や協調性が乏しいとされる。「サイコパス気質=猟奇犯罪者」ではない。カリスマ性が高いといった良い面もある。たとえば、アップルの創業者の1人、スティーブ・ジョブズはサイコパス気質だとされる)。
フィリップは、なぜ、命懸けの綱渡りをするのか。
ヴィルヌーヴは、なぜ、限界ギリギリの走行をするのか。
2人にとって、限界への挑戦が最高の自己表現、自己実現なのだと思う。
ヴィルヌーヴを例に、伝記から、言葉を抜粋してみる。
マシンを限界いっぱいまで持っていって、ドリフトを感じ取ったり、性能の限界に来ているのを感じる瞬間が何より好きなんだ。
もうこれ以上は不可能ってスピードでコーナーを抜ける時のフィーリングは最高だよ。
ファンタスティックの一言に尽きるね。
見物人がいようがいまいが、誰かがストップウォッチで計測してようがいまいが、関係ないよ。
こういう風に走れるだけで十分だ。
(以上、抜粋)
フィリップも、綱渡りに同じような思いを抱いているのではないか。
フィリップが無許可でやった綱渡りを「違法行為」だからと非難するのは、野暮だ。
たしかに、違法行為ではある。
だけど、それがどうした?と思う。
まず、仕方ないと思う。
こんな危険な綱渡りを建物管理者が許可するわけがない。
無許可で、自己責任でやるしかないのだ。
何よりも、この挑戦は、夢とロマンがある。
やろうとしていることのスケールが桁外れだ。
もはや、自己への挑戦にとどまらず、人間の限界への挑戦だ。
私利私欲のために姑息な不正を働くような人たちとは、全く別次元。
ヴィルヌーヴは、「クレイジー」と言われながらも、そのパフォーマンスが多くの人の心をとらえ、愛された。
イタリアの公道で、ものすごいスピード違反をした時、怒って、車を止めさせた警察官は、ドライバーがヴィルヌーヴだと気づくと、大喜びして、サインを求めた。
違反は見逃したという。
ヴィルヌーヴなら許せる、というわけだ。
フィリップも、そうだろう。
ツインタワー綱渡りに挑んだ結果、不法侵入等の罪で逮捕されたが、裁判所が命じた罰は「綱渡りの妙技をみんなに見せること」というような奉仕活動だったらしい。
なかなか、粋な計らいだ。
世の中に、このような寛容さがあったからこそ、フィリップやヴィルヌーヴのような偉人が生まれたのだとも、考えさせられた。

